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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十一日 土曜日
14/31

「江口っちゃん、でかしたな!」

 大阪府警本部に帰った江口を出迎えた佐久間は、頗る上機嫌だった。

「佐久間さん、えらい元気ですね」

「そらもう、警部が入れ墨の共通点に気付いて、江口っちゃんが二瓶を見つけてくれたんやから」

 佐久間が自分より長身の江口の肩に右手を乗せる。

「それもありますけど、どうせ他の事例探す仕事の合間でたっぷり休み取れたからでしょ?」

「鋭いなぁ」

 目を瞑って嬉しそうに何度も頷く佐久間に対し、江口は呆れた視線を浴びせていた。佐久間はあっけらかんとして卑しい笑みを浮かべているだけだった。

「で、他の事例は見つかったんですか?」

「ああ、残念ながらもう無かったわ。北海道の隅まで探したんやけどな」

 江口はその言葉を疑わなかった。佐久間はこんな性格だがすべき仕事はきちんとこなすのだ。

「ほんなら全部で八件ですね」

「ホワイトボード見てみ? ちゃんとまとめといたったで」

 江口は佐久間が指差す先に目を向けた。




二〇〇六・九 身元不明 和歌山県橋本市三石山


二〇〇七・九 高峰秀之(堺市居住) 豊中市


二〇〇七・十一 矢沢保(甲府市居住) 甲府市


二〇〇八・五 身元不明 兵庫県養父市氷ノ山


二〇〇八・七 身元不明 和歌山県橋本市


二〇〇九・十 武原知彦(枚方市居住) 和歌山県九度山町


二〇一〇・三 二瓶典和(堺市居住) 大阪市北区


二〇一〇・八 村上勇太(堺市居住) 泉南市




「どうや、身元が割れた五人は全員が腰とか足に入れ墨があったんやで。もっと早う気付くべきやったよなぁ。犯人が遺体を燃やしたのも、身元を隠すことよりも入れ墨があるのを隠すためやったんや」

「しゃあないですよ。入れ墨を見せびらかしてたわけやありませんし、親しい人やないと入れ墨があることも知らんかったでしょうから」

「高峰の奥さんなんか、入れ墨のことはあえて言わんかったみたいやし……」

「そら最初から入れ墨のあることが共通点やと分かってなかったら、こっちもそんなこと聞きませんからね」

 江口は側にあった椅子に尻から落ちるように座り込んだ。一日歩き回った足腰は疲弊しきっていた。

「共通点が分かったのはこっちにとってデカい武器やなぁ」

 佐久間が視線を合わせるように江口の正面の椅子を引いて腰掛ける。

「ええ。実は昨日リストアップした中から、もう一人被害者の可能性が高い人物が浮かんでるんです」

「ほおー、そら初耳やな」

 佐久間は意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「入れ墨っちゅうキーワードのお陰ですよ。二〇〇八年七月の事件、橋本市の寺に遺体が遺棄された事件です。この事件が起こる数日前に捜索願を出されてた人間がいたんですが……」

 そこまで聞いた佐久間は右の掌を広げて佐久間の言の葉を遮った。もう話は飲み込めた、と言わんばかりの勢いだ。

「その人物には入れ墨があったんやな?」

「そうなんです。警部が入れ墨の共通点に気付いて連絡をくれてからは、入れ墨の有無を真っ先に確認しましたから。そしたら、最後に当たった黒木清次郎くろきしんじろうっちゅう男がヒットしたんです」

「寺の事件言うたら、確かDNAは採取出来とったんやなぁ?」

「ええ、昨日鎌田刑事がそう言うてました。せやからすぐに和歌山県警の科捜研カケンに黒木のDNAサンプルを送りました」

 DNAの照合には二、三日はかかるだろうが結果を待つまでもなく、黒木が被害者と見て間違いないだろうと江口は確信めいたものを持っていた。

 一日靴をすり減らして歩いた末の第六感である。だがこのような第六感も、軽んじることは出来ないことを江口は現場で捜査に携わるうちに実感していた。

「DNAが一致したらそれで決まりやな。黒木で決まったら、残りは二件か」

「警部が府内の全警察署に対して、腰回りに入れ墨のある人物で捜索願が出されてる人物を洗うように要請してもらうと言うてましたから、それもすぐ明らかになると思いますよ」

