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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十二日 日曜日 午前
17/31

 朝の捜査会議の後、佐久間と豊中署の鈴木の二人が真っ先に向かったのは、堺市の菱谷の友人宅だった。菱谷の学生時代からの友人だという触れ込みだったが、事件から二年近くが経ち、悲哀の情は感じられなかった。

 菱谷と堺市とを繋ぐ糸ということで色めき立っていたが、大したことは分からずじまい……

 菱谷が堺市を訪れるのは、専らその友人と遊ぶ時くらいで、それ以外に菱谷が堺市に関係を持つようなことは見つけられなかった。

 ならば犯人が菱谷の入れ墨を確認出来たのも、その友人との繋がりの中でだとしか考えられなかった。

 しかし、その友人ですら菱谷が腰に入れ墨を入れていることを知らなかったという。

 菱谷の両親に聞き込みに行った班からの報告によれば、中学生の頃に非行に走っていた時期があったらしい。入れ墨はその頃に入れたようなのだが、高校の頃には更正し、その後は親しい友人にも隠していたのだ。

 菱谷の女性関係に関しても、重点的に聞き込んだ。いくら隠していたとはいえ、裸になれば見えてしまう。ならば菱谷と肉体関係を持った女性ならば、当然入れ墨の存在を知ることが出来たからだ。

 件の友人から菱谷が交際していたという女性を紹介してもらい、すぐに会いに行ったものの、やはり空振りに終わった。

 彼女は入れ墨の存在は知っていたが、それ以上でもそれ以下でもなく、彼女自身の事件との繋がりは見あたらなかった上、菱谷の遺棄事件の時のアリバイまで完璧に成立していたのだ。

 ――と言っても、佐久間は憂鬱な気分にはならなかった。

 女性関係に共通点があったのなら、既に浮かび上がっていたに違いない。そのように平明な共通点ではないことなど、覚悟していたのだ。

 その他の女性関係についても念のために捜査することとなったが、それは他の班に任せて、佐久間と鈴木は福島区の菱谷の自宅近くに住んでいたという職場の同僚の元へ向かうことにした。

 ――大阪市福島区の北端近く。淀川の水面みなもが朝の陽光を反射しながら群青色に染まっている。

 海老江で高速道路を下りると、さながら海辺の街のような風情が漂っていた。目につく建造物は橋梁か高層マンションばかりで、住生活の匂いはあまり感じられない。

 そなような人工的な街並みを縫いながら、車同士がぎりぎりすれ違えるくらいの道路に入っていくと、ようやく人の生活の気配がしてきた。

「この辺まで入ってきたら、随分生活感が出てきますなぁ……」

 助手席で後頭部で手を組み、退屈そうに生あくびを繰り返しつつ佐久間が呟く。

「淀川沿いの辺りは、家を建てるには向いてなさそうな所でしたからね。高いマンションばっかり目立ってましたけど」

「その友人の家っちゅうのは四階建ての小さいマンションらしいですなぁ」

「何か分かったらええんですけど……」

 鈴木は消え入るようなか細い声を漏らした。

「望みは殆ど無いでしょうね。堺市でめぼしい話を聞けんかったんですから」

 窓の外に目をやると、派手なデザインの自転車を漕いだ少年達が、ふざけ合いながら逆方向へと消えていった。

 今日は夏休みの日曜日だ。のべつ幕無しに曜日感覚など消え去るような日々の嵐をくぐり抜けているという点では、自分達とあの少年達は同じかもしれない――佐久間は感慨深くサイドミラーの少年達の背中を追っていた。

「せやけど、なにか関係はあるはずやと思いますけどねぇ……。犯人が堺市を拠点にしてて、そこで入れ墨を確認したんやったら」

「でもあの友人が言うてた事って……大したことやないですしねぇ。菱谷は大学時代から酒が好きやったとか、二人でよくボウリングをして遊んでたとか、ちょっと心配性やったとか……」

