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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十一日 土曜日
12/31

 甲斐物流の社屋は比較的民家の多い、どこか場違いな所に立地していた。



 重松と美由希はまず、当時矢沢保の失踪事件を捜査した甲府中央署に出向き、捜査に携わった捜査員から話を聞いた。

 矢沢は妻と当時十四歳だった一人息子と一緒に三人で暮らしていた。運送会社に勤めており不規則な生活ではあったが、家族関係は悪くなく、特に人に恨みをかうような性格ではなかったとのことだった。

 矢沢が失踪したのは高峰と同様に、夜仕事から帰宅した時だった。運送会社の上司の話によれば、その日は長野までトラックを運転して行っており、会社に戻って来たのは夜の十時過ぎになっていた。そこで何人かの同僚と別れて一人で車で帰路に着いたが結局帰宅することはなかった。

 自宅の近くの人気のない路上で矢沢の車が放置されていた。このことから、犯人はヒッチハイク風に車を止めさせ、矢沢が窓を開けたところでスタンガンか何かで気絶させて拉致したと見られている。高峰のように自宅がマンションでなく一戸建てだったために、家族に気付かれないようにそのような方法をとったのだろうと重松は考えた。

 身元が割れたのは『甲斐物流』と言う文字が刻まれた小さな金属製のエンブレムが、黒焦げになった遺体の骨に混じって見つかったからだった。『甲斐物流』とはまさに矢沢の勤めていた運送会社の名前だ。

 そのエンブレムは甲斐物流の創立五十周年を記念して作られた万年筆についていたのだという。

 その遺棄事件が起こったのは矢沢が失踪した三日後だったため、甲斐物流のエンブレムからすぐに、被害者は三日前から消息の絶えている甲斐物流の社員で、いつもその万年筆を持ち歩いていた矢沢保だと断定された。

 ――だがそれ以上に犯人に繋がる有力な情報は得られていなかった。何よりも周りで動機のある人間やアリバイのない人間が見当たらなかった。

 そして財布に関して捜査員の間で意見が割れた。焼失したのか、犯人が奪ったのか……。金目当ての強盗殺人だと見る向きもあれば、灯油をかけて遺体を燃やすという手口から怨恨による犯行との見方もあった。

 ただ、怨恨だとしても殺すついでに財布も盗ったと見ても不自然でないため、結局財布の行方についてはそれ以上深く触れられなかった。

 得られる情報はそこまでだった。重松と美由希は甲府中央署を後にし、甲斐物流を訪れることにしたのだ。



 美由希が電話で問い合わせたところ、甲斐物流は土日も営業しており、矢沢と同じくトラックのドライバーとして雇われている社員達と話をさせてもらうことが出来るということで、二人はここにやってきたのだ。

