6-2
水煙草の煙で充満する店内へ足を踏み入れたのは、午後の一番暑い時間帯だ。
この季節になるとあまりの暑さに皇妃は今の時間の昼寝を欠かさない。
それをいいことに使用人たちも昼休みを決め込むから、少しくらいの時間なら宮殿内から姿を消しても誰も気がつかない。
「よ、ディア。
今度はまたすごく間遠だったな」
顔をみると同時に店の主が声をかけてきた。
「ん~、いろいろあってね」
「そいつぁ、新しい琴か? 」
答えるダイアンの手にした見慣れない竪琴に目を留め、主は早速訊いてくる。
「お前さんも、やっと新しい琴を買う気になったのか。
そりゃあれも悪い竪琴じゃなかったが、さすがにもう古かったもんなぁ」
「まぁね…… 」
曖昧な返事をしながらダイアンは店内を見渡した。
「あの老人なら、あれっきりだ。
以来全く顔をみせねぇ、恐らくもうこの街にはいねぇんじゃないかな」
ダイアンの頭の中を読み取ったかのように男は言う。
「商売が商売だし、そんなもんだろうって」
気落ちしたのが顔に出ていたのか慰めるように言ってくれた。
「じゃ、もし。
もしもよ。
あの爺さんまたここに顔を出すことがあったら、託お願いしてもいいかな? 」
「なんてだ? 」
「『お届け物はちゃんと受け取りました。ありがとう』って」
「それだけでいいのか?
なら、任せとけ」
男は胸を張る。
あれから色々と考えを巡らせた結果。
この琴を届けてくれたのはきっとあの老人だと言うところに行き着いた。
魔法なのか、手品なのか、からくりはよくわからないが、きっと老人の届けてくれたあの鍵が何かを握っている。
もともとリリューレのような単なる物ではない人知の及ばないものには、不思議がつき物だ。
何があったっておかしくない。
本当は面と向かってお礼を言って。
それから他にも聞きたいことがあったのだが。
もしかして遭えるかも知れないと僅かな期待を胸に抜け出してきたのだが、案の定無駄足だった。
「それより、ディア。
一曲やっていってくれないか? 」
主が言う。
「ここんとこ、詩人日照りでな。
誰も来ないんだよ。
おかげで客が退屈しちまって、こっちは商売上がったりだ」
こぼすように愚痴る。
「いいよ。
何にする? 」
琴を片手にダイアンは店の片隅に座り込んだ。
「よっし、じゃぁ『ノーロウィル語り』だ」
店の片隅からお客の声があがった。
「大丈夫、か、な? 」
塀を飛び越えるとダイアンは用心深く辺りを見回す。
久しぶりに抜け出して出かけた城下。
開放感に浸って楽しんでいたわけではないが、遅くなってしまった。
日はすっかり沈んで、庭の植え込みの影は完全に闇が広がっている。
煙草屋の店主が言ったように、詩人日照りだったと見え、次から次へのリクエストで引き止められこんな時間になってしまった。
誰か代わりの詩人でもきたら押し付けて店を出ようと思ったのに、こういう時に限って誰も来ない。
詠いつづけたのと、煙草の煙で喉ががらがらだ。
「この放蕩娘が、何処いってたんだよ」
早いところ汗を流してベッドに潜り込んでしまおうと、気配を殺して先を急ごうとしたところを呼び止められた。
「なんだよ、お前っ。
煙草臭っ」
植え込みの影から出てきた、セリムは明らかに顔をしかめる。
午後いっぱい水煙草の煙の充満するほぼ密室にいたのだから無理はない。
さすがにダイアン自身にでさえもわかるほどの匂いが染み付いていた。
何も言わなくても何処に行ってたかばれるって物だ。
「あのなぁ、お前。
普通、女が出入りしないところに入り浸るってのはどうよ?
ってか、その前に何かあったらどうするつもりなんだよ? 」
完全に呆れきった視線を向ける。
水煙草を供する喫煙店と言えば、ほとんど女は近寄らない。
現にダイアンも店で女性の顔を見たことがない。
「ん~、でもねぇ……
吟遊詩人の詩を聴きたいと思ったらあそこが一番効率、いいんだもん。
それに一応場所も選んでるよ?
酒場は酔っ払いが多いし、この国の人間でない人も多いから近づかないもん」
「お前には必要ないだろう? 」
先日のザイードと同じことを言う。
「いつか必要になるの」
それが気に入らなくて、ダイアンは口を尖らす。
根拠を問い詰められたら、明確なことは答えられないけど、そんな気がする。
それに……
自分は生まれながらに詩人だって今でも思っている。
だから、どんなにそこからは遠ざかった生活を今はしていても、離れられない。
「そんなに、ここが嫌か? 」
じっとダイアンの顔を覗き込んで男は訊いてくる。
「嫌じゃ、ないけど…… 」
何故かいつもと違った真剣な眼差しにダイアンは戸惑った。
「でも、何時までもいられるわけじゃないから」
自分を可愛がってくれるのは皇妃だ。
それを了解しているから皇帝も快くダイアンを手元に置いてくれる。
でももしも、代が替わったら……
宮殿の中での事は主の皇帝の気持ち次第だ。
もしくはその妻である皇妃の思い通りに運ぶ。
そう言った光景をこの五年間、ずっと目の当たりにしてきた。
先のことなんてなんとも言えない。
『呪詞詠い』の才を高く買ってくれれば置いてもらえるかも知れないし、皇帝に別の意味で気に入られれば追い出される。
最悪、それで男の子なんか産んだら首を跳ねられる可能性だってある。
一見華やかでありながら、冷たくて恐ろしい……
ここは、そういう場所だ。
皇妃が始終ヒステリーを起こすのだって、恐らくはこの狂気に似た空気がその端を担っている。
ましてや自分は妃でも皇女でも、侍女ですらない中途半端な存在……
子供の時から身を置いて慣れてしまっているとは言っても、それが自分に降りかかるところは想像したくない。




