表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十日 金曜日 午前
5/31

 本拠地である府警本部に凱旋した重松を待っていたのは、江口とどこか誇らしげな美由希だった。

 美由希は捜査に進捗があった時や光明が差した時には、不思議とそのような雰囲気を醸し出すのだ。オーラとでも表現すれば良いのだろうか……重松も上手く説明出来ないが、今まさに発せられているそのオーラに期待せずにいられなかった。

「江口君、勝野君、この部屋に戻ってるっちゅうことは似たような事案、見つかったんか?」

 声が僅かに上ずってしまい、心の中で苦笑する。

「はい、思ったよりも簡単に見つかりました。しかもたくさん」

 半歩踏み出しつつ報告する様に、美由希の気分も上気しているのが手に取るように分かる。

「ああ、その前に紹介しとこか。豊中署の鈴木刑事と前嶋刑事や」

 重松は部下達と鈴木や前嶋が畏まって挨拶を交わすのを見届けてから、美由希に問いかけた。

「たくさんて、どれくらいや?」

「四件です。和歌山で三件、兵庫で一件です」

「大阪の三件と合わせたら七件か……」

 明日の新聞の一面が目に浮かぶようだった。当の美由希も伏し目がちになっている。

「なので和歌山県警と兵庫県警に応援を要請しましたが、それで良かったですか?」

 横から問いかけてきた江口を見上げながら、重松は黙って頷いた。応援が到着すれば、すぐに事件の概要を教えてもらわなければならない。

「あとどれくらいで到着するんや?」

「和歌山県警の方がもうすぐ着くはずです。そっちは探し出してすぐに見つかったから、要請したのも結構前ですんで」

「よっしゃ。管理官に報告は?」

「もちろんしました。午後に豊中署、北署、和歌山県警、兵庫県警のそれぞれの事件の情報を纏めるために、また捜査会議を開くとのことです」

 冷静に、ある意味冷酷さを感じさせるまでの淡々とした口調で江口が述べた内容は、殆ど重松の予想通りだった。

「とりあえず見つけた四件について、詳細は応援が来てからにして、今分かってる概要だけ教えてくれ」

 自らの言葉が終わるのに焦れたように、言葉尻が消えぬ間に椅子に腰を下ろす。

 佐久間、美由希も重松の周りの適当な席を選んで、腰掛ける。江口は皆の分のコーヒーを淹れようと準備に取りかかる。

「豊中署のお二人さんも、座って下さい」

 佐久間に勧められるままに、鈴木と前嶋もいそいそと腰を沈めた。

 着席した面々の様子を見回してから、美由希が警察手帳のぺージを繰りながら開口する。

「そしたら、三件見つかった和歌山から行きます。和歌山県警でも連続殺人とちゃうかと、警戒されてたみたいです」

「そらそうやろなぁ。三件も同じような手口の事件が続いたんやから」

「まぁ順を追って説明します。まず見つけた四件の中で、唯一被害者の身元が判明してる物から……」

 江口が全員のコーヒーを運んできた。この季節には似つかわしくない白い湯気が悠悠と湧いている。

「二〇〇九年の十月に和歌山県の九度山町の廃ビルで、武原知彦たけはらともひこが遺棄されたケースがありました。武原は三十三歳で小さな板金塗装の工場で働いてました」

「一年も前とちゃうな……。せやけど、そんな事件ニュースでも見た記憶ないけど?」

 重松がコーヒーカップに手を掛けながら、漏らす。

「それが、この事件は自殺の線が濃厚やと見られてたみたいで……」

「自殺やて?」

 素っ頓狂な声を上げたのは佐久間だ。隣に座っていた鈴木が肩を僅かに上下させた。

「ええ、現場にライターと水筒が落ちてたんです」

「ライターと水筒?」

「中に灯油が少々残ってたんで、自分で自分の身体に灯油をかけてライターで火を点けたと見られてました」

「それでもここにその情報を持って来たっちゅうことは、自殺にしては疑わしい点があるんやな?」

「大きく報道されてなかったんで、詳しくは分かりませんけど、水筒からは武原の指紋が検出されへんかったみたいです」

「それは妙やなぁ。まともに捜査されてないんやろ」

 警察関係者の自分が同じ警察を非難することに、重松は喉に物が引っ掛かったような感覚になったが、目の前にいる部下達だって同じ思いを抱いた事は聞かずとも明白だった。

「それ以外で分かった事は、武原の居住地は大阪の枚方市やってことと、ギャンブルにはまって借金が嵩んでたってことくらいですね」

 恐らく借金を抱えていたことが、自殺との結論を支える一つの要因になったのだろうと容易に想像出来た。

「枚方か……」

 佐久間が腕組みをしてふんぞり返る。その顔は曇っている。

「高峰と村上には堺市居住っちゅう、一応の共通点があったんですけどねぇ」

「もっと広う見て、大阪府に住んでると括ることは可能ですけどね……」

 江口の声に覇気は無い。大阪府に住んでいるというだけで共通点と言ってしまうのは、殆ど何も分かっていないのと同じ事だからだろう。

