姫騎士様はけがされた
「名を聞いていなかったな。
私はネブルフォーデ、ネルと呼ぶがいい」
「ツバサです」
握手まではしないが、武器を引いた王女に頭を下げるツバサ。
敬語というにはやや不十分ではあるが、ネルに気にした様子はない。
「ではツバサよ、我が馬の後ろに乗れ。
宿場へ戻る」
「う、うま?」
なぜか驚いたようなツバサの声に、ネルではなく馬の方が頷くように嘶いた。
「もちろんだ、歩きではまだ少し距離があるからな」
嘶く愛馬を軽く撫でてから、一息で跨るネル。
乗る姿だけでも堂に入り美しいものだが、残念ながらツバサに見とれるだけの余裕はなかった。
「どうした、早く乗れ」
「の、乗れない、んだよね」
至近距離に居ても平然としていたのだから、馬に対する恐怖というわけではないだろう。
ならば初めての経験で尻込みしているだけかと、ネルは一度馬から降りるとツバサを抱きかかえた。
「ちょ、あの、いいから、馬はやめて走るから!」
「つべこべ言わず、さっさと乗れ!」
女性らしからぬ膂力でツバサを持ち上げ、片足を馬具に掛けさせると一気に馬の上へ押しやる。
なんとなく青い顔をしたツバサを気にせず、手綱を握るためツバサの前に再び跨った。
「しっかり捕まっていろよ。
落ちたら痛いし、馬に蹴られれば大怪我だからな」
「ぁ、あぅ、わ、わ」
鎧をまとったネルに、強く抱き着くツバサ。
愛の抱擁であるかのごとくきつく抱き着くツバサをこれまた気にせずに、ネルは軽く手綱を引いた。
「行くぞ!」
「ひ、ひぃぃ」
トップスピードではないが、およそ初心者用ではない速度で走り出す馬。
身体中で密着し、ツバサはネルの短い髪に顔を埋めるように寄せた。
鎧は着ているが、兜は被っていない。
密着した腹や腰には金属の感触ばかりだが、顔を撫でる髪や無防備な首筋からはどこか爽やかな女性の匂いがした。
お互いの距離は、ほぼゼロ。
嫌がったり躊躇うこともなく、ツバサに抱きしめられているお姫様。
そんな温もりと美少女の匂いに包まれて。
「うっ、げええええええ」
「へ?」
ツバサは、盛大にぶちまけた。美少女の温もりも手触りも匂いもかなぐり捨てて、そりゃぁもうその背の鎧にぶちまけた。
手綱を握っていたネルが、一拍遅れて何が起きたのか気づき
「―――あ、ひゃわぁぁっ!? 何をする貴様!」
背中にもたらされた惨状に、叫び声を上げて身をよじる。
その横に捩じられる動きと下からの馬の振動に、さらに堪えきれず
「ぅぼろろぉぉ」
「ひいい、離れろ、とまれ、落ちろ!」
ツバサに向けて放たれた言葉に、しかし止まったのは馬。
飛びのくように逃げたネルと滑り落ちるように降りたツバサの間で、背にぶちまけられた粗相にも慌てずに凛と立つ馬の姿は神々しくさえあった。
混乱した騎手の手綱に惑わされず、慌てず崩れず姿勢を保った馬は英雄と呼んで差し支えなかったかもしれない。
どれだけ褒めたところで、ツバサのせいでその身が臭くなったことだけは変わらないのだが。
脱いだ鎧と馬を、ツバサから奪った水で洗い流し。
それでもどことなく匂う気がする事実から、必死で目と鼻を背けて。
ネルは今、己の鎧だけを馬に乗せ、手綱を引いてとぼとぼと歩いていた。
王族として生きてきて十と八年。
これほど他人から酷い目にあわされたのは初めてである。
(こいつの仲間二人が居ればいい。うん、こいつは殺そう)
刃向かってきた事にすればいい。
あるいは、兵士達にすでに殺されていたことにしてもいい。
そんなことを一通り考えてから、ネルは深い深い溜息をついた。
「はあ……」
できるはずがない。悪意があったわけでもないのに、汚れくらいで人の命を奪うなど言語道断だ。
そんなの、王族や騎士以前に、人として許されるはずがないのだ。
ちらりと、街道の幅いっぱいに離れた位置を同じペースで歩く男を見る。
顔色は悪く足取りもふらつき、傍目にも弱っているのが丸わかりだ。
そもそもこの男は、馬に乗ることを嫌がっていた。それを話も聞かずに無理やり乗せたのだ、自分に否がないとは言えない。
考えることが苦手だの脳筋だの言われるネルではあったが、そのくらいのことは考えるまでもなく分かっていた。
だからこそ、恨むに恨めずため息が漏れるのだ。
しかし―――こいつは見ていて、何だか気になる気がする。
なんとも不思議な男だと思えた。
人間にしては珍しい黒髪と黒目。短めだがぼうぼうでぼさぼさの頭は、あまり手入れが行き届いているとは言えない。
旅人にしては結構大きい、しかし夜逃げにしてはあまりにも小さい袋を背負い、装備は簡素な鎧と剣と盾。
服装も質素な服とズボンだが、布や拵えは王宮でも街でもあまり見た事がない風だ。
全体にくたびれて小汚い感じはあるが、じゃあ不潔とか不快かと言われればそんな気はしなかった。馬に乗るまでは。
少なくとも最初の時点では、周囲を兵士達に囲まれてほぼ無傷で居たわけだ。考えてみれば、それなり以上の力量はあるのだろう。
魔力や覇気と言ったものを感じるわけじゃないが、なんとなく、何かを感じる。
そう、何かだ。
迫力や熱気とは違う、どちらかと言えば―――神々しさのような、何か。
そんな自分の感覚が導いた一つの答えを、ネルはまさかなと一笑に付した。
まさかこんな、馬に乗っただけで酔ってぶちまけるような男が。
勇者や聖者たるものであるなど、そんなわけがないと。
互いの距離を保ち、言葉もなく歩みを進めて15分程か。
ようやく二人は、宿場へと到着するのであった。
西の空は赤く染まり始め。
初めての宿場に、ゆっくりと夜が訪れていく。
宴のマーリィ → ツバサ に続き。
馬のツバサ → ネル となった今日。
宿場に辿り着いた二人の表情は、どこまでも暗く疲れていた。
次回『ゲロ小説と呼ばないで』
□ □ □ □
嘘です。次回は吐かないです、たぶん




