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成層圏  作者: KS
<一 章>
1/6

手記 その位置

 人間として生きていく以上、誰だって殺したい人間が一人くらいいるもんだろう。

 単純に、それを殺意と呼ぼう。殺意は、腹の内で飼っている間は誰にも知られることはないし、頭の中で何人人を虐殺しようと、どんなむごたらしい惨殺死体に変えようと、具体的な罪になることはない。

 その殺意が、意識の外へと溢れ。実際に行為として固化してしまった場合。初めて具体的な罪となる。罪が現れるところ生じるのはいわゆる、「犠牲者」である。

 以下は、とある犠牲者が語る覚え書きである。


 私はかつて、殺意にさらされた経験を持つ。

 つまらない私という自己を、殺意によって命を奪わんと画策した人間とは――。私の、実の父であった。

 そこにどんな動機が潜み、どのような感情が込められていたのか。実に殺意にさらされた張本人、被害者には、思い当たる節がない。

 その被害者に出来たこととは、ただただ、推測である。

 後日談として、遠回しに語られた、犯人の周辺者からこぼれた情報、言葉、記憶を集め、再構築して、自分なりの仮説を紡ぎ出したというわけだ。

 そしてついに――私は、自分自身に父の殺意を起こさせるような直截的な原因を有していないことを確認するに至った。

 ならば。

 私の命とはいったい、何なのであろうか。


 人の命は重い、と言う。

 その重いはずの人の命を奪う者があるとすれば、その命に比類すべき理由なり、原因なりが、被害者になければならないと思うのは、単に私の自意識過剰だろうか?

 そんなことはあるまい、と、思いたかった。しかし、現実は反証ばかりが明らかとなって、いつも被害者のみがいいように踏みにじられ、命を刈り取られ、泣き寝入っている。

 こういうときはえてして、前提が間違っているのである。

 人の命が、実は取るに足りない、価値のない軽いもので、命の重さを説く言葉は全て欺瞞であると仮定したなら、世界で語られる悲劇の多くは、驚くほどの整合性を持ってくるではないか。

 悲劇が、実は悲劇でなかったとしたら。

 世の中はただ、そうであるべき結果があるだけなのだ。

 餓死も爆死も犬死にも、全ては強者に喰われた弱者のあり得べき姿なのである。ただただ、弱者はその弱い心のために、あまりに凄惨なその現実を直視出来ないでいるだけだ。だからこそ、命が尊いという絵空事の命題をお題目のように唱え、自己を不必要に高邁な存在と認め、ふんぞり返っているのである。弱肉強食は世の習い。それが人間であるばかりに通用しないというならば、それこそ万物の霊長としての驕りがその目を曇らせているのだ。あるべき姿を見よ。知能で、力で劣る弱者は、強者の血となり肉となってその命を捧げるべきだ。


 さて。

 私は私の命が軽いものであったことを、いち早く父から知らされることとなった。そうなると。

 以後は、現実という名の物理法則が命じるままに、強者が弱者を刈り取る自然現象に、身を委ねるべきであろう。

 運命は、連鎖する。これは、自然の習いである。

 私はだから、連鎖した法則に則り、自己の欲求が命ずるまま、父の後を受け継いで、見事殺意を行為として昇華していくことにやぶさかではない。


 有り体に言えば、復讐、であろうか。

 無駄な命は。邪魔な命は。

 刈り取ればいいし、刈り取らなければならない。

 私がやらなくても、すでに世界の自然現象が、人の命を思うさま刈り取っているではないか。私はと言えば、そのちょっとした手助けをするだけなのだ。

 ゆえにこの手記は、被害者である私の発見したこの自然法則を、学者が定理と公式を書き留めるように、覚え書きとしてしたためたものでなければならない。

 定理定説公理公式この世の摂理は、正確性を持って文書として書き留められなければならない。

 これもまた、道理であろうと思う。


(主 題)


 某県県境、Y市。人身事故でしょっちゅう遅れている某私鉄沿線に広がる街である。駅周辺はそれなりに開けているが、繁華街から少し離れるとまばらな住宅街となる。

 その住宅街をさらに突っ切ったところにある、起伏の緩やかな坂道を登って、ちょうど中腹にあたる場所に。

 全国どこにでもありそうな、雰囲気の固い県立Y高校が建