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灰の中  作者: 茜坂 健
二〇一〇年八月二十日 金曜日 午後
10/31

 日の長い八月ではあるが、遠くの空が仄かに闇に染まっていた。烏の鳴き声など既に聞こえなくなっていた。

「ほんなら、高峰の友人からは大した話は聞けんかったんですね?」

 こじんまりと肩を落とした美由希が、いつもよりも小柄になったように見えた。

「やっぱり奥さんの敏江さんからアルバムを見せてもろたのが、唯一の進展やったなぁ。財布にしても、特別大金を持ってた訳やないみたいやし……」

「アルバムの中に、何かええ写真あったんですか?」

 一日の終わりだというのに、江口は草臥れた様子を見せない。学生時代陸上競技でならしただけあって、体力には優れているのだ。

「特にええ写真っちゅうのは無かったなぁ……。旅行を楽しんどる写真がわんさか並んどったけどな」

 張り込みで回ったせいで腰回りが硬く張っている。重松は無意識のうちに、右手で腰をさすっていた。

 江口と同じく学生時代はスポーツマンであり、剣道をやっていた重松も、今となっては身体が錆び付いてしまっている。

「ほんなら、実質成果は無しですね……」

「現時点で何の報告も無いっちゅうことは、勝野・江口両名も成果無しやろ?」

 そう訊かれて目を伏せたのは美由希だった。

「範囲を西日本一帯と東京周辺に拡大したんですけど、見つかりませんでした。明日はそれ以外の地域も調べます」

「そんな目を伏せんでかまへん。全国に拡げてるんやから、すぐに出来る作業ちゃうから……」

「すいません……」

 やはり視線を落としたままの美由希を庇うかのように、江口が口を開いた。

「警部、こっちは収穫はありましたよ。ある程度候補者を絞れました」

「おおっ、さすが江口えぐっちゃんや!」

 佐久間が剽軽な声をあげた。江口は何事も無かったかのようにメモ帳の頁を繰っている。

「堺北署と堺南署で、各身元不明の事件が発生したのと近接した日時に出されてる捜索願を洗いました」

「結構な数やったんちゃうか?」

「ええ。それなりの数でしたけど、事件性が無いのもいっぱいありましたから……」

「今時は認知症で徘徊して、そのまま行方不明になるケースも多いですからね」

 美由希がそう述べると、江口が小さく頷いた。妬ましそうに佐久間が江口を見据えている。

「事件性の無い物を消していったら、ある程度の数にまとまりました。今日はそこまでで精一杯でしたけど、残った行方不明者を丁寧にあろていったら身元を特定出来るかもしれません」

 収穫かどうかはまだ分からなかった。何故なら、身元不明の被害者達が堺市に住んでいたという根拠は何もないのだ。それでもそれを前進としなければ、取っ掛かりが余りにも少な過ぎたのだ。

「村上と武原の周辺からも、真新しい物は出てこんかったみたいやし、勝野君と江口君の成果に期待しとんで!」

 重松は敢えて力を込めて二人を激励した。

「――えらい意気込んどるようやけど、ホシを特定出来るんは何時になるんやろうなぁ?」

 背後の扉から入って来たのは、永野だった。

 太りきった腹が描く放物線の最頂部に当たるシャツのボタンが、今にも弾け飛びそうになりながら、はち切れんばかりのシャツを留めている。

「管理官、そう慌てても捜査は進みませんから……。今は被害者の身元を明らかにするんが優先事項ですわ」

 扉の方に向き直った重松の背後には、部下達が並び立っている。彼らの永野に対する冷たい眼差しが、重松の背中にも感じられた。

「まぁ期待してるよってに頑張ってくれ。マスコミはあれやこれやとお祭り騒ぎや」

「マスコミで喋ってるんは、現場のことなんかなーんも知らん芸能人とかコメンテーターばっかりですわ。あんなん気にしとったらこっちの神経が持ちまへん」

 永野の濁った瞳は微動だにしなかったが、ふてぶてしい口元が心持ち緩んだのが分かった。いくら部下に悪態をついていても、一警察関係者として、共鳴するところがあったのだろう。

「ほんなら、明日も頼むで」

 永野は掌をひらひらと振りかざしながら、部屋を後にした。

 扉が惰性で閉まるのとほぼ同時に佐久間が足を踏み出した。

「また嫌味か……。懲りへんおっさんやで」

「気にせんときましょ」

 江口が佐久間を宥めているのを横目に、重松は自分の鞄を手に取った。

「今日は皆ここまでにして、明日や。捜査初日から遅うまで張り切ったら身体が持たへんで」

「そうですな、また明日頑張りましょ」

 佐久間が両手を大きく伸ばして肉食獣のような呻き声をあげた。顰めた顔は嬉々として活力感に溢れている。

 午後の授業が終わった時の高校生のように単純な男だ、と重松は思った。無論今まで何度も見てきた光景だが……

「よっしゃ、今日は太っ腹の俺が皆に晩飯奢ったろか!」

「おお、警部、そらもっと太ってもらわな困りますなぁ」

「これ以上太っ腹になったら、警部の財布がすっからかんになるで」

 美由希が純朴な笑顔で佐久間の顔を覗き込む。佐久間はいつもの豪快な笑い声でなく、ぎこちない笑みを浮かべた。




 宮田がテレビのリモコンの電源ボタンを押すと、短い電子音を立てて、いとも簡単に液晶画面が真っ暗な闇で覆われた。

 自宅に帰宅してすぐにテレビを点けると、捜査は進展を見せているようだった。

 ――和歌山や兵庫でも同様の事件が見つかり、大阪府警では関連性について捜査を進めている。淡々と伝えられた事実は、宮田にとっては想定内だった。

 いつかは同一犯による犯行だと露見するだろうと考えていた。現場に水筒を置き忘れてきたせいで、勝手に自殺だと判断されたケースもあったが――確か武原という男だった――どうやら今回はそのケースも関連性があると見られているようだ。だがそれにしても、元々自殺と判断されたのが幸運であり、今になって再浮上したからと言って想定の範囲内を脱してはいない。

 椅子の背もたれに体重を預けて目を瞑る。自分が今まで葬り去ってきた人間達は……決して他人に殺められる事をした訳ではない。これは逆恨みでしかない。

 宮田は引っ張られるように瞼を開けて目を剥いた。逆恨みなどと考えると、自分自身が黒い記憶に苛まれる感覚に陥った。

 立ち上がると、椅子が音を立ててぐらついた。宮田は鍵を持って自宅を出た。

 車も自転車も使わず、スニーカーを履いて徒歩で移動する。もちろん遺体を処理する時に履いている物ではない。

 気付けば街灯の人工的な白い光を頼りにする程に日は沈んでいた。

 前方の高架から届く電車の走行音が鼓膜を震わせた。この時間なら、会社帰りのサラリーマンや学生達で車内は一杯になっているだろう。

 ――向かった先は職場だった。と言っても、自宅のすぐ近くだ。今は誰も居ない。解錠して中に入ると、一目散に目的の場所へと歩を進めた。

 宮田の背丈ほどある棚の中から、目的の「もの」を取り出す。それは篠崎昌信しのざきまさのぶに関する「資料」だった。

 村上勇太を泉南市の廃ホテルに遺棄したのが昨日。今まで最小でも二ヶ月は間が空いていたのだが、どうやら次は篠崎を手に掛けることになりそうだ。これはやむを得ない。目の前に現れてしまったのだから……

 全ては忌々しい記憶を灰の中に消し去るためだ。


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