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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十日 金曜日 午前
7/31

「どうも、和歌山県警橋本署の加越かえつです」

 差し出された名刺には警部補と記されている。

「本件はうちの署でも連続殺人ちゃうかと言われてたんですが……どうもお宮になってしまいまして」

 伏し目がちに顎を引くと、シャツの襟に首が隠れてまるで亀のように見えた。

「お宮に入れるにはまだ早いですわ。昨日も新しい被害者が出とるんやから」

 重松の言葉に加越が細い顎を引きながら笑みを浮かべる。歯並びが悪いのがよく分かった。

「こいつは私の部下の鎌田かまたです。彼も捜査本部の一員でしたので、力になれるかと……」

「鎌田です。宜しくお願いします」

 はっきりした眉毛に二重瞼の澄んだ瞳が特徴的で、刑事と言うよりも新人の営業マンようだ。

 重松も自らの部下を紹介してから、江口に二人分のコーヒーを注文した。

「午後一番の捜査会議でそちらの事件の概要を説明してもらいますが、とりあえず我々にまず説明して欲しいですなぁ」

「はぁ、では三件順番に説明させてもらいます。鎌田君、頼むわ」

 加越が顎を引く。どうも話すときに顎を引くのが癖のようだ。

 指示を受けた鎌田が唇を舐めてから、口を開く。

「一番最初に起こったのが二〇〇六年の九月の事件です。橋本市の三石山の山中で遺体が燃やされました。検視によれば死因は焼死でなく、殺害されてから燃やされたと……。但し焼損が激しかったもんで、それ以外の事はあんまり分かってないです」

「身元に関しては、全く何も掴めてないんですか?」

 美由希が問いかける。

「遺体には灯油がかけられた上で燃やされてましたから、DNAも採れませんでしたし、財布も無かったので身分証明書の類も見つからず……。山の中でそんだけ燃やされましたから、軽い山火事になってえらいニュースにはなったんですが……」

「身元を特定する情報が何もありませんから、どうしようもなかったんです」

 加越が言う通り、いくら事件が起こっても身元を特定出来なければどうにもならない。重松は同情するかのように深く頷いておいた。

「やから、ホシを何とか特定しようとしたんですが、夜中の山の中で目撃者もおりませんで……」

「恐らく犯人は被害者をどこかで拉致したと思われますけど、その目撃情報とかは無かったんですか?」

 コーヒーを運んで来た江口が、加越と鎌田にコーヒーを出しながら尋ねる。加越などは天恵の顔立ちをしている江口に妬みの視線を送っているようだった。

「橋本市やその周辺の市町村で聞き込みを行いました。もちろん、直前に捜索願が出されている人の住所の近くで重点的に。せやけどめぼしい証言はありませんでした」

「被害者の住所も橋本市周辺とは限らんからなぁ。身元の割れとる三件とも、拉致場所と遺棄場所は離れとるから」

「あとは、現場に残されたホシの痕跡を探りましたが、これもあきませんでした」

 鎌田が首を左右に振る。

足跡ゲソコンとか車のタイヤ痕とか見つからへんだんですか?」

「足跡は採れました。でも、大手メーカーの大量生産品で購入ルートから探るのは事実上不可能です。しかも、新品やったらしくて、すり減り方とかの特徴も分かりませんでした」

