ツバサは眠っていた
ひとけのない街道を、馬車は走る。
その揺れは、ごとごとというほどではないが、無視できるほど小さくもない。
乗り物に弱い人間なら、結構な確率でぐったりとなることだろう。
一行で一番乗り物に弱いツバサは、バーニアからもらった薬を飲み早々に寝息を立てていた。
マーリィと膝に乗った由梨は外を眺めている。外を見ているだけで心の中は知れたものではないから、傍目にはのどかな親子の姿だ。
スフィは、もちろんと言うべきか無言で座っており。相変わらず心情は知れない。
馬車の中には、ツバサ達4人とネルだけが乗っている。
本来であれば王族と得体のしれない旅人のみを乗せるなど言語道断であるが、ネルが言い出したら聞かないので兵士たちは諦めていた。
もっとも、命じたバーニアにすれば、不帰の森のエルフということでいい意味でも悪い意味でも丁重な扱いをしている、という面もあったのである。
ともあれ、5人を乗せて馬車は走る。
「そういえば、ネル様達は宿場に泊まられなかったのでしょうか?」
窓の外の景色は、平原、時々森、時々山、また平原だ。
空は晴れ、海もなければ建造物もなく。わりと単調で、つまりは飽きのくる景色。
変わらず外を見る由梨を乗せたまま、マーリィが敬語でネルに話しかけた。
「我々は軍隊であるからな。
人数も多いし、宿場を戦場にするわけにはいかぬ」
「それでも、王女のネル様だけでも泊まったりしないのですか?」
「王女だろうが王だろうが、宿場の維持に勝るものはないのだ」
「?
どういうことでしょうか?」
私も丸暗記なんだが、と前置きし。ネルは宿場の仕組みを語った。
宿場は国にとっての公的な機関であるとともに、国の垣根を越えた国際法によっても保護され義務づけられた施設であった。
旅人を補佐することよりも、宿場の主眼は蝕天に備えることにある。
だからこそ、国際法で設置が義務付けられているとともに、戦争などでも戦場とすることは許されず、また無血開城と占領側による維持が義務付けられている。
宿場まで安全に行ける側が、戦争の状況や戦闘の有無によらず―――最悪、宿場の真横で戦争中であっても、必ず宿場の維持をしなければならないのだ。
宿場の維持の出来ぬものに戦争を行う権利はなく、宿場の維持を放棄したものを国家群は許さない。
国際法によりそう定められている、とネルは語った。
戦争自体を禁じていないことは、ある意味で人としての妥協ラインであり。
だからこそ、戦争により人間同士が共倒れとならぬよう、国の枠を超えたところで人間社会を維持する仕組みが組まれているわけだ。
蝕天の前後一週間は戦争を原則禁ずる、という項目についても同様の理由により定められたものであった。
ツバサのデビュー戦であった蝕天から、今日で29日。
空に輝く月は、極限まで細く。今月は残り二日、月日数によってはすぐに蝕天が訪れる可能性もあった。
そんな、宿場の仕組みに関心したように頷くマーリィ。
「なるほど。宿場を中心に天の影を探すから、国より上の権限で守られているのですね」
「ああ。天の影を察知し、兵を派遣して魔物を倒す。
これは、国境を問わず、人が生きていく上で絶対に必要なことであるからな」
ネルの言葉に、エルフもそうであると頷き。
非難したかったわけではないが、それでも少しだけ暗い口調で小さく呟いた。
「……それでも、人間同士で戦争があるのですね」
「恥ずかしい話だ。
しかも今回の戦は、他国相手ではなく自国内の反乱でな」
「そんなこと、私たちに話してよろしいのでしょうか?」
「この国で町に寄れば、誰でも知ることができることだ。
スェンディ王家に対する、貴族―――元貴族のボーニアの反乱」
「なるほど」
ところで、窓の外を眺めている由梨だが。
二人の会話から必要な情報を覚えるとともに、頭の中ではめまぐるしく?作戦を練っていた。
いかにして、ツバサの手にある眠り薬を奪うか。もとい、もらいうけるか。
飲んだフリをするにしても、由梨が渡される量は4分の1。
ツバサの寝入りっぷりを考えれば効き目自体は信頼できるが、それでも量が足りなければ効果は分からないのだ。
なんとしても、一包み。理想を言えば、あるだけ全部。
焦る必要はないはずだが、手札は多い方がいいのだ。
