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4-2

 

 午後の蒸し暑い日差しが嫌が応でも眠気を誘う。

 その気だるい空気に合わせてダイアンは琴を爪弾く。

 陽気にあわせた気だるい音が部屋の中にこだました。

 中には目を閉じてそのまま転寝をはじめる者もいる。

 それらの眠りを妨げないようにダイアンは琴を爪弾く力を抜く。

 

 その音にダイアンはさっきからしきりに首を傾げていた。

 弦でも緩んでいるのか、……なにか微妙に音が外れる。

 

 ただその音はダイアン以外には感じとれないものらしく、皆何も言わない。

 皇妃の部屋には、いつもと変わらないゆったりとした時間が流れていた。

 

「失礼。

『歌姫』殿はこちらですかな? 」

 その静寂を破るように突然遠慮がちではあるがはっきりとした声が部屋の入り口から掛かる。

「はい、いらっしゃいますよ」

 アーチの側に控えていた取次ぎ役の侍女が室内を覗き込みダイアンの姿を捉えると答えた。

「皇帝陛下からのご要請です。

 明日の晩、セートネガン王国の大使を迎えての宴を開くので是非一曲そのお声を披露していただきたいと」

 言いながら皇帝の侍従長は進み出て、お付きの抱えてきた荷物を手にとり差し出した。

 

「ね、今度は何? 」

 訊きなれない男の声にその頃には部屋に居合わせた侍女のほとんどが浅い眠りから引き戻されている。

 そしてダイアンに差し出された貢物を興味深々と言った様子で覗き込む。

 

 ダイアンはそれには目もくれずに寝台に横たわる皇妃の顔をうかがった。

 

「陛下の要請では仕方がありませんね」

 皇妃が口を開く。

「本当に、わたくしの娘は見世物ではないと何度言っても…… 

 きっとお客人に見せびらかしたくて仕方がないのでしょう」

 言う皇妃の声も少し得意げだ。

 

 了解が取れたところでようやくダイアンは男の差し出した荷物を受け取った。

 

 桜色の薄いシフォンの胴着に揃いのヴェール。

 細い金の鎖でつないだ真珠の額飾りと揃いの耳飾。

 同じ装飾が胸衣にも施してある。

 靴まで揃えられた衣装一揃い。

 

 あくまでも豪華でありながら、踊り子が身につけるもののように華美ではない落ち着いた晴れ着だ。

 

「まぁ…… 相変わらず陛下のご趣味はすばらしいですこと」

 どこからともなくため息がこぼれる。

 

 これを着て宴席に出ろということだ。

 こういった余計な動作をしようものならすぐに破れてしまいそうな、見てくれだけの衣装や華美な装飾は好きではない。

 もっと実用的でこざっぱりとしたものの方がいい。

 

 宮廷で開かれる宴席では、踊り子や手品士、楽器奏者など宴を盛り上げる一端を担った者にその功績に合った褒章が下される風習があった。吟詠もその一つだ。

 本来ならば、こうした褒美の意味のある皇帝からの贈り物は事が済んでからがほとんどなのだが、一度身なりに構わないダイアンが着の身着のまま、宴席に出て侍従たちを慌てさせたことから、以後宴席の前には必ずこうして褒美の前払いのように華美な衣装が届く。

『歌姫』には姫と名がつく以上、声以外のものも期待されているのだろう。

 

 届けられた衣裳を小間使いに渡し、ため息をつきながらダイアンは下ろしておいた竪琴を手に取る。

 

 微妙に音の外れた弦を軽く巻きなおしてみる。

 途端にそれがはじけとんだ。

 小さいが鋭い音が部屋の空気を劈く。

「っ痛…… 」

 指先に軽い痛みを覚えてダイアンは無意識に呟く。

 ぽたりと鮮やかな真紅の雫が数滴膝に落ち膝に広がる。

「ディアーヌ! 」

 皇妃がそれを目に慌てて駆け寄った。

「皇妃様、お怪我は? 」

 血の滴る指先を抑えながらダイアンは訊く。

 はじけとんだ弦の端はどこへ跳ねたかわからない、自分はともかく皇妃に怪我などさせては一大事だ。

「わたくしはなんともなくてよ。

 それより…… 」

 皇妃の視線はダイアンの指先に向かう。

「まぁ、なんてことでしょう。

 指を切るなんて…… 」

 その白い指でダイアンの手を包み込むと眉をしかめる。

「今日はもういいわ、お下がりなさい。

 誰か、ディアーヌの手当てを」

 背後に視線を動かして声を張り上げる。

 その言葉に甘えてダイアンは一礼して皇妃の居室を出る。

 

