セクション06:時間がかかるだけ
白い浴室の中は静かだった。
ふっくらとした白い泡で満たされた浴槽の中で、ドリームキャッチャー以外一糸まとわぬストームとツルギは2人で静かに寄り添っていた。
普段通り、ツルギの膝の間にストームが座る形で。
泡に埋もれたストームの裸体を、ツルギは背からそっと抱き締めている。
こうして互いの肌の感触を全身で感じ取るだけでも、まるで高級なベッドの中にいるかのような幸せな気分になる。
目を閉じて、しばしその感触を味わっていたツルギは、ふと目を開く。
すぐ目の前のストームは、泡にまみれた細い両腕を、大きく伸ばしていた。
そして、ゆっくりと再び泡の中へ沈めると。
「……ねえツルギ。明日のフライトの事だけどさ」
ツルギに顔を向けないまま口を開いた。
「何?」
「何か、勝ち目がないなんて言われるのって、嫌じゃない?」
フロスティの言葉か。
ツルギは、こんな時に彼女が言うのは、意外だと思った。
「本当にあたし達、リボンに勝ち目ないのかな? あんなに目がいいゲイザーがいるなら、勝てそうな気がするんだけど」
ゲイザーの並外れた視力。
相手の舵の動きすら見え、それを利用して行動を読む事ができる彼女は、確かに無類の強さを発揮するだろう。
少なくとも、目視での戦いならば。
「いや、ゲイザーでもリボンには勝てないと思う」
「どうして?」
「考えてもみるんだ。いくら目がいいからって、それで見つけた所でミサイルがロックオンできる訳じゃない。レーダーに映らないラプターを見つけても、攻撃できないんじゃ意味がない。もし格闘戦に持ち込めたら勝てるかもしれないけど、向こうがそれを許してくれるとは思えないし」
「うーん、そっか……」
ストームは、残念そうに顔をうつむけ、泡まみれの腕を浴槽の外へ投げ出した。
「何か、悔しいよね。勝ち目がないって言われても見返せないなんて……」
彼女の言葉は、どこか悲しそうだった。
普段の前向きぶり故に、尚更果たせない事が悔しいのだろう。
だから、リボンに負けた時もとても悔しがっていた。ツルギにはそれがわかる。
「僕もそう思わない事はないけど、仕方ないよ。僕達にだって、できない事くらいある。でも、それはきっと今だけだよ」
「……今だけ?」
ストームがようやく、ツルギに振り向く。
「できるようになるまで時間がかかってるだけって事だよ。今はきっと、勉強する時間なんだ。そう考えればいいんじゃないかな?」
「勉強、か……」
「ストームだって、時間はかかったけど僕が教えたから、レポートも書けるようになってきたし、机の上の勉強もよくなってきてる。だから、そう思えるのかな?」
ツルギは、ストームと過ごした半年の勉強を振り返りながら、言った。
出会ったころは、ペーパーテストも白紙のまま出したストーム。
そんな彼女を見かねて、ツルギは勉強を彼女に教えるようになった。
今日彼女が見せてくれたレポートは、まさにその積み重ねによって得たものと言っていい。
このように、時間はかかっても地道に積み重ねていく事も、時には必要なのだろう。
ステルス戦闘機への対抗策は、世界でもまだ研究が始まったばかりだ。
その答えを自分達が知れるのは、恐らく当分先の話だろう。
自分達ができる事と言えば、それをすぐに身につけ、使えるようにする準備だけなのだ。
だから、今は勝てなくても仕方がない。
少なくともツルギは、そう考えていた。
「じゃあツルギは、いつかリボンに勝てるって思ってるの?」
「何言ってるんだ。あたし達は無敵、怖いものなんてない、って言ってたのは誰だったっけ?」
ツルギは浴室から投げ出されたストームの手をそっと握った。
不思議と、いつもより暖かく感じる。包んでいる泡がそうさせているのだろうか。
「僕はあの言葉、今でも信じてるんだぞ」
「……ふふ、そうだったね」
ツルギに見つめられて一瞬きょとんとしていたストームは、安心したように笑みを浮かべた。
その顔が愛しくなったからか。
「できると思えば、人は何だってできるんだよ。時間はかかるかもしれないけど」
「そうだね。なんかツルギ、かっこいい」
そっと、ストームと肩越しに唇を重ね合わせたのだった。
* * *
翌日。
遂に、模擬戦の時がやってきた。
久々の多機数でのフライトとあって、各種装備の準備をする手にも、自然と力が入った。
耐Gスーツにライフプリザーバー、そしてヘルメット。
全てを万全に準備してから、ツルギは更衣室を出た。
「ツルギー!」
廊下では、案の定ストームが手を振って待っていた。
バズやラームの姿もある。
「ごめん、遅くなった」
軽く謝りながら合流した時、ツルギはストーム達の背後に別の人影を見つけた。
首に巻いた緑のスカーフで、すぐにわかる。ゲイザーだ。
「ゲイザーも来てたのか」
「……ン」
ツルギと目が合った途端、何か用、と言わんばかりにぼんやりとした声を出すゲイザー。
「よし、これで全員揃ったな。今回はほぼ負け戦だが、悲観せず普段通りに飛ぼうぜ!」
「はい、兄さん」
バズが気合を入れて宣言し、ラームがうなずく。
するとゲイザーの前に、ストームが歩み寄る。
「じゃ、今日は、よろしくね!」
しっかり言葉を区切りながら、挨拶として右手を差し出すストーム。
だがゲイザーは、しばしその手をじっと見つめた後、一切興味がないかのように何もせず歩き出した。
「えっ、ちょっと!」
真横を通り過ぎるゲイザーに呼びかけるストーム。
だが結局、彼女は耳を貸さず、先に外へ出てしまった。
その後ろ姿を、4人は黙って見送ってしまった後。
「随分と無愛想だな……実は一匹狼タイプだったりするのか?」
「もしかしたら、握手を知らないんじゃ……」
バズとラームが、そんな推測をしていた。