背後の会話の内容はきっちり記憶しつつ、由梨はそんなことを考えていた。
なんとも、けったいなお子様であった。
「不帰の森の中でも、やはり天の影はあるのだろうか」
「はい。
毎月、村の者が見回りを行い、蝕天の時に討伐に行っていました」
「なるほど。伝説のオーワン様がいらっしゃるのだ、さぞお強いのであろうな」
「そう―――ですね」
前回の、ツバサのデビュー戦は置いといて。
それより前の蝕天を考えて返事をする。
「数や規模によりますが、基本的にはオーワン様お一人で倒されておりました」
「なんと……!」
「おそらく、平野と違って、森の中の方が天の影が小さいのだと思います」
私は実際に見たことないんですけどね、と付け足すマーリィ。
事実であるとともに、面倒な追及や根掘り葉掘りは避けたいところだ。
「なるほどな。
エルフの膝元であれば精霊力も強かろうし、そういう意味でも魔物は少なそうか」
「そうかもしれませんね」
精霊力に関して言えば、間違いなく差がある。
森を出てからは、世界に漂う精霊力が目に見えて減ったのを感じているし、文字通り目にも見えている。
魔力については見えないが、おそらく森の中よりも強いのであろう。
途中、一度由梨がトイレに行きたがった以外は、特に問題なく馬車は走り続け。
道の脇に石碑の立てられた場所で、馬車は止まった。
「ここが、宿場と王都のだいたい中間地点になる。これが目印だ」
「なるほど。この分ですと、暗くなる頃にはお城に着けそうですね」
「ああ。
ここで昼食としよう」
護衛が馬車に積んであった食事を配った。
ツバサだけはまだ眠っているので、代わりにマーリィが受け取る。
「ツバサも起こしましょうか?」
「まだ薬が効いているようだし、無理に起こさなくていいだろう。
時間的な余裕もあるしな」
ネルが手にしたコンパスと月の位置によれば、現在は12時過ぎ。
一日一周する月の位置で時刻を知るのが、この世界では一般的だ。この辺りはエルフも人間も同じ。
月時計とするには光が弱いことだけ、不便と言えば不便であった。
町や城に行けば、魔導具による正確な時計や、日時計と月時計を組み合わせた複雑な時計もある。
そういった時計と鐘の音などを連動させることで、人々は日々の暮らしを送っていた。
いずれにせよ、今の彼らに正確な時刻は必要ない。
腹が減り、行程の半分を走破した。だから食事にする。それで十分だった。
昼食は、パンと干し肉、木の実。それに大人には少しの葡萄酒だった。
なぜかちゃっかりスフィももらっているが、由梨には無し。
食べながら聞いたところによると、不帰の森以外にも、スェンディの周辺には森が多いらしい。
奥まで行けば魔物が潜む危険はあるが、入口付近であれば一般人も入ることはできる。
そこで取れる獣や木の実が食卓を彩ることが多いらしい。
他にも、国や町の規模のわりには農業に使える平地も多く、食糧事情は良好。
さらに流通の要所でもあるため、小国ながら他国のものであっても比較的手に入りやすいということだ。
「その分我々は、四方に気を使わなければならないのだが。
頭を使うのは、父上や文官達の仕事だ」
それでいいのか王女よ。
とは思いつつ、それが人間というものなのだろうかと気にしないマーリィ。
もちろん、それが人間というもの、というわけではない。
ネルが経済や政治面への興味が薄いだけだ。
「さて、それでは再び馬車に乗ろうか。
ツバサ殿が起きたら、また休憩とすればいいだろう」
休憩を少し短く切り上げて、ネルが言った。
それを受け、一同は準備を整え再び車上の人となった。
一路、王都スェンディへ―――
熟睡するツバサを背景に、再び馬車は走り出す。
何事もなく、のどかで順調な道行き。
次回『馬車は辿り着いた』
―――ようこそ、王都スェンディへ
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私事で恐縮ですが、年末年始の出勤状況が悲惨なため、ちょっと長めのお休みとなるかもしれません。
元気に帰って来れたら引き続き頑張ります。
順調にいけば、次回は火曜か水曜更新かと思われます。
ちょっと早いですが、皆様良いお年をどうぞ。