「サイズは分かったんでしょう?」

「一応、二十六・五センチから二十七センチ程度らしいとは分かりました」

 全員の表情が曇った。一般的な成人男性なら相当多数が該当してしまうサイズだ。

「それやと、特定は厳しいなぁ……。まぁ男の可能性が高まったくらいか」

 重松が呟く。だが、ある意味では予想通りの展開でもある。だからこそ発生から四年以上経った今でも迷宮入りしているのだ。

「次行きましょう。被害者も加害者も手掛かりが少な過ぎますし」

 美由希の提案に一同が同調する。

「次が二〇〇八年の九月です。橋本市の寺の境内が現場でした」

「寺?」

「寺言うても、小さい寂れた寺です。もちろん夜中の犯行やから、目撃者もおりません。やはり灯油をかけて火を放たれました」

「やっぱりDNAとか採れませんでしたか?」

「いや、実はこの遺体からは採れたんです」

 その答えに、尋ねた佐久間の方が却って意外そうに口をすぼめる。

「ほぉー。でも身元不明てことは、前科無しですな」

「ええ。やはり毛髪がかろうじて採取出来ましたが、前科者とは一致せず、橋本署で捜索願が受理されてる行方不明者とも照合したんですが、これも一致しませんでした」

「行方不明者全員とですか?」

「いや、さすがに数が多くなり過ぎますんで、比較的最近で事件に巻き込まれた可能性のある人を中心にです。家族がDNAのサンプルを提供してくれた分だけですけど……」

「その捜査は間違うてません。高峰にしても、村上にしても拉致後一週間以内に遺棄されとるから、最近に絞ったのは合うてる」

 重松が述べると鎌田が幾分安堵したように小さく息をいた。加越は隣で顎を引いている。

「他の件から考えると、被害者の居住地がもっと違う所なんでしょう」

「そうや、この犯人は被害者の住所と犯行現場を遠く離すことで、警察の管轄の盲点を突いとる。同じ管轄内やったらすぐに身元も判明したかも知れへんけど、管轄が違うて分からんまま時間が経ったら経つほど、身元の割り出しも困難になる……。なかなかずる賢い奴やで」

 警察の管轄の盲点、という言葉にどこかむず痒さを感じる。重松は椅子に下ろした尻を僅かに上下させて、座り直した。

「犯人がそこまでして被害者の身元を隠そうとしてるのは、やっぱり被害者の身元が分かったら、犯人に繋がるからなんでしょうか?」

 江口が冷涼な口調で訊く。

「現状ではそう考えるのが妥当やろうなぁ……」

「この被害者も財布は無くなってたんですか?」

「ええ。やはり、ありませんでした」

「で、最後が武原知彦やな」

 重松は先程一覧を書き上げたホワイトボードに視線を送っている。身元が分かっているケースは、解決の糸口を掴めるかも知れない一条の光のように見えた。

「二〇〇九年十月、九度山町の廃ビルです。九度山も橋本署の管轄でした。身元が分かったんは、燃え残った頭髪からDNAが採取されたからです」

「さっきからその話をしとったんやけど、前科があったんやろか?」

「はい。仰る通り、傷害の前科がありました。武原はガラの悪い男で、勤め先の工場でも同僚と揉めたりして度々問題を起こしてたらしいです」

 そう言えば武原の顔を知らなかったなと、重松は会ったこともないその男の顔を想像してみた。

 ギャンブルにはまって借金を抱えており、ガラが悪く、傷害の前科持ち、板金塗装工……。村上と同様の雰囲気を感じた。

「ようそんな男、雇ってましたなぁ」

 佐久間が呆れたような声を上げる。ギャンブルなら競馬も同じような物だと重松は内心で揶揄していた。

「まぁ、工場も人手不足みたいでしたから……。最初は、前二件と類似点がありましたんで、連続殺人の三件目ちゃうかと見られてました」

「せやけど、自殺でカタがついた」

 鎌田が弱々しく俯き、口を結ぶ。捜査に関わっていた彼らも、どこかで腑に落ちない点はあったのだろう。

「捜査本部でもギリギリまで、三件目か無関係かで意見は割れました。結局、借金で首が回らんだみたいやし、一件目や二件目と違て水筒が置いてありましたから、自分で灯油かぶってライターで焼身自殺したんやと結論付けられました……」

