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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十二日 日曜日 午前
16/31

「――このように、被害者の共通点として腰や太腿に入れ墨があるということが浮かんだ。そして、腰や太腿の入れ墨という観点から残る身元不明の遺体の身元の割り出しを急いだ結果、今朝早くに所轄から連絡があった」

 話し始めてからまだ数分しか経過していないが、永野は顔中に汗を浮かべていた。

 一旦マイクを机に置き、一枚の写真をホワイトボードに貼り付けた。

「八件の内、四件目に起こった事件。二〇〇八年五月に兵庫県養父市の氷ノ山で遺棄・焼損された遺体は、大阪市福島区に居住していた菱谷玲二ひしたにれいじという男の可能性が高いことが判明した」

 重松は目を細めて写真を見た。

 村上のように非常に若い青年だ。髪は黒髪でやや長め、鋭い目つきに尖った鼻は冷たく感情を感じさせない。

「歳は当時二十五歳。府内の大学を卒業後飲料メーカーに勤めていた」

「菱谷にも入れ墨があったんですな?」

 重松が挙手もせずに問いかける。永野は露骨に憤慨の表情を浮かべると、鉛をぶら下げているかのように重そうに唇を開いた。

「ああそうだ。彼は腰の背中側、高峰と同じ場所に入れ墨があった」

「でも、それだけで被害者とは断定出来へんのとちゃいますか?」

「まぁ説明を聞いてくれ」

 永野は重松の方に目もくれず、手元の資料に視線を落とす。

「昨夜福島署から、二〇〇八年九月の事件発生の五日前に行方不明になり、捜索願が出された人物に腰に入れ墨があったと連絡があった……。もちろん、さっき重松君が言ったようにそれだけでは断定出来んが、実は菱谷の友人関係に関して重大な事実が分かった」

「友人関係?」

 永野はホワイトボードの方に向き直り、椅子から立ち上がる。捜査員達はその一挙手一投足を食い入るように見つめていた。

「この菱谷には学生時代からの親しい友人がいたのだが、その友人というのが堺市に住んでいた。友人を訪ねて頻繁に堺市に行っとったらしい」

 時の流れが緩慢になったような静寂の緊張感が流れる。皆が堺市という言葉に敏感になっているようだった。

「堺市との繋がりがあるっちゅうことか……」

「堺市との繋がりから被害者であることが濃厚やというのは分かりましたけど、例えば枚方に住んでた武原なんかはどうなんですか?」

 挙手をした上でそう質したのは美由希だった。

「武原に関しては、まだ堺市との繋がりは見つかっていない。だかこれからの捜査でそれは明らかになると踏んでいる」

 重松は美由希と永野の一連のやり取りを頭の中で反芻しているうちに、昨日山梨で会った柴崎のことを思い返していた。

 矢沢保と堺市や橋本市との関係性について、思い当たる節はないか尋ねた時、確かに柴崎は狼狽していた。やはり矢沢と堺市との繋がりもあるのではないか……

 一人顎を揉みながら思案していると、永野から名指しされ現実に引き戻された。

「重松君。では昨日山梨に行ってきた成果を報告してくれ。被害者に入れ墨という共通点があることは大きな成果だが、他には何か報告すべきことは無いか?」

 甲斐物流でのやり取りのことを話すべきか逡巡したが、隠す必要も無いと判断した。

「実は矢沢が働いとった運送会社の社員に話を聞きに行ったんですが、そこで私と勝野君は柴崎っちゅう矢沢の親しい同僚に会うたんです。そこで私は矢沢と堺市または橋本市との繋がりで思いつくことは無いかと尋ねました」