 事前に連絡を取っておいたお陰でスムーズに来客用の事務所に通された。時刻は午後一時半過ぎになっている。

「仕事も忙しいのにすんませんなぁ」

「いやいや、矢沢君は長いことうちに勤めてくれた功労者でしたから、私も早く犯人が捕まって欲しいと思っている次第でして」

 そう語る六十代間近に見える白髪の男は、なんでも甲斐物流の専務だという。

「何とか犯人は突き止めます。そのためにもご協力お願いします」

 美由希が姿勢を正して頭を下げた。

「しかし驚きました。まさか大阪でそんな似たような事件が起こってたなんて」

「我々もまさか山梨まで来ることになるとは思てませんでした……。それで、矢沢さんのことをよう知ってる人らに会わせてもらえると聞いとったんですけど?」

「ええ、今呼びます」

 専務が机上の電話の受話器を取り、何かを話し始めた。内線電話をかけているのだろう。

 ――通話が終わって数分後に現れたのは、グレーに紺色のラインの入った制服を着た四十代後半くらいの男だった。制服は黒ずんであまり清潔にはしていないようだ。

「初めまして……。甲斐物流の柴崎しばさきと言います」

「大阪府警の重松です」

「同じく勝野と言います」

 やたらと腰の低い柴崎に対し、重松と美由希も立ち上がって警察手帳を見せた。

 専務に促され、四人共に応接セットに腰を下ろした。革張りのソファが軋む音が一斉に起きた。

「ええと、柴崎さんでしたな。あなたは矢沢さんとはかなり親しかったんですか?」

 出し抜けに重松が問うた。

「まぁ、親しいは親しかったですよ。同じタイミングで仕事が終わったら呑みに行ったりとか」

 柴崎は大股を開いて両肘を腿に突き、両腿の間で手を組んだ前のめりな状態で話す。襟足を綺麗に刈り上げた頭が重そうだ。

「仕事が終わるタイミングはバラバラやったんですか?」

「そうです。僕らは定時での仕事と違いますから。今日もこの後広島まで荷物を運ばないといけないんです」

「それはどうもご苦労さんですなぁ。矢沢さんは拉致された日に長野まで行ってたらしいですけど、どこまで運転するとかは決まっとったんですか?」

「いや、その時によって違います。もちろん当日に急にどこまでって言われる訳ではないですけどね」

 重松と美由希は計ったわけでもなく顔を見合わせた。お互いに引っ掛かったことがあったのだ。

「ほんなら、大阪まで行くこともあったんですか?」

「大阪? そりゃあありますよ。大都市ですから」

「もっと具体的に訊きますけど、堺市とか和歌山県の橋本市とかはどうです?」

「うーん、橋本市はどうでしょう? あんまり聞きはしませんけどね……」

「ん? 堺市はあるんですか?」

 柴崎は妙に顔を引き攣らせた。一気に表情が曇ったのが明らかだった。

「あぁ……どうでしたかね。よく覚えてませんけど、堺市ならあるんじゃないですか? 大阪の中でも大都市でしょう?」

 選んだ言葉を紡ぎながら作為的に平静を装っているように見えた。それは明らかだったが、重松はおくびにも出さず柔和な表情を崩さぬよう心がけていた。

「実は犯人が遺体を遺棄した場所は橋本市辺りが多くて、被害者が住んどったのは堺市が多いんです……。矢沢さんがその辺の地域に何か関係あるんちゃうかと思いましてね」

「そうなんですか……。それは知りませんでした」

 柴崎のリアクションは眉唾物だった。堺市というフレーズについて彼は何か知っている――重松は確信した。

「矢沢さんの仕事ぶりはどうでしたか?」

「仕事ぶりといわれても、僕らはそれぞれ別々にトラックを運転してますから……」

「ああ、そらそうですな」

 重松は柴崎の隣の専務に視線を移した。

「仕事ぶりですか? もちろん私もついて行ってる訳ではないですからねぇ。事故を起こしたこととか、荷物をちゃんと届けられなかったこととかは無かったですから、まぁ真面目にこなしてたと思いますよ。だからこそ、あの歳までずっと雇っていた訳ですし」

「柴崎さん、彼と呑みに行ったりすることもあると言うてましたけど、彼の人付き合いはどうでしたか?」

 重松が居直って訊くと、柴崎は落ち着かない様子で目を泳がせた。何かが心を掻き乱しているようだった。

「人付き合いは良い方でした。僕以外にも矢沢さんに誘われてる人はいっぱいいましたよ」

「彼が誰かから恨みを買うたりするような覚えはありませんか?」

「いやぁ、少なくとも僕が知ってる範囲ではないですね……。優しい先輩でしたから」

「なるほど、優しい人やったんですな。ほんなら暴走族とかとは無縁で?」

「ぼ、暴走族? なんでそんなことを?」

 唐突に飛び出した不穏な言葉に柴崎は目を見開いた。

「いやね、被害者の中には昔暴走族に所属してた男とか、ガラが悪うて前科のある男がいるもんで」

「そういうことですか……。でも矢沢さんはそんなワルじゃないですよ」

 柴崎は専務の方を一瞥する。さっき専務が言ったように真面目に仕事をこなす人間だと言いたいのだろう。

「あの……もうそろそろ出発しないといけないので、この辺でいいですか?」

 バツの悪そうな声色で柴崎が尋ねる。ちょうど重松と美由希の背後で壁掛け時計が時を刻んでいる。

「ああ、もちろん仕事の邪魔をする訳にはいきませんから」

 美由希がメモを取る手帳を閉じたのを合図とするようなタイミングで柴崎が立ち上がる。腰を折り、随分とへりくだった様子だ。

 川岸に打ち上げられた小魚が水を求めて跳ねるように、柴崎もこの空間から早く逃げ出そうとしているようだった。

「あの……最後に訊きたいんですが、ほんまに堺市とか橋本市とかに覚えはありませんか?」

「……ええ、ありません」

 部屋を出ようとした柴崎は振り向きざまに口早に応答した。



「どう思う? 堺市のことを訊いた時の態度?」

 右手でラークを摘み上げながら、運転席の美由希に見解を求める。

 まだ火を点けてもいないにも関わらず美由希は煙たそうな顔をした。

「うーん、なんか狼狽うろたえてたような気はしましたね」

「せや、あれはなんかあるで」

「ほんならなんで追及せんかったんですか?」

「なんでやろな? あの場で問い詰めても無意味やと思たからと言うとこか……。刑事の勘っちゅうやつや」

 居心地が悪そうな美由希に重松は笑いかけた。

「どういうことかよく分かりませんけど、警部の勘を信じときます」

「はっきり言うたら、何かを隠してる感じやった。ただ、俺らに隠してるっちゅうより……隣にいた専務にかな?」

「専務に? 矢沢と堺市の関係で専務に隠さなあかんようなことあります?」

 美由希の問いかけにはすぐに答えず、慣れた手つきでラークに火を点け、目を閉じて煙を吸い込む。肺の中とは裏腹に頭の中は澄み渡るような晴々とした気分に浸っていた。

 その頭の中心で、美由希の問いへの答えを慮っていた。

「……今はまだ、分からんなぁ。もし追及する必要が出てきたら、その時はなんぼでも問い質したるわ」

 大袈裟に凄んでから、目の前に意識を向けると車内が霞みがかってきたのに気付き、重松は慌てて窓を開けた。美由希は非喫煙者だ。

「すまんすまん、勝野君。煙たかったやろ?」

「大丈夫です。警部の隣にいたら、いつもこの臭いしますから」

「おぉ恐。逆鱗に触れてもうたなぁ」

 重松は両手で自分の肩を抱いて慄える仕草をして見せた。

「怒ってませんて!」

 美由希は相好を崩して重松の肩を軽く弾いたが、すぐに引き締まった顔つきに変わった。

「で、これからどうします? 大阪に帰りますか?」

「いや、どうせやから矢沢の家族にも話聞きたいなぁ。住所は控えたやろ?」

「はい。さっき甲府中央署で教えてもらいました」

「ほんならそこに向かおか。何かええ話が聞けるかもしれへんし」

 重松はこれ見よがしに窓から顔を突き出して、二本目のラークに火を点けた。

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