「どうして? 」

 部屋に戻り傷に軟膏を塗ってもらいながらダイアンは呟いた。

「どうかしましたか? 」

 その声を耳に侍女が訊いてくる。

「ん、なんでもない…… 」

 口ではそういいながら、ダイアンは嫌な予感に苛まれていた。

 

 皇妃に怪我をさせないように弦の調整はいつも部屋を出る前に厳重にしていたはずだ。

 その弦が皇妃の目の前で切れるなんてありえない。

 少なくとも今まで一度もなかった。

 幸い皇妃に怪我がなかったらよかったものの、もし顔にでも傷をつけたらと思うと震えがくる。

 

「……新しい弦を頼んでおいてくれる? 

 大至急張り直したいから急いでね」

 琴を手に取り、切れた弦を確認しながら、ダイアンは侍女に言いつけた。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

「さぁ、できましたよ」

 結い上げた髪の上からふんわりとヴェールをかけそれを額飾りと一緒に止めた後、その姿を確認しながら小間使いが言う。

「相変わらず、素敵なご趣味ですね」

 女はうっとりとため息をこぼした。

「そう? 」

 ダイアンは肩に掛かるヴェールを邪魔だと言わんばかりに背中に押しやりながら立ち上がる。

 真珠の額飾りがかすかに揺れ小さな音を立てる。

 表向き皇帝陛下のお見立てとして贈られてくる衣裳が本当は誰が見立てているのか知る由もないが、この華美でありながら派手過ぎない上品さは男の手では余るとダイアンは常々思っている。

 好みは別にして用意された衣裳は何時でもダイアンの髪や瞳の色を考慮した、映りのいいものばかりだ。

「お仕度はできましたか? 」

 表から迎えに来た侍従が遠慮がちに声を掛けてくる。

 その声を受け、ダイアンは傍らに置かれた竪琴を手にした。

 

「あの、こちらでは? 」

 侍女がその隣に置かれた真新しい竪琴に視線を贈る。

 月桂樹の梢で小鳥が遊ぶ意匠が彫られ金箔が施された華美な竪琴は、前回の宴席を勤めた際、皇帝から贈られたものだ。

 今ダイアンが手にした物よりよほど見栄えがする。

「ん~、それはちょっとね。

 音色が硬いって言うか、手に合わないって言うか…… 」

 ダイアンは曖昧な返事をする。

 着る物は妥協してもさすがに琴の音までは妥協したくない。

 それが、父親と旅をした間からずっと持っていた、くたびれささくれ立ったものであっても。 

「じゃ、行ってくるね」

 言い置いてダイアンは部屋を出た。

 

 迎えにきていた侍従長の後を追って建物を出る。

「今日の客人は、表向きセートネガンの大使ですが、実際は王太子殿下です。

 ご無礼のないようにくれぐれもお願いしますね」

 歩きながら侍従が説明する。

「それと、王太子殿下とは言っても実際は四十過ぎ、我が皇帝陛下と御歳はほぼ同じですから、そこのところもご注意を…… 」

「四十過ぎの王子様? 」

 なんだかぴんと来なくてダイアンは訊き返す。

「はぁ、セートネガンの現国王は齢八十歳を越しておりますから…… 

 王座が空かずに未だに王子の身分に甘んじているとでも言いましょうか」

 侍従はしどろもどろに説明する。

 

 要は普通なら高齢の国王に代わって政治を司っていてもいい年齢ながら、老王が政権を手放さないのをいいことに、こうして好き勝手に気軽に異国にまで来てしまう人物らしい。

 


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