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5-3


「それで? 

 天下のシガ帝国皇帝が顔をにやけさせるほどの功績をあげた礼がそれか? 」

 男はダイアンの手にした小さな鍵を目に気に入らないといいたそうに首を傾げた。

「金無垢にしたって、随分安く上げられたもんだな」

 セリムはダイアンの手元からそれを抜き出すと目の前に掲げ確認するように見つめた。

「いいのよ。これだってあたしが欲しいって言った訳じゃないもん。

 どんなものだって陛下からの贈り物には違わないし」

 ダイアンはそれを取り返すように引き手繰った。

「あたしは、琴の弦だけで充分だったんだけどなぁ…… 

 っていうか琴の弦貰い損ねちゃった」

「ほっんとに、欲のない奴…… 」

「そう? だって琴の弦は絶対に必要だもの。

 その、部屋いっぱいは要らないけど」

「ああ、普通は金とかだろ? 

 そうしたら琴の弦だっていくらでも買える。

 それどころかフロル金貨一回に付き一枚貰っても、お前の場合見受け金になるほどもう溜まっているんじゃないか? 

 売られた金額に利息をつけて返してもかなり余るほど」

「そっか、そうだよね。

 あたしここに来てから、現金使ったことないから忘れてたかも? 」

 

 着る物も食べる物もここに来てから不自由したことがない。

 黙っていても出てくるし、欲しいと思えば与えられる。

 そんな夢のような生活に慣れきってしまっていたことにダイアンは軽くショックを受けた。

 ましてや身請け金なんて考えたこともなかった。

 

「ま、いいか。

 これで開けられるところ見つけて、開けたら中に入っているものは全部くれるって約束だし」

 ダイアンは鍵を顔のところまで持ち上げ透かして見る。

「問題は、これがどこの鍵かってことなんだよね」

 ダイアンは言う。

「お前知らないで貰ったのか? 」

 男は完全に呆れ顔だ。

「うん。もちろん。

 でもね、陛下も知らないみたいだったのよね」

 

 皇帝の住まう宮殿は広大な敷地で建物もそれなりに大きい。

 部屋数だって無数にあり、うっかりすると長年住まっていても足を踏み入れない区画があるくらいだ。

 

「ね、これ何処の鍵だと思う? 」

 駄目元で訊いてみる。

「何処って、俺にわかったら父上にはとっくにわかってるよ。

 何しろ年寄りの侍従とか宮殿の隅々まで知っているような奴が背後に控えているんだからな」

「そうだよね。

 陛下がただ受け取った鍵を確認もしないであたしに下さる訳ないし」

 

 言いながら鍵を握り締める。

 

 小さな金の鍵は掌の中でなんだか懐かしい感じがした。

 金属特有の硬いものではなく、柔らかなまるで苔むした緑の森のような、ひんやりとした優しい空気が漂う。

 

 忘れることのない、でももうずっと感じていない昔暮らしていた国の空気。

 

 懐かしい思いに胸が締め付けられた。

 

 見てくれはその辺りにある普通の鍵なのに、どうしてこんな感じがするのだろう。

 不思議な…… 

 まるで魔法でも持っているような…… 

 

「あ…… 」

 言葉にならない声を発してダイアンは立ち止まる。

「どうした? 」

「わかったかも知れない」

 同じような不思議な感覚にとらわれたばかりだ。

 

 あのときには誰かに呼ばれたような気がした。

 そう、それも今手の中にある鍵と対を成すように一応扉だった。

 

「来て」

 言ってダイアンは走り出す。

 

 

 書庫に足を踏み入れるとダイアンははしごを探す。

 見上げるほどに高い壁一面に造られた棚は相当背の高い男でも手が届くどころの話ではない。

 従って上部の棚に収められた書物を取るためにいくつか梯子が用意してある。

 梯子と言う長いものだけあって、目的の物はすぐに見つかる。

 ダイアンはそれに駆け寄ると手を掛けた。

 まずは目的の場所まで運ばなければいけない。

 梯子は、見た目より重かった。

 しかも長くて手にした部分より重心が上のものだから、バランスが取れない。

 立てかけてあった棚から外しただけでよろけてしまう。

 

「ディアヌ様? 」

 それを目に居合わせたここを管理する男が戸惑った声をあげ慌てて駆け寄ってくる。

「お申し付けくだされば、私どもが…… 」

 大きく傾いた梯子に手を添えそれ以上よろばないようにと力を貸してくれた。

「あとは、私が運びますから、どの本をご所望ですか? 」

 梯子を引き寄せながら言ってくれる。

 

「ん、本て言うか、あそこに手が届くようにかけて欲しいの」

 ダイアンは先日気がついた壁の壁画を指差した。

 長いこと気がつかなかった壁画だが、気をつけて視線を向けると今日もちゃんとそこにある。

「それは、ただの壁画ですよ」

 長官が言う。

「でも、多分あれだと思うのよね」

 もう一度見上げてその絵を確認する。

 この位置から見ると絵はあくまでも絵でしかない。

 

 でも…… 

 

 何故だろう、先日のことが頭を離れない。

 だから絶対ここだと思う。

 

