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5-2

 

「よくやった。

 褒美を取らそう、何が良い? 」

 セリムの言ったとおり、よほど満足しているのか、常時張り付いている側近でもあまり見たことのないと言う上機嫌な笑顔を向けてくれる。

「え? 」

 睫をしばたかせて隣の皇妃の顔を見るとあたりまえだと言わんばかりに微笑んでいる。

 その隣に控えた侍従も同じような顔をしていた。

 

 普通、宴席での褒美は皇帝のほうからその功績に見合ったものを適当に見繕って贈ってくれる。

 希望を聞かれるのは例外中の例外だ。

 恐らくは皇妃が可愛がっているということでの特別扱い。

 

 ただ訊かれても困ってしまう。

 

「何でもいいそうよ。

 遠慮しないでお願いなさい」

 黙ったまま何も言わないダイアンに皇妃が言った。

「ゾウなんてどう? 」

「えっと、それは…… 」

 まさかここで先日のゾウを持ち出されるとは思わなかった。

「ご遠慮します。

 その、世話が大変そうだし…… 」

「そうねぇ。

 確かに、そしたらお部屋が狭くなってしまうわねぇ…… 」

 皇妃が視線を泳がせた。

 

 正直今のところ、欲しいものはない。

 

「……考えておく、ではいけませんか? 」

 おずおずと言ってみる。

「またか? 」

 皇帝は困惑したように言う。

「そなたは、何時でも何も要らぬと申すが、何故そんなに欲がない? 」

 皇帝は首を傾げる。

「わたしは、ここに住まわせていただいて、皇妃様に可愛がっていただけて充分幸せだから…… 」

 顔をあげるとダイアンは答える。

 

 半分は本当のことだ。

 子供の頃父親と旅をしていた時のように始終お腹をすかせ、寒さに震えて道端で眠ることもない。

 皇妃はヒステリーを起こして手がつけられないこともたまにあるが、他の侍女とは格段に違う扱いで引き立ててくれる。

 人様の着古したぼろではない上等なものを着せてもらって、それなりに貴金属で飾り立て、美しく装ってただ琴を爪弾いていればいい。

 これ以上のことを望んだら罰があたる。

 

 本当は…… 

 

 どこか遠くへ行きたかった。

 誰にも縛られずに、何も言われずに…… 

 

 だけどそれはどんなに望んでも叶えられないことだとわかっている。

 だったら口にするだけ無駄と言うものだ。

 無駄以上に皇妃の耳にでも入ればまた大騒ぎになってしまう…… 

 

 華やかな衣裳も、華麗な貴金属や宝石も宝の持ち腐れだ。

 皇妃は召し使っている者が自分より華やかに装いを凝らすのを好まない。

 あまり過剰に過ぎると必ず機嫌が悪くなる。

 どんなに持っていても装うことすらできずにしまっておくのならないも一緒だ。

 あるだけ邪魔になる。

 

「……なにか、本当に欲しいものはないのか? 」

 皇帝は優しく目を細める。

「じゃ、弦が…… 

 琴の弦がいいな」

「また、それか…… 」

 ため息混じりに呟かれた。

 

 ダイアンにしてみれば琴の弦も充分に高価なものだ。

 特に皇妃の好む柔らかな音の出る弦はものすごく高価なくせに脆く、すぐに切れてしまう。

 何本あっても困るものではない。

 先日など危うく皇妃に怪我をさせるところだった。

 

 だから、更に頻繁に痛んだ弦を張りなおそうと思っていた矢先だ。

 沢山もらえれば豊富に使える。

 

「一部屋分で良いか? 」

 皇帝はならばととんでもないスケールのことを言い出す。

「いえ、そんなには。

 陛下が買い占めたら、国中の琴奏者が困惑しちゃうし…… 」

 ダイアンは慌てて首を横に振った。

 

「では、そなたにこれをやろう…… 」

 男が背後に控えた侍従に視線を送ると、心得たとばかりに赤いクッションが差し出された。

 金の房飾りのついたいかにもと言った感じの仰々しいクッションの中央には一本の鍵が乗せられていた。

 

「陛下、これは? 」

 皇妃がそれを覗き込んで首を傾げる。

「先日城下の視察の際に馬の前に飛び出してきたぼろを纏って竪琴を抱えた老人から渡されたものだが…… 

 何でも自分は先々代の皇帝に仕えていたもので、これはそのときにその皇帝から預かったものだと言いおる。

『城のどこかにこの鍵の合う扉が隠されているはずだから探してあけてみるといい』

 とか言って押し付けていきおった」

 皇帝は苦笑した。

「本当か嘘かはわからぬが、余にはその老人に何かそなたと通じるものを感じてな。 

 特に『歌姫によろしく』と言っておったから、これはそなたに預けよう」

「陛下、もしかしてそれって、背丈が小さくて髭が引きずるほどに長い老人じゃ…… 」

「そうだが? 

 よくわかったな。知り合いか? 」

「グラディウス老。あたしの、お師匠様…… 」

「あれが、世界最高と称される詩人か? 」

 皇帝は呟く。

「なら話は早い。

 これは尚更、そなたの物だ」  

 そう言うと皇帝は立ち上がる。

 侍従の捧げたそれに手を伸ばすと鍵を手に取り、次いでダイアンに歩み寄り手を取るとその手に鍵を握らせてくれる。

「扉を探して開けるがいい。

 中に収められたものがどんな宝でもそなたのものだ」

 宣言するようにそう言った。

 

 

「お師匠様、やっぱり来てたんだ」

 部屋を出るとダイアンは貰った鍵を手にそっと呟いた。

 

 老人がこの街にきているとしたら会って絶対に訊きたいことがあった。

 しかし皇帝の言う『先日』が何時のことかはわからないけど、恐らく先日酒場に現れた前後だと思う。

 となれば、今更抜け出して探しても捕まらないのは明白だ。

 諦めるしかない。

 

「それにしても、お師匠様が宮廷に仕えていたなんて考えられないんだけどな」

 ダイアンは首を傾げる。

 一緒に暮らしていた三年間はおおよそそれとは縁遠い生活だった。

 それに巷でも気難しいと有名で、道端の通りすがりのお客ですら気に入らないとリクエストを頑として受け付けない、そんな人物だった。

 その男が絶対服従を強いられる宮仕えができたなんてさっぱり考えられない。

 

 でも、そうするとこの鍵は? 

 

 何の変哲もない、しかもどこの扉かもわからない鍵だけを、わざわざ皇帝の馬を止めさせてまで手渡す意味がわからない。

 皇帝の行く手を遮るなんてことやらかしたら下手をすればその場で首が飛ぶ。

 あの老人がそんなリスクを犯すとはまた考えられなかった。

 

「な? 

 叱られなかっただろう? 」

 息を感じるほど近くの耳もとでふいに囁かれてダイアンは身体を竦めながら振り返った。

「セ、セリム? 

 もしかしてついていてくれたの? 」

 ダイアンは目を見開いて声をあげる。

「お前、怯えてただろう? 」

 頷きながらセリムは言う。

 

 男が部屋の入り口で控えていてくれたのは明らかだ。

 そこで待機していて、もし何かダイアンに不都合なことになれば割って入りとりなしてくれるつもりだったのだろう。

 

「その…… 、ありがとう」

 心遣いは嬉しいけど、そこまでしてもらうのが申し訳なくてダイアンは俯いたままで言う。


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