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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十日 金曜日 午後
9/31

 敏江は何かを思い出すように目を泳がせた。

「確かに派手好きでしたねぇ……。車を改造した時は、離婚も考えましたよ」

 引き攣った笑顔を見せた様子からするに、今の発言には少なからず本気のニュアンスが混じっていたのだろう。

「車の改造はまずいですなぁ……法に反しとりますから」

 重松が柔和な笑みを浮かべる。今さら過去の車の改造をとやかく言うつもりも無いし、その必要も無い。

「せやけど、前科もありませんでしたし、基本的にはワルっちゅう感じやなかったんでしょう?」

「はい、法に反するような事は車の改造くらいです。でもお恥ずかしい話です……」

「それはご主人が自分でやらはったんですか?」

 佐久間が低い声色で尋ねる。恐らく暴走族と繋がりそうな話だと勘繰っているのだろうと重松は考えた。

「はい、独学やと思います。車が好きで車の雑誌なんか頻繁に読んでました」

「車好きの友人なんかはおられませんでした?」

「どうでしょう? 私は特に知りませんけど……」

 嘘をついている雰囲気ではない。本当に知らないといった感じだ。

「同じように改造した派手な車に乗った、そう……暴走族みたいな奴と会うたりしてたとか、ありませんか?」

 僅かな可能性を力づくで手繰り寄せようとする佐久間だが、敏江の反応は薄かった。

「暴走族なんてまさか……。さすがにそこまで踏み入ってはないと思います」

 やはり本心から出た言葉のようだった。

 そのような繋がりがあれば、もう既に判明していただろう。半ば分かりきっていた事だったが、佐久間の声は少し落胆している。

「他には例えばどういう事がありましたか?」

「話すのも恥ずかしいような事ばかりで……。年甲斐もなく派手な服をよう着てました」

「気ぃが若かったんでしょうなぁ。羨ましい事ですわ、私なんか何を着てもおっさんにしか見えません」

「いえいえ、夫がおかしいんです。年相応の格好をしたらええのに」

 敏江は苦虫を噛み潰したような顔をした。ますます幸の薄そうな印象になる。

「ほんなら、あの雑誌も旦那さんの物ですか?」

 佐久間が居間の一角にある書棚を指差していた。正確にはその書棚の一番下の広いスペースだ。そこには横文字でタイトルの書かれた、ファッション誌が数部並んでいた。

「あぁ、そうなんです。あんな物お見せして恥ずかしいです」

 言葉とは裏腹に、三年経った今でも捨てられずに残っている。敏江の心境を垣間見たようだった。

「私にはよう分からん世界ですなぁ。ファッションには疎いもんで」

 重松の言葉に偽りは無かった。刑事になってからというもの、同じような背広ばかり着ている。プライベートでも専ら無地のシャツだ。

 そう言って書棚から目を切ろうとした時、別の段に収められている物に目が止まった。

「ん? あの上にあるのはアルバムですか?」

 淡い黄緑色や臙脂色、ピンク色など色とりどりの立派な背表紙が書棚の中でも目を惹いたのだ。

「はい。昔からの撮った写真を入れてます」

「ちょっと拝見してもよろしいですか?」

「ええ、まぁ……でも、ほんまに何の変哲もない写真ですよ?」

 敏江は何故そんなものを見たがるのかと、珍奇な物を見るような目で重松を眺める。

 だが、敏江の視線などお構いなしに重松は立ち上がり、いくつもあるアルバムの中から適当に一冊選んで手に取った。

「これはいつ頃の写真が入ってるんですか?」

「ちょっと見せて貰えますか?」

 敏江がアルバムを重松の手から取り上げる。適当に中頃の頁をめくると、光沢紙同士が剥がれる時のペリッという音がした。重松は久しぶりに卒業アルバムを開いた時を思い出した。