「ね? ただの壁画だったら、どうしてあそこだけ避けて本棚が作られた訳。

 有名な画家が画いた宗教画とかならともかく、あんな何の変哲のないドアの画本棚の下にしてしまっても全く問題なかったと思うんだけど? 」

 現にそうしたところもかなりあると見え、本棚の端から壁画の隅が僅かに覗いているところがある。

「それはそうですが…… 」

 男は顔をしかめながらも扉の絵の近くに梯子を移動して掛けてくれる。

「ありがと」

 お礼を言って、梯子のすわりを確認するとダイアンはそれに足を掛けた。

「駄目ですよ、ディアヌ様。

 万が一お怪我でもなさったら…… 」

 長官がその姿を目に慌てて声をあげた。


「俺が上る」

 今まで黙って背後に立っていたセリムが、ダイアンの肩に手を掛けると梯子から引き離した。

 一段横木に足をかけるとそこに体重を預け慎重にすわりを確認する仕草をしたあとセリムはゆっくりと一段づつ登っていく。

 高いとは言っても室内での梯子段、程なく男は扉に視線と手が届く位置まで上り詰めた。

「どう? 」

 それを見上げてダイアンは声を張り上げる。

「んぁ? 」

 僅かに顔を傾けて男はダイアンを見下ろした。

 次いで飛び降りるような勢いで梯子を降りてくる。

「別に、長官の言うように本当にただの絵だった」

 両足が床に着地すると同時に言う。

「ん~、絶対ここだと思ったんだけどな? 」

 扉の絵を見上げながらダイアンは呟いた。

 

 何だろう? 

 確認してもらってもまだ、諦めきれないというか、ここだって気がしてならない。

 

 ダイアンは梯子に手を掛けた。

「っ、オイ! 

 今、ただの絵だって言っただろう? 

 俺の言うこと信用できないのかよ? 」

 不満そうな声をあげるセリムの声をよそに、ダイアンは軽い身のこなしで梯子を上る。

 セリムの言っていることを信用しないわけではなかったが、何故かここは自分で上らないといけないような気がした。

 

「ディアヌ様! 」

 長官も心配そうな視線を向けてくる。

「大丈夫。

 あたしこう見えても身軽だから! 」

 

 声を掛けているうちに、棚に立てかけたはしごの一番上の段に立ってようやく顔面に扉の画が来る位置にたどり着く。

 下で見守るような視線をくれる男たちにはいえないが、正直足元がおぼつかなくてあまり長居をしたい場所ではない。

 とりあえず、早いところ仕事を済ませてしまおうと、ダイアンは壁画に視線を向けた。

 

 セリムが言うように扉は本当にただの画だった。

 本当のドアどころか木や漆喰で盛り上げて扉らしく見せているものでもなく、完全な画。

 凹凸の一つもなく平坦だ。

 絵を壁面と同じ色で塗りつぶしてしまえばもう全くの普通の壁に戻ってしまう程の。

 

「やぱり、駄目か…… 」

 ダイアンはその画を掌でそっと撫でて呟いた。

「ん? 」

 何かを掌に感じてダイアンはその手を止める。

 なんだろう、かすかながら風のような、こことは違った空気を感じたような気がしてもう一度画を撫でる。

 今度は用心深くゆっくりと。

 すると鍵穴付近の空気が明らかに違っていることに気付く。

「なんだろう…… 」

 もう一度目を凝らして画を見つめる。

 扉はあくまでも画だった。

 それ以上のものでのそれ以下のものでもない。

 なのに何故か鍵穴付近の空気が違う気になる。

 それがどうしても引っかかってダイアンはその鍵穴に持っていた鍵を近付けた。

 その途端。ふっと、画全体の空気が変わる。

「何? 」

 呟いて画を見ると今までただの画だった鍵穴が明らかに孔となっている。

 何かに導かれるようにダイアンはその鍵穴に鍵を差し込んだ。

 予想していたとおり鍵は鍵穴にぴったりと合う。

 何故かまわせるような気がして、手首を捻って鍵を傾けた。

「カタン」

 乾いた音と共に鍵の外れる音がする。

 驚いて一瞬鍵を持ったまま手を引くと鍵に吸い付くようにドアがついてきて開いた。

「嘘…… 

 そんなことってある? 」

 茫然とダイアンは呟く。

 たった今までただの絵だった扉が実態のものとなって開いたのだ。

 中からはここの乾いた埃っぽいものではない全く別の空気が噴き出してくる。

 

 蒼い緑の匂いを含んだ湿気た空気…… 

 それはこの鍵を手にした時に感じたものと全く同じだった。

 

 あまりに懐かしい匂いにダイアンの胸が締め付けられた。

 

 忘れもしない、ずっと昔、まだ父親と一緒だった頃暮らしていた産まれた土地の空気だ。

 

 その匂いにダイアンの視界に一面緑の光景が浮かぶ。

 しかし瞬きしてみるがドアの向こうはごく普通の、今ここにある場所にふさわしい空間だった。

 ただの四角く切り取った一抱えの箱のような空間。

 色はまわりの壁と同じ僅かにクリーム色を帯びた白。

 瞼の裏に浮かんだ苔むした緑の森の光景とは全くかけ離れている。

 

 半ば肩を落としながらダイアンはその空間に視線を向ける。

 中には壁面と同じクリーム色を帯びた白い布で包まれた何かが収まっている。

「おーい? 」

 動きの止まってしまったダイアンを心配するかのようにセリムが呼びかけてくる。

「何かあったか? 」

「あ、うん」

 反射的に声のする足元に視線を向け、ダイアンは思わず目がくらんだ。

 こんなところに長居は無用だ。

 

 扉の向こうに収められた包みを手にする。

 予想していたものよりも随分軽い重みに少し戸惑いながら、扉を閉め鍵を引き抜いて梯子を降りる。

 今度は片手が開いていない分、少し時間を要した。

「ほれ、それよこせよ」

 少し下がったところでセリムが手を差し上げた。

 言われるままに包みを渡し、身軽になったことでダイアンはそっと息をつく。

 

 ようやく床に両足を下ろすとしがみついていた梯子から手を離し男に向き直る。

 同時にセリムが今預かった包みを差し出してくれた。

 


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