智良の宿題
* * * * *
――これは、何色? 形は四角? 三角?
鈴奈はいつも変なことを尋ねる。
――うるさいな。なんでそんなこと聞くんだ。
智良は眉間に皺を寄せて睨んだ。鈴奈は答えた。
――だって、みんなの見てるもの、知りたいから。
智良は口をへの字に歪めた。わからない。健司たちのいうとおり、こいつは頭がおかしいんだ。
鈴奈は、泣きそうになりながら、言った。
――だって、だって、そうしないと、みんなのこと、わからないから。そうしないと、りっぱな巫女になれないから。
* * * * *
智良は入らずの森に沿って歩いた。潮風が吹きつける。
鈴奈は特殊な目を持っていた。いわゆる「霊感がある」のとは違う。例えば机にリンゴが置いてあるとして、鈴奈はリンゴがあると認識できない。鈴奈の眼球は誰もが見えるものをとらえていないのだ。盲目ではないのに、周りのものが見えない。その代わり別の何かが見えている。他人と共有できる情報が少ない。したがって、コミュニケーションがとれない。幻覚を見る狂人だとみなされる。
他人と違う者は神仏に仕えると相場は決まっている。例えば、耳なし芳一。五感が欠けた者は神仏の姿を見、声を聞くことができると信じられていた。だから、鈴奈は村の巫女だった。しかも「筆頭巫者」という特別な巫女だった。それがどんな巫女かよく知らないが、一番地位の高い巫女くらいの意味だろう。
周囲の意図がどうあれ、鈴奈は「筆頭巫者」という地位に着いたからにはそれに相応しくありたいと考えた。相応しい自分になろうと日々勉強を重ねていた。一度、鈴奈のノートを見せてもらったことがある。難しい呪文や理論でページが埋まっていた。護身術もかなりの腕前になった。
鈴奈は雨島に来るたびに智良と話していた。どんな勉強をしたか、何ができるようになったか、今チャレンジしていることは何か。
――私はね、お兄ちゃんとお姉ちゃんみたいに強くないから、勉強がんばるの。もっともっと頭よくなって、神さまにも褒めてもらえるようになりたいんだ。
鈴奈は十歳くらいになってようやく人並みにしゃべれるようになった。智良はようやく跡継ぎの自覚を持ち始めたころだった。
――よしくんちはとってもおっきな神社で、私よりも大変だけど、いっしょにがんばろうね。おねがいだから、いっしょにがんばってね。
「…辞めたくなる」
「ヨッシー…」
高崎がついてきていた。智良は睨みつけた。
「帰れよバカ崎」
「バカはヨッシーだろ!」
高崎は叫んだ。
「泣くくらいなら、現場いこう? ついてってやるからさ!」
「誰が泣いてんだ」
「ずっと、葬式からずっと泣きそうじゃんか!」
「目ぇ腐ってんな」
いつもみたいにうまくバカにできなかった。
「ヨッシーは、どーしたいんだ?」
「どうもこうも、することなんてない。もう済んだことだ」
「ほんとに全部終わったんなら!」
高崎は智良に掴みかかった。
「なんでそんなっ、宿題残ってるみたいな顔してんだ!」
ぽかん、とした。
「しゅくだい?」
「八月三十一日みたいだよ!」
喩えの意味がよくわからない。
高崎は両手で肩をばんと叩いた。
「事件は現場で起こってんだ。行くぞ。四十秒で支度しろ」
「……」
潮風が曇っていた目を洗っていった。
背骨に力を入れる。
「短すぎ。四十分後に校門前な」
例大祭が数日後に迫っていた。
例大祭で智良は正式に後継ぎとして指名される。それまでにもやもやを取り除いておきたい。智良は駆け出した。