「うーんと、十年くらい前のやつです」

「そしたら旦那さんは四十歳くらいの時ですな……。見せて下さい」

 重松が両手を差し出すと、敏江は開いたままのアルバムをその上に載せた。

 映っていたのはどこかの山あいの風景や、敏江と秀之のツーショットだった。写真は十年の年月の間に僅かながら色褪せてしまっている。

「そう言うたら、旅行も趣味やと聞きましたなぁ」

「はい。その写真は長野の日本アルプスに行った時の物です」

「ええですなぁ。緑に囲まれて気持ち良さそうな所で」

 頁を一枚めくると、小さな檜風呂に入っている秀之の写真が目に飛び込んできた。

「入浴中の写真まであるんですな、なかなか写真がお好きで」

 重松の言葉に合わせて、佐久間も目を細めて愛想笑いを作っている。しかし敏江の表情から陰りは消えはしなかった。

「それは確か、旅館の部屋に付いてる露天風呂で私が撮った物です。当たり前ですけど、皆が入る露天風呂では写真なんか撮れませんから」

「そうですな。公衆浴場での写真撮影はようないですわ」

 重松は大袈裟にかぶりを振る。さらに頁をめくっていくと、別の観光地の写真も現れた。

 敏江によればそれは長崎に旅行に行った時の物だという。ハウステンボスや原爆の像など、テレビで何度も見た事のある風景で彩られている。

「ここでも風呂の写真がありますな。やはり個室の風呂ですけど」

 今度は室内の風呂の写真だった。しかし、室内とはいえ大きな窓からは遠くの海が臨めるようだ。黒い大理石が水滴を美しく弾いている。

「旦那さんは風呂も好きやったんですか?」

 佐久間が首を伸ばしてアルバムを覗き込みながら訊く。

「特別好きという訳やないです。旅行に行ったら温泉とか風呂は付き物ですから……」

「そらそうですな」

 重松は納得したように顎をさすった。

 ――他にも四国や石川など、この一冊だけでも様々な観光地での旅の様子が収められていた。

「旅行言うたら、海外も行かはるんでしょう?」

「ええ、海外旅行も好きでした」

「派手な民芸品を買うてきた事もあるとか?」

 敏江が純情な少女のように身をよじる。

「そんな事までご存知で……。ほんまにお恥ずかしい限りです」

「いやぁ、旅行先で気分が高揚して、不要な物まで買うてしまうなんてようある話ですよ」

 実際にはよく分からなかった。重松には旅行など行く暇もなければ、一緒に行く相手もいない。

「海外て、どこの国に行かはったんですか?」

「夫と一緒に行ったのは、タイとかバリ島とかスウェーデンとか……。夫が一人で行ってた所もありますけど……」

 建設会社の一社員にしては随分と優雅な趣味を嗜んでいたようだ。日常生活よりも趣味に金をかけるタイプだったのだろう。

「なるほど……。事件から三年経ちましたけど、新しく思い出したこととかありませんか? なんぼ些細なことでも構いませんが」

 問いながら、有益な答えなど帰ってこないと確信していた。記憶は風化はしても、劇的に蘇りなどしない。

 敏江の表情には一貫して幸の薄そうな影が落ちていた。それを見ただけでもまさに暖簾に腕押しだった。

「……いえ、特には」

「ほんなら、最後にこれだけ訊かせて下さい。財布のことなんですけどね」

「財布……ですか」

 語尾が疑問形でなかったことから察するに、これも訊かれ慣れた質問だろう。

「ええ。三年前も訊かれたと思いますが、旦那さんは小銭入れと札入れは別に持ってはったんですなぁ?」

「そうです。小銭入れに免許証を入れてました」

「札入れには大金とかは入れてはらんかったんでしょう?」

「それはもう、うちはそんなにお金に余裕も無かったですから……」

 もう少し旅行を控えれば良かったのではないかとも思えたが、傷口に塩を塗るようなことはしない。重松は口を噤んでいた。

「免許証は小銭入れに入れとったっちゅうことですが、札入れの方にも身分証明書の類は入れてはったでしょう?」

 敏江はぼんやりと視線を斜め上の宙空に向けている。

「……そうですねぇ、保険証とか名前の入ったポイントカードとかばっかりやったと思いますけど……あんまり夫の財布の中なんか覗かへんからよう分かりませんけど」

「そうですか。ありがとうございます」



「警部、どうでした? なんかめぼしい収穫はありましたか?」

 マンションの駐車場でそう尋ねたのは佐久間だった。

 口にはセブンスターが咥えられている。佐久間もまた喫煙者だが、重松のようにヘビースモーカーではない。

「新しい話は特に聞けへんだなぁ……。せやけどあの奥さんもかなりやつれとったし、あれ以上聞くのも酷やろう」

 セブンスターの煙が重松の鼻と目を刺激する。それを誤魔化すように自分のラークの箱に手を伸ばした。

「ん? しもた、煙草切れとる。佐久間君、一本くれへんか?」

「ええですけど、セブンスターでかまへんのですか?」

「セブンスターは愛煙家が皆通る道やろ?」

 口角を上げてニヤリと笑う。佐久間はセブンスターの箱を重松の顔前に差し出した。

「貴重な一本やのに……」

「よう言うわ、佐久間君は日に十本くらいしか吸わんやないか」

「あら、バレてました?」

「煙草はちょっとしか吸わん代わりに、新聞に火点けて吸うとんのやろ?」

 二人が背を反らしながら笑い声を上げる。鈴木と前嶋がやや離れた所でぎこちなく間を持て余しているようだった。

「とりあえずこれから俺と前嶋君、佐久間君と鈴木君で組んで周辺の聞き込みや。高峰の交友関係を中心に」

「高峰と仲の良かった人の住所とか職場とかは控えてあるんでしょう?」

 佐久間がポケットに手を突っ込んだまま、上体だけを鈴木と前嶋に向ける。

「はい、当時も交友関係は徹底して洗いましたから」

「ほんなら回りましょか。あんまり期待は出来ませんけど……」

 佐久間は煙と一緒に大きく息を吐き出すと、鈴木の隣ににじり寄った。こめかみを汗粒がつたっている。

 重松もハンカチで汗を拭い取った。澄んだ青空と汚れない真白な雲は美しい夏の一コマを切り取っているようだったが、重松には照り付ける太陽の陽射しが、捜査の難航を予言しているように感じられた。

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