 永野は当然だといった具合で顔をピクリとも動かさない。

「すると、どうも堺市に関して引っ掛かりがあるような反応が返ってきました。向こうは否定してましたけど……」

「何でその時きつう問い質さんかったんや?」

「話が終わる前にもう一遍訊きましたけど、やっぱり否定されました。被害者と堺市との関係がまだはっきりしとらんだ段階でしたから、否定されたら強うは訊けませんでした」

 美由希はじっと重松の横顔に見入っていたが、重松の話が終わると一緒に永野を見やった。

 二人からまじまじと見られた永野は不機嫌そうに頭を掻いた。

「ほんならもう一回確認した方がええやろ。被害者と堺市に関係がある可能性は大きなってきとるんやから……」

 やはり永野は重松に釣られて関西弁が隠せなくなっている。

「それはそうと管理官、そもそも管理官は被害者と堺市の関係についてどう思うてはるんですか?」

 重松が逆に訊き返した。

「まぁ堺市に住んどった者が多いし、菱谷はよう堺市を訪れてたみたいやから堺市のどこかで犯人のターゲットに選ばれたと考えるのが自然や。ちゅうことは、犯人の拠点も堺市にある可能性が高い」

「そうですわ。我々もそう思います。柴崎は矢沢と堺市との繋がりについて知らんとは言いましたけど、仕事で堺市に出向くことはあるんちゃうかと認めてましたから、矢沢に関しても仕事で堺市を訪れた時に何かしらの理由で犯人に目を付けられた……」

 永野は無言で頷いた。異議なしという意思表示だ。

 犯人は表面から見えない入れ墨をどこかで確認して標的を選んでいるのだ。その手段を暴く鍵こそ堺市にあるのではないか。捜査会議の共通認識が創り上げられた。

 ――その後、永野から武原や矢沢の堺市との繋がりを探ることに重点を置くよう指示がされて、この日の朝の捜査会議は終了した。

 重松は佐久間と多くの捜査員を武原や菱谷の友人や親族の元に向かわせた。徹底的に聞き込んで、どんな些細なことも逃さぬように念を押した。

 江口には唯一身元の手掛かりすら掴めていない一件目の被害者を割り出すことを命じた。江口達が堺でリストアップした人物でまだ消せていない人物もいくらか残っているのだ。



 会議室には美由希と重松の二人となった。

「勝野君。今日はここで考え事に付き合うてくれ」

「考え事ですか?」

「そうや。武原、菱谷、それから一件目の被害者……全部他の捜査員に任せたし、柴崎のことも向こうは山梨や。必要な時に電話でもしたらええ」

「ほんなら、ここで何を考えるんですか?」

 艶やかで陶器を思わせるキメの細かい肌の美しさに、重松は年甲斐もなく左胸の辺りに疼きを感じた。

 はらりと流れる短な黒髪も健康的な若さを主張している。

「とりあえず他の皆には、堺市との繋がりを明らかにしてもらおうとしとる。せやけどもう一つ考えたいのが橋本市や」

「なるほど、そっちも大事ですもんね」

「橋本市とその隣の九度山町。これが八件中三件や。ただの偶然とはどうしても思えへん」

 背もたれに体重を預けて仰け反る。どこを見るでもなく、飾り気のない天井付近にぼんやりと視線を放り出していた。

「何か警部に考えはあるんですか?」

「今朝の電車で色々と考えを巡らせとった……。被害者は堺市に住んどった者が多いっちゅうのは、とうに分かっとることや。でも被害者に橋本市っちゅう共通点は今の所無い」

「これからも見つかりそうにありませんね……」

 美由希は唇をへの字に曲げる。その意見に重松も同感だった。

「多分被害者に橋本市絡みの繋がりは無いやろな。柴崎かって明らかに堺市だけに反応しとった」

 重松は一度唇を舐めて潤した。

「なら橋本市周辺が三件もあったのは犯人にとっての都合やとしか思えへん」

「犯人の都合?」

 美由希の声色がやや上ずった。

「これは一つの仮説やけど……」

 重松は徐に立ち上がると、もう何度も睨めっこしたホワイトボードの前に歩を進めた。マーカーを一本手に取ると、それを指し棒のようにして講釈を始める。

「まず一件目に犯人は遺棄場所として橋本市を選んでる。その後二件目、三件目、四件目は別の所や」

 美由希はただ頷きながら見入っている。瞬きの瞼の動きだけがやけに目立った。

「ところが五件目、六件目は二件続けて橋本市周辺や。もし犯人が橋本市と自分の関係を隠したいなら、もっとばらけさす筈やろ?」

「そうですね。あんまり橋本市ばかり続けると目立ってしまいますから」

「七件目と八件目はまた別の所……。こうは考えられんか? 犯人は橋本市に何かしらの土地鑑があると」

「土地鑑ですか……」

「そう考えるとこんなストーリーが立てられるんや。犯人にとって初めての犯行やった一件目は、土地鑑がある場所を選んだ方が安心やから橋本市にした。せやけどさっき言うたように、続けると目立ってしまうから四件目までは違う場所を選んだ」