「うーん……まぁ難しいですねぇ」

 またしても幼い子供達が嬌声を上げながらどこかへ駆けて行った。この辺りには夢の国でもあるのだろうか……

 サイドミラーに写った自分の顔が、どこか優しげになっているのに気付き、佐久間は照れくさそうに目を瞑った。



「『被害者の入れ墨を確認する手段を隠すための行為』ですか……」

 美由希は声のトーンを変えずに呟いた。

「犯人はどうにかして彼らの入れ墨を見たんや。普段は隠してた入れ墨を。その手段はまだ分からんけど、そこにもう一つの共通点がある筈や」

「もう一つの共通点……」

「例えば最初は皆が同じ店で入れ墨を入れたと思たけど、それはちゃうかった。皆が同じ女性関係を持ってたんちゃうかっちゅうことも、探りは入れてもろてるけど、ちゃうやろな」

「まぁ確認する手段に関しても何かしらの共通点があるのは間違いないですね」

 美由希の表情が険しくなる。昨日自分で言った、入れ墨は道標に過ぎないという言葉が自分の肩に重くのしかかる気がした。

「ほんでそのもう一つの共通点を隠すために、財布を盗ったと思うんや」

「財布からバレてしまうような共通点やったと?」

 重松は自らの財布を取り出して見せた。

「財布にはお金以外にも色んな物が入っとる。勝野君もそうやろ?」

「ええ、もちろん……。カード類、色んなお店のレシート、クーポン券とか、あとはお守りなんかも……」

 上瞼の裏を見るように、眼球を上に吊り上げて財布の中身を列挙する。

「そうやろ? 色々入っとるんや。そのどれかにもう一つの共通点がバレる物があったんちゃうやろか?」

「なるほど、皆同じ店のレシートを持ってたりしたら、すぐに繋がりが見つかりますもんね」

「そういうことや。こんな物騒な事件がただの金目当てやとは思えんし、絶対にそういう意図がある筈や」

 その時、閑散な会議室に黒電話のベルが轟いた。反射的に二人共が自分の携帯電話を手に取る。

 しかし、手に取った頃には美由希は自分宛の電話でないことを察知した。黒電話のベルを着信音になどした記憶がない。身の回りで黒電話のベルを着信音にしているのは重松くらいだ。

「はい、重松ですが?」

 不器用に語尾が上がったところを見ると、登録していない電話番号からの着信だったらしい。

「――ああ、どうされました? ええ? 話があるから今から会いたい?」

 重松の怪訝な顔つきは美由希にも不穏な胸騒ぎを起こさせた。

「分かりました。ほんならすぐに向かいますわ」

 通話が終了すると、間髪を入れずに美由希が開口する。意識より先に喉から疑義の塊が吐き出されたのだ。

「誰からですか?」

「柴崎や」

「え?」

 美由希は口が半開きになったまま、ワンテンポ遅れた時空に取り残されたようだった。

 時空の歪みはすぐに美由希自身の声で解消される。

「あ、あぁ昨日甲斐物流で会うた人ですね」

「せや。なんか知らんけど、俺に話したいことがあるらしい」

「今から会いに行くんですか?」

「なんでも、今日仕事で高槻の方へ来るらしいんや。そのついでに話があるっちゅうねや」

 美由希は既に半身はんみになっている。ならばすぐにでも車を借りてこようとの姿勢だ。

「分かりました。でも……何の話でしょう?」

 そう尋ねる美由希の右手は既にドアノブに触れている。鈍い銀色からは冷ややかな感触を容易に想像出来た。

「昨日のあの怪しい態度……。自分からゲロするつもりになったんやろ」

 口角を捻じ曲げた不敵な笑みを浮かべると、ワイシャツの胸元のボタンを一つ外しラークを咥える。

 ライターにごく小さな火種が灯るのを見届けると、美由希は部屋から躍り出て行った。

 甲高いパンプスの足音が遠ざかりゆく。重松は次第に小さくなる美由希の背中を想像しつつ、紫煙を燻らせていた。

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