セクション02:キングエアの機内から
「――ちゃん、ゲイザーちゃん」
誰かが呼んでいる。
同時に体も揺さぶられ、少女はゆっくりと目を開けた。
「……ん」
気が付くと、いつの間にか柔らかい椅子に座っていた。
そして顔を上げると。
「もう到着する時間だぞ」
肌の白い見知った少年の顔が、自身の顔を覗き込んでいた。
「さん、だー……?」
『えー、こちらリンドブラード・エクスプレス機長のアリスですぜ。間もなく、当機は着陸態勢に入りますので、シートベルトの着用をお願いしますぜ』
流暢な英語が聞こえて、辺りを見回す。
丸い窓が特徴的な、6つほどの座席が並ぶ客席。自分はその左側の席に座っている。
窓から見える青い空。外からは、僅かに何かの羽音が聞こえる。
「……ココ、ドコ?」
目をこすりながら、少女はぽつり、とたどたどしく問う。
「何寝ぼけた事言ってるんだ。ここはもうスルーズの空だ」
「……?」
少年は早口で答えこそしたが、少女はその意味を理解できなかった。
「わかるか? スルーズの空」
「……? モイッカイ」
故に、眠そうな目のまま問い返す。
「だから、スルーズの空だって」
「……? もっと、ユックリ」
「だから! スルーズの! 空!」
苛立った少年は、単語を区切ってゆっくりと答える。
「するー、ず……? あ」
その単語を理解して、少女はようやく気付いた。
ここは、キングエアという名の小型飛行機の客室。
見れば、窓からは白い翼とそれに付いたエンジンナセル、回るプロペラが見える。
自分はいつの間にか、居眠りをしていたらしい。
「ふう、わかったか。だから、ちゃんとシートベルト、しろよ」
「……ウン」
少年のゆっくり過ぎる注意にうなずいた少女は、早速シートベルトを締める。
その後、丸い窓から外を見る。
眼下は広大な水たまり。『海』というらしい。
彼方まで広がるそれは、少女にとって未だ見慣れぬものだった。
それをしばし観察していると、空の彼方で何かが光ったのが見えた。
「……あ」
何か、いる。
ゴマ粒程度にしか見えず、空に溶け込むような灰色だが、少女の眠そうな瞳はその形状を的確に捉えていた。
翼は芸術的なまでの三角形。それは、自然によって生み出されたものではない。
何かの飛行機である事は、少女もすぐに理解できた。
「どうした?」
「……アレ、何?」
少年もまた、少女と共に左側の窓を覗き込む。
しばし観察を続けると、翼がゆっくりとこちらへ近づいてくるのが見えた。
芸術品のように洗練されたフォルム。
機首には、上から紫、白、黒に塗り分けられた円形紋が描かれている。
次第に大きくなっていくその姿に、少年もようやく気付いた。
「戦闘機だ」
「……敵?」
「まさか。攻撃にしちゃ、様子違うだろ。あれは、スルーズ軍の、ミラージュだ」
戦闘機が、機首を少し上げた低速飛行の姿勢に移り、斜め後ろ側に着く。
そのまま、死角に入って見えなくなった。恐らく背後についたのだろう。
窓を開けたい気持ちになるが、元より開けられない構造のこの窓ではできない。
『えー、お知らせいたしますぜ。間もなく左手より、スルーズ空軍航空学園生徒会長にしてスルーズ第一王女、フローラ・メイ・スルーズ様が直々に皆さんをお出迎え致しまずぜ』
機内にアナウンスが流れる。
「え、王女だって!? スルーズじゃ王女も戦闘機に乗るのか!?」
少年は何やら驚いている。
だがその意味を少女は聞き取れなかった。
「……何?」
「アレに乗ってるの、王女様なんだと! お、う、じょ!」
「オー、ジョ……?」
そうこうしている内に、戦闘機は再び姿を現し、ゆっくりと窓際の真横に並んだ。
少女は、コックピットに座るパイロットに目を向ける。
紫色のヘルメット。
その下から、流れるような金髪が伸びている。
酸素マスクとバイザーに覆われて、素顔は窺い知れない。
そんな彼女は、おもむろに何か大きな色紙を取り出し、こちらに見せてきた。
『Welcome!』
色紙にはポップな字体でそう書かれている。
そしてパイロットは、こちらに向けて軽く手を振っていた。
「たまげたなあ……でもなんで王女様なんかが戦闘機に乗ってるんだ?」
少年は早口でそんな疑問を口にする。
一方の少女はというと、無言のままパイロットたる王女に自然と手を振って答えていた。
「まあいいか。こんな出迎え、されるなら、悔いのないように、過ごさないとな。ゲイザーちゃん」
少年のゆっくりすぎる言葉に、少女は無言でうなずく。
だが最後に、少年は。
「どうせ帰ったらきっと、すぐ戦場送りだろうからな」
と、物騒な言葉を口にした。
その言葉を耳にしても、少女は顔色1つ変えない。
ただ、首に巻いている緑のスカーフを握り締めるだけで。
ここは、ヨーロッパは大西洋上に浮かぶ国、スルーズ王国上空。
少女――ゲイザーの長く退屈な旅路は、ようやく終わろうとしている。
行先は、スルーズ空軍航空学園ファインズ分校――