 重松はマーカーのキャップを外し、四件目の『氷ノ山』の文字を円で囲んだ。

「四件目が兵庫県の氷ノ山や。廃ビルとか公衆トイレとかと違て、山の中や。例えば犯人が遺棄をする前か後かに何かしらのトラブルに遭うたとしたらどうや?」

 さながら個人塾の講師のように質問を投げかける。美由希はすぐに重松の腹の中を察したようだ。

「あんまり知らん土地での犯行を続ける中で、トラブルに出くわして、また安心出来る橋本に戻った……」

「そうや、勝野君! それが言いたかったんや」

 マーカーの先端で美由希の顔の方を指すと、美由希の白い歯がこぼれた。

「ちょっと警部、大袈裟ですよ。数学の超難問を解いたんちゃうんですから!」

 途端に固く沈んでいた空気が柔らいだ気がした。重松も穏やかに顔を綻ばせる。

「ついつい興奮してもうたわ。勝野君が言いたい事をぴったり当てるから」

「……でも何かしらのトラブルって何でしょう?」

 美由希が首を傾げる。

「兵庫県警の捜査でそれらしい物を掴めてへんから何とも言い難いけど、例えば遭難しかけたとか、誰かに目撃されかけたとか……」

「うーん、想像の域は出ませんね」

「そう、あくまでもこれほ仮説やからな。せやけど、こう考えたら犯人は橋本市に土地鑑があると見ても不自然やないやろ?」

「橋本市に土地鑑……。一体犯人は何者なんでしょう?」

 重松が申し訳なさそうな笑みを浮かべて自らの椅子に再び腰掛けた。

「それが今分かったら苦労せんがな。犯人は何かしらの方法で被害者の入れ墨を確認出来た人物で、且つ橋本市に土地鑑がある人間や」

「そこまで分かっただけでも、だいぶ前進したような感じがしますね」

 肩肘を張って喜びを表現する美由希は少女のようだった。だが彼女の素直で心に響く感情表現は、不思議と見る者に力を漲らせてくれる。

「確かに前進や。全くもって正体も分からん霧のような相手を追うてること考えたら、人物像が掴めただけでも十分や」

「せやけど、ここからどうするか……ですね」

「これから犯人に迫る上で、もう一つ考えたい事が、財布や」

「被害者は皆財布を盗られてましたね」

「まずその目的や。犯人が遺体を燃やしたのは、最初は被害者の身元を隠したいからやと思とった」

 重松は少し顔を上げて、双眸に力を込めた。ピースをはめ違えたことに対する悔恨の念を表したつもりだった。

「でも実際はその事よりも、入れ墨があるのがバレへんようにする事の方が、犯人にとって大事やった……」

「そうや。単純なことやったけど、昨日あの写真を見るまで気付かんかったんや」

 一度柔らいだ世界が、また硬直しだす。重松はそのような雰囲気を感じ取り、慌てて舵を切り直した。

「ああいや、ちゃうちゃう……そんなん今更悔いてもしゃあないんや。言いたかったのはそうと違て、燃やすのは犯人にとって『被害者の共通点を隠すための行為』やったっちゅうことや!」

 殆ど頭を抱えたような状態で早口にそうまくし立てた重松に、美由希は子供を護るような微笑みを向けた。

「そんなに慌てて空気を重くせんとこうと頑張らんでも大丈夫ですよ。で、遺体を燃やすのが『被害者の共通点を隠すための行為』やったとしたら、財布を盗ったのは……?」

「財布を盗ったのは『被害者の入れ墨を確認する手段を隠すための行為』やと思うんや……」


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