「府内の全警察署か……。えらい大事おおごとになってきたなぁ」

 佐久間は上半身を左右に捩りながら地鳴りに近い呻き声を上げた。背骨が乾いた破裂音を立てている。

「堺市内で捜索願が出された人物のリストからも、まだ消せてない人物が何人かいますけど、他の警察署も頼りにせんなあきませんね」

「江口っちゃん、被害者は堺市居住が多いっちゅうのは明らかやけど、これどう思う?」

 問いつつも佐久間はセブンスターを咥えた。

「佐久間さん、会議室の中禁煙ですよ」

「大丈夫や、携帯灰皿は持ってるから」

「そういう問題ちゃいますよ……。社内分煙って言葉を知らはらんのですか?」

 江口は肩を竦めた。

 肩の動きと連動するように佐久間の指がオイルライターのキャップを跳ね上げる。刃を研ぐような鋭利な音が鼓膜に刺さる。

「佐久間さん、そんなヘビースモーカーでもないのに随分ええライター使てはるんですね。警部なんかコンビニの百円ライターですよ?」

「ええやないか! 俺は見た目に拘る主義なんや」

 深く息を吸い込み、人差し指と中指で煙草を唇から離す。吐き出された煙は会議室の閉塞的な空気に溶けていく。

「で、それはええけど、堺市居住者が多いのはどう思う?」

 佐久間は睨むような強い目つきで江口を見据えた。

「犯人の犯行拠点が堺市にあるんちゃいますか?」

「犯行拠点っちゅうのは、要するに犯人の生活圏っちゅう認識でええかな?」

「その可能性が高いとは思いますけど……。やからこそ遺棄場所としては堺市は一回も選ばれてませんし」

「そこなんや。犯人が堺市を拠点にしてるからこそ、こういう傾向になるんやと思うんや」

 佐久間が貧乏揺すりを始めた。革靴のつま先は白い擦り傷が無数に付いていた。

「そうですねぇ。僕が犯人でも、遺棄するなら自分の生活圏は避けますね……」

「やっぱり犯人は堺市に住んどる可能性が高い。それは間違いないんちゃうか」

 首を縦に振る江口の方を一瞥もしない佐久間の語り口は自分自身に何かを教えているように静かだった。

 佐久間は時計に目をやった。

「もう九時やなぁ。今日はこれくらいにして帰るか」

「警部と勝野さんは、山梨から直帰ですよね?」

「ああ。警部を途中で降ろして、勝野さんは車を返しに来るって言うてました」

 佐久間は何かを思案しているようだった。

 戻ってくる美由希を放って帰ってしまうのは、冷たい男だと思われてしまうのではないか……そのようなことを額に汗して考えているのだろうと、江口にも手に取るように分かった。

「佐久間さん、大丈夫ですよ。他の捜査員ももう帰ってますし、僕らも帰りましょう。僕らが疲れ果ててしもたら捜査も順調に進みません」

 不満げな佐久間の顔に向けて、江口は涼やかな笑顔を対峙させた。



「すまんなぁ勝野君……。えらい遅うなって」

 車内から外の景色を見ると、道路沿いの街灯が発する橙色が、一筋の光の帯を成している。

「大丈夫ですよ。最初から遅くなるのは覚悟の上でしたし、何より大収穫だったじゃないですか」

「せやなぁ。江口君が北区の被害者を突き止めてくれたし、もう一件それらしい人物も浮かんでるからな」

 重松の身体を駆け巡っていたのは、心地良い疲労感とそれに伴う睡魔だった。車の規則的な振動が、ますます重松を微睡みの中に絡め取ろうとしているようだった。

「でも、せやとしたら八件中四件は被害者が堺市に住んでたことになりますね」

「一件目の橋本市の三石山の事件と兵庫の事件もあるから、最大で六件や」

「それやったら犯人は……」

「うん、多分犯人の生活圏は堺市にあると見て間違いないやろう。少なくとも、そこを中心にこの連続殺人を繰り返してるのは確実やからな」

 脳内が微睡んだり冴えたりを行き来している――そのような意識を俯瞰で見ているような不思議な感覚を味わっていた。

「その中で突然山梨に飛んでるのは、どういうことなんでしょう?」

「それを知りたかったら、犯人がどういう手段で被害者を選定してるかを突き止めなあかんな」

「手段ですか……。やっぱり入れ墨は一つの道標に過ぎませんね」

「道標か。上手いこと言うなぁ」

 重松は顔を綻ばせた。

「だって、被害者の入れ墨は全部外からは見えへん所に入ってましたからね。犯人は何かしらの手段で入れ墨の有無を確認出来た人物ですから」

 美由希の発言は当を得ている。ようやく見つけた共通点は一つの道標だ。

 被害者達が入れ墨を入れた店はすぐに調べたが所在地もバラバラだった。犯人がどのような人物をターゲットとしているかは掴めたが、どのようにしてそのターゲットを見つけているかはまだ何も分かっていないのだ。

「道標……」

 重松は壊れたレコードのように何度もそう呟いていた。

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