訃報
鈴奈が死んだ。
崖の下に落ちていたそうだ。転落事故だった。
しかし、その報せを聞いたとき、殺されたのではないかと智良は疑った。
――鈴奈が死ねば、すべて丸く収まる。
腹の中でそう思っている奴が、たくさんいたから。
* * * * *
始業前。校内はいつもどおり騒がしい。昨日の野球がどうだの、誰が誰を好きだの。
いつもと違うのは、智良だけ。
訃報を受けてすぐ、智良は従兄妹たちと共に槙本家に飛んで行った。それでも一日を費やした。槙本家もそうだが、風濱家もド田舎に位置していたからだ。
鯨幕の門をくぐると、古くて広い座敷に通された。鈴奈の兄の健司、姉の恵香は、ふらふらと棺を覗きこんだ。二人は呆然とその場に座りこんだ。老婆が、長旅で疲れたろうと二人を隣の部屋に促した。
通夜の席は閑散として静かだった。ときおり、ひそひそと話し声が聞こえるが、それもすぐ絶えてしまう。
ともに弔問に来た祖母が鈴奈の父親に挨拶した。
――この度はご愁傷様です。
――遠路はるばる、ありがとうございます。
――いいえ。香奈子は?
――すみません、寝込んでいます。
祖母は首を横に振った。
――無理もありません。寝かしてやってください。
伯父は頭を下げて次の弔問客と挨拶を交わす。
智良と祖母は手を合わせ、そっと棺を覗きこんだ。
横たわる小さな体。顔は白い布で覆われていた。
ひそひそ声が耳に届く。
顔が潰れてたんですって。
だいぶん飛び散って、元に戻せなかったとか…。
十三歳になったばかりでしょ、可哀想に。
吸い込まれるように手が白い布に伸びた。
鈴奈の顔を見たかった。いつものあの鈴奈が見たかった。
見てはいけないのに、見たくないのに、鈴奈を見つけてやりたかった。
そっと、布をつまんだ。
伯父に呼び止められた。
伯父は首を振った。
見ないであげて。鈴奈のことを想ってくれるなら、見ないであげて。
頷いて、強張った指を離した。
体が重たくて立ちあがれず、棺の前でぼうっとしていた。
通夜も葬儀も、親族だけの小さなものだった。葬儀を見届けて、智良は祖母とともに帰路についた。
――人はいつか必ず死にます。良いも悪いもありません。
葬儀から帰ってきて夕飯も食べない智良に、母は痛みを堪えるように言い聞かせた。何か言いたかったけれど、言葉は出てこなかった。
そして、変わらぬ日々がやってきた。
中等部の校舎、「2‐A」と書かれたプレートを確かめて席に着いた。
物思いに耽っていると、調子に乗った声が鼓膜をガンガン叩いた。
「ヨッシー! オッハヨー! 風邪治った? 宿題みせて!」
智良は瞬時にノートを丸めて高崎の頭をポコンと叩いた。
「いいかげん自分でやれバカ崎。風邪じゃねえ」
「ふーん。いいだろー? オレたちの仲じゃないか」
智良は高崎をシッシッと追い払う。
槙本兄妹の家は遠い。長男の健司は学園の高等部二年。長女の恵香は智良と同じクラス。今まで雨島学園の寮に住んでいたが、末娘の鈴奈が亡くなった今、伯母夫婦は二人を手元に置きたがった。本人たちも両親を泣かせてまで雨島に留まったりしない。鈴奈の母方の親戚、つまり智良の一族は、だれひとり反対しない。むしろ、腹の中で大喜びしている奴がいる。
彼らが嫌な奴だったのではない。悪いのは、妻以外の女に子を産ませた祖父。
伊藤清子という女が鈴奈の血縁上の祖母。鈴奈の母を産んですぐに亡くなった。祖父は娘の香奈子――智良から見れば伯母――を徹底的に無視してきた。そのくせ、天才で優秀な孫二人にはやさしい祖父。それで贖罪のつもりなのだろうか。しかし、実に都合のいいジジイで、大した才能のない普通の鈴奈には見向きもしなかった。
祖父は健司と恵香が気に入った。本家の長男、智良よりも可愛がるほどに。
跡取りに指名するのではと周囲が危惧するほどに。
「頼むよ、今日オレ当たるんだよ。いつも代返してあげてんじゃん」
朝礼のチャイムが鳴る。智良は高崎を無視した。
担任教師がやってきた。高崎は教室のど真ん中で絶望を叫んで席に着く。
来週の例大祭のお知らせを配っているとき、教室のドアが開いた。入ってきたのは、恵香。
「槙本、もうちょっと早く来ような」
クラスの手前、担任は恵香を注意はするが、妹が亡くなったことを知っているのでそれ以上は言わない。恵香はぼそりと謝罪して席に着いた。
* * * * *
休み時間、恵香の周りにはいつもどおり女子が群がっている。廊下の一画、ソファスペースを占領する女王、というか、番長。
恵香は中等部女子の最大派閥のボス。恵香にシカトされる女子は、学校という狭い社会で抹殺される。敵とみなされれば男子も太刀打ちできない。
智良は高崎とともにソファスペースを通り過ぎる。高崎はちらりと女子の群れに視線を向けた。
「くわばらくわばら。マジおっかねえ」
「面倒だな。女子って」
聞こえないよう言葉を交わして理科室に向かう。
ショートヘアの女子とすれ違った。キノコみたいな髪型だ。たくさんの本やノートを抱えて俯き気味にせかせかと歩いている。廊下はとても混雑していてまっすぐに歩けない。あぶなっかしい。案の定、女子は本を落した。
「あ…」
ちょうど智良の足元に落ちたので拾って渡した。
「はい」
「あ…、うん…」
その女子は終始俯いたまま、逃げるように人ごみに紛れてしまった。
その様子は、鈴奈を想起させた。
鈴奈はあんな奴だった。
いつも一生懸命なのに、いつも自信なさげで、あまりしゃべらない。本当は誰よりも努力家で、人一倍も二倍も勉強していた。しかし、どれだけ努力しても、兄と姉の光には勝てなかった彼女。
ぼんやりと女子を見送っていると、恵香が眼の前に仁王立ちしていた。高崎はすばやく智良と距離をとった。
智良は相手を睨みつける。
「何か用か」
鈴奈の血のにじむような努力を無に帰した光。こいつは考えたことがあるだろうか。妹が自分の作る影で泣いていたことを。
恵香は智良を見下すように目を細める。
「言うべきことはないの?」
智良は眉をひそめる。心当たりはない。
「俺が何かしたか?」
恵香は表情を変えずに爆弾を投下した。
「鈴奈は風濱家の誰かに殺されたのよ。すぐに犯人を見つけ出して殺してやる」