 自分達の下した結論に対し、懐疑の念を抱いているのが明らかな鎌田と、隣で飄々としている加越の二人が妙な対比を描いている。

「正直言うて、我々もその結論には疑問です。水筒から指紋は検出されんかったとか?」

 佐久間がそのように告げなくとも、ホワイトボードに武原の名前が並べられているのを見れば、一目瞭然だろう。

 橋本署の捜査に対し、大阪府警が異議を唱えている……。構図は明らかだ。

「ええ、そうなんです。おまけに武原は喫煙者でしたから、ライターを持ってたって何もおかしいことはないんです」

「なるほど……。ところで、昨夜遺棄された村上は昔暴走族に所属してたんやけど、武原はそんな事は無かったんやろうか?」

「ガラは悪かったのは確かですが、そういう事は無かったみたいです。暴力団(マルB)絡みちゃうかと考えられた時期もあったんで、過去の経歴も深う探ったんですが……」

 やはり高峰の事も含めて、暴走族絡みではなさそうだ。暴力団の線も、高峰や村上の過去にそういった影が無い以上考えられないだろう。

「過去の経歴で気になる事は?」

「特に……対人トラブルはよう起こしてましたけど、殺人に繋がるほどのことは……」

「しかも連続殺人やから、他の被害者と関連が無かったらあきませんしねぇ」

「因みに、武原は枚方に住んどったみたいやけど、家族は?」

「一人暮らしでした。両親も枚方市内に住んでましたけど」

「一人暮らしってことは、村上同様自宅を訪ねて来た犯人に拉致されたんですか?」

 美由希が問う。

「恐らくそうやと思います。武原が最後に工場に出勤した日の夜に、住んでたアパートの武原の部屋に灯りが点いてたんを、同じアパートの住人が目撃してますから」

「堺市に住んどった時期とかは無いんやろか?」

 高峰と村上が堺市居住であることから、当然湧いてきた質問だった。

「いやぁ、そんな事は無かったと思います。勤め先も枚方でしたし……」

「そうか……」

 三件の話を聞いて、ますます混迷を極めたと言ってもやむを得なかった。高峰・武原・村上と微かに繋がりそうで繋がらない。重松は痒いところに手が届かないようなもどかしさを感じていた。

 壁掛け時計に目をやると、いつの間にか正午が迫っていた。

「もう昼や。兵庫県警の話は捜査会議で聞くしかないな」

「それで何か分かればええんですけど……」

 美由希が力なく溜息を漏らす。

「身元不明やからなぁ。まずは身元の割り出しが出来んと、苦しいやろうな」

 そう答えた佐久間はもう席を立っている。差し詰め美由希を昼食に誘おうと考えているのだろう。

「江口君、弁当取ってくれるか?」

 重松は江口に弁当屋の安い幕の内弁当を注文し、ポケットから二つ折りの財布を取り出し、無造作に紙幣を手渡した。言わずもがな江口の分の代金も込みである。

「ほんなら、僕は肉野菜炒め弁当でも……」

 と、誰に言うでもなく呟きながら、江口は部屋を出て行った。

 重松は手元の財布を見つめていた。所々はげて茶色がまだら模様になっている。

「財布か……」

 重松の頭に引っ掛かっているものがあった。犯人が遺体から財布を抜いた訳だ。

 単に金目当てなのか、それとも被害者の身元を隠すためか……

 いずれにしても腑に落ちなかった。高峰の免許証の入った小銭入れを現場に落としたり、燃え残った頭髪からDNAを採取されたりしている。身元を隠そうとしているにしては杜撰な所が散見される。

「難儀やなぁ」

 重松はラークを咥え、ライターで火を点けた。肺の中一杯に紫煙が拡がる。

 犯人が遺体を燃やした理由もそうだ。身元を隠したいなら、そもそも燃やすなどという方法よりも、山中に埋めてしまう方がよっぽど安全だ。

 ふうっ、と煙を吐き出す。正午を告げるチャイムが鳴り響き、気付けば会議室には重松一人になっていた。

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