5-1
「ひっ!
申し訳ございません! 失礼いたしましたぁ」
半ば悲鳴に近い声をあげた後、新参の小間使いは頭を下げ蒼白な顔をして走り去る。
「あ、ねぇ、落し物! 」
取り落としたシーツと思われる布を拾い上げ手渡そうと声を張り上げるが、女の姿はすでにダイアンの視界から消えていた。
「ったく…… 」
誰も姿の見えない廊下の真中でダイアンは呟く。
っ……
ささっ……
よっ。
っと、
長い廊下を歩いていると、時折すれ違う者が慌てたように身を引いて道を開ける。
それもあからさまに怯えたような顔をして。
中にはさっきの女のように顔を見ただけで逃げ出すものまでいる始末だ。
「何もとって喰ったりしないんだけどなぁ」
手にしたシーツに視線を落とした。
宴の翌朝、噂の広がるのは早いものである。
昨夜ダイアンがしでかしたことはすでに奥向き全体に広がっていた。
誰もがダイアンに怯えて、それを隠そうともしない。
仕方なくダイアンは手にしたシーツを畳みなおすと、側の飾り壷の置かれた台のうえに置いた。
裏方に届けてもいいのだが、きっとそこでもまた同じ反応をされる。
怯えられるのはいつものことだ。
それをうっかり忘れて手加減しなかった自分が悪い。
暫くは誰の目にもつかないようにおとなしくしているに限る。
そう考えて庭に出た。
日中の鋭い日差しのせいで今の時間帯ここに人の姿はない。
肌を刺す強い日差しと乾いた風を全身に纏ってダイアンはそれを身体に取り込むように大きく息を吸った。
あまり日に焼けると皇妃にぼやかれるので極力日中の戸外には出ないようにしているから、この開放感は久しぶりだ。
……とはいえ。
さすがに皇妃からもお呼びがないと、暇を持て余してしまう。
庭園の真中に作られた泉の端に腰を下ろすと、ダイアンはそっと息をついた。
「明日は久しぶりに街に出てみようかな」
開放されたせいか、無意識に口から出る言葉。
さすがにあの一件以来、気軽に外出できる状態ではなくなっていたのだが。
今の、誰もがダイアンの姿を極力目にいれたくないとばかりに避けられている状況なら、半日くらい姿を消しても誰も気にしないと思う。
「どうした? 」
頭の上から声が降ってくる。
顔をあげると第二皇子の姿が目に飛び込んできた。
「ん、失敗しちゃったぁ」
ダイアンは息と共に吐き出す。
「ちょっとね、やりすぎちゃったんだよねー 」
視線を戻すと言う。
「夕べの宴のことだろ? 」
男はからかうような笑みを浮かべる。
「やっぱり、もう知ってるんだよね」
「知って、って……
お前、俺も宴席にいたの憶えてない? 」
「居たの? 」
ダイアンは睫をしばたかせる。
「居たのって、お前、どこ見てるんだよ? 」
「えっとね、セートネガンの大使が余りに印象が強過ぎて他のことなんて目に入っていなかったかな」
「それで、あの顛末かよ? 」
明らかに呆れ口調で男は言う。
「あのね、悪気があったわけじゃないの、よ。
その、ついつい…… ね。
ちょこぉっとなんだけどムキになっちゃって…… 」
ダイアンは肩を落とす。
言い訳なんかしても無駄なのはわかっている。
「だろうと思った。
よっぽど気に入らないって顔してたもんな。
俺が止めてやれればよかったんだろうけど、お前の吟詠が始まると同時に早々動けなくなっちまうし」
セリムは顔をしかめる。
「あんな気味の悪い詞、あたしに詠わせた大使が悪いのよ」
半ば自棄になってダイアンは開き直る。
「ただねぇ、陛下になんて思われたかって……
きっと気を悪くしたんだろうな」
現に皇妃からお呼びが掛からないのがその証拠だ。
暗に「夫である、陛下の面目をつぶしたことが、妃として気に入らない」と言われているようなものだ。
皇妃の機嫌が悪いから更に奥向きの人間が逃げて歩く。
簡単な図式だ。
「お咎め、なんだろ?
お説教くらいで済んでくれるとありがたいんだけど」
ダイアンは視線を落とすと、これ以上ないほどに大きなため息をつく。
「それなら気にする必要ないと思うぜ。
父上のやつ、あのあと一人で爆笑してたってさ」
「ホント? 」
胡散臭い目でダイアンは男を見た。
明らかに自分をかばってくれているとしか思えない。
「嘘、いってどうする?
大使が莫迦にした小娘にやられるところを見てるのは面白かったんじゃないか。
あのあとかなり上機嫌だったってさ。
そのうちに褒美がなんかくるんじゃないのか?
楽しみにしてろよ」
「いや、それはないんじゃない?
絶対」
誰に言われなくてもそのくらいのことはわかる。
あれほど『失礼のないように』と言われていたのに、大使の精神をこれ以上ないほどに追い込んだのだ。
ただで済むわけがないとわかっている。
「ディアヌ様、こんなところにいらしたんですか? 」
首をかしげているといつもの侍従が駆けてくる。
「陛下がお呼びですよ」
広い建物の中を急ぎ足で捜していたと見え、侍従は息を切らしている。
「そら、きた」
反射的にダイアンは立ち上がった。
この侍従が自分を探しているときは大概迎えに来た時だ。
「じゃ、行って来るね」
ダイアンは男に向き直ると言う。
「ああ、最悪追い出されたら、俺のところに来いよ。
拾ってやるから」
「あはっ、そのときには首が跳んでるけどね」
軽く言って侍従の後に続いた。
「まったく、いい加減にして下さいよ。
どれだけ探したと思っているんですか? 」
長い廊下を先導しながら侍従は言う。
「皇妃様のお部屋にいらっしゃらないときには、本当にあっちこっち……
お部屋か書庫か決まったところにいて欲しいものです。
それがよりによって今日はお庭とは、また日に焼けたと皇妃様に叱られますよ。
ディアヌ様の人より秀でたところといったらそのアラバスターの肌だけなんですから」
ここに引き取られた時から面倒を見てもらっている、この侍従の口調だけはいつもと変わらないものだ。
それが今のダイアンにはなんとなく嬉しかった。
「陛下、ディアヌ様をお連れしました」
玉座の間の入り口でそう告げると侍従は深く下げた頭を上げ戻っていった。
広い豪華な装飾のされた部屋に踏み込むと、正面の大きな椅子に腰を下ろしたくつろいだ姿の皇帝がいる。
その隣には珍しく皇妃の姿もあった。
めったなことでこの二人がこの場所にそろうことはなかったから、ダイアンの気は更に重くなる。
「皇帝陛下にはご機嫌麗しく…… 」
その前に進み出るとダイアンは床に座り頭を下げて型どおりの挨拶をする。
「昨夜はご苦労だったな」
重い声が部屋の中に響き渡った。
その声に思わず身体が竦む。
「陛下」
口添えするような皇妃の声。
「良い、顔をあげなさい」
皇帝のその言葉に少しは気が軽くなる。
頭を上げていいと言うことは少なくとも厳罰だけは逃れられそうだ。
何故か、皇帝が笑みをこぼしたような気がして、ダイアンは顔をあげるとその顔を見つめた。
「何をそんなに怯えておる? 」
からかうような皇帝の声にダイアンは戸惑った。
「だって、お客様をあんな目にあわせて…… 」
戸惑いながらかろうじて口を開く。
「よい、気にするな。
あの詞を指示したのは大使のほうだ。
違うか? 」
皇帝は身体を前に乗り出すとダイアンの顔を覗き込んだ。