「さっきも言うたけど、詳細は応援が来てからや。この件は置いといて、残りを教えてくれ」

「はい。残りは身元が不明のままなので、ほぼ言える事も無いんですけど……」

 美由希は苦虫を噛み潰したような表情を作った。

「まず二〇〇六年九月です。和歌山県橋本市の三石山の山中が現場でした」

 その後挙げられた和歌山、兵庫の件と、大阪の三件の発生日時・被害者・遺棄場所について、江口の提案でホワイトボードに時系列に沿って列記された。



二〇〇六・九 身元不明 和歌山県橋本市三石山


二〇〇七・九 高峰秀之(堺市居住) 豊中市


二〇〇八・五 身元不明 兵庫県養父市氷ノ山


二〇〇八・七 身元不明 和歌山県橋本市


二〇〇九・十 武原知彦(枚方市居住) 和歌山県九度山町


二〇一〇・三 身元不明 大阪市北区


二〇一〇・八 村上勇太(堺市居住) 泉南市



 黒いインクで並べられた記号の集合体が、俄かに意味を持って重松達の思考を揺るがす。

「こうやって並べると、何となく見えてくる物もあるような気ぃがしますな」

「和歌山の橋本が二回か……」

「橋本に何かあるのかも知れませんなぁ」

 重松は頭の中に近畿地方の地図を思い浮かべた。天気予報などでよく見かける紀伊半島の形状。

「橋本って和歌山の北のほうやなぁ?」

「一番北やったんとちゃいますかね。多分大阪の南側と接してたと思いますけど」

 江口が宙空を眺めながら答える。彼は紀伊半島を頭の中ではなく、宙に描いているのだろう。

「九度山町っちゅうのは?」

 ぴたりと時が止まったように静寂が場を支配する。佐久間がわざとらしく吹き出した。

「九度山って……全然知りませんな」

「誰か日本地図持って来てくれ」

 フットワークの軽い江口がすぐに持って来る。

 地図帳の和歌山県が記載された頁を探り当てると、華奢な指先で記された地名をなぞりながら「九度山町」の文字を見つけた。

「ありました、九度山町」

 江口の白い歯がこぼれる。重松が残りのコーヒーを一口で一気に啜り、地図帳に顔を近付ける。

「そうか、九度山町は橋本市と隣接してるんか……」

「これは絶対に何かありますな。橋本市に」

「泉南市も堺市も大阪の南部という点では近いですし」

 美由希が九度山町と橋本市のすぐ北西に泉南市が位置しているのを何度も指を往復させながら指摘する。その頬は紅潮している。

 元々色白なだけに目立つ頬紅だが、机に片肘を突きながら上目遣いにその様子に見入っている佐久間の方が、重松からすれば余程分かり易かった。

 何故か自分も恥ずかしいような気持ちになったので、意味もなく側頭部を軽く掻いてみた。

「犯人の生活圏が橋本市周辺にある可能性は出て来たな」

「せやけど、自分の生活圏で遺棄をするでしょうか? 僕なら、自分とは全く関係の無い所を選びますけど……」

「そうやなぁ……。生活圏以外に、犯人にとって何かしらの理由があるのかも知れん」

 全員が深く頷き、意思を共有するが、答えらしきものは見つからない。

「あの……話題は変わりますけど、なんで武原の身元は判明したんですか? それも分かりませんでした?」

 長駆を縮こめながら尋ねたのは鈴木だった。

「ああ、それなら当時の新聞に書いてました。遺体の頭部からかろうじて燃え残った頭髪から、DNAが採取されたとか……」

「DNAから判明って、前科でもあったんやろか?」

「そこまでは……また和歌山県警の応援が来たら聞きましょう」

 会議室に掲げられたシンプルなデザインの掛け時計によれば、応援が到着するまでもう僅かだった。

「もうすぐ着くやろうし、それまでに勝野君と江口君は豊中署の二人から、高峰の事件について聞いといてくれ」

 それだけ言い残すと、重松は会議室を後にした。佐久間が会議室の隅の方の席に目を付け、振り向きざまに美由希と江口に告げる。

「てことで、二人はしっかり聞いといてや。俺と警部はもう車の中で聞いたから」

「はいはい、仰せの通りに。で、警部は煙草でも吸いに行ったんやろうけど、佐久間さんは応援が来るまで何を?」

 江口が醒めた視線を送る。問うてはいるが、その答えを彼は熟知している。

「俺か? 俺は情報収集や」

 と、黒革の鞄から器用に折り畳まれたスポーツ新聞を取り出す。

 どっかりと腰を下ろすと、難なく目的の頁を開いた。

 江口の方からは見えないが、佐久間の目に様々な文字の羅列や、しなやかな筋肉が盛り上がった競走馬の写真が映っているであろうことは、容易く想像出来た。

 暇さえあれば――例え職務時間中だとしても――スポーツ新聞で競馬やプロ野球の記事を漁るように読み込んでいる姿は、捜査一課強行犯係の中でも有名だ。

「あの人はいつもあんなんやから気にせんといて下さい。あれでも頭は切れはるから……」

 江口が鈴木と前嶋に対して、まるで漫画のキャラクターのように大袈裟に肩をすくめると、美由希も目を細めて愛想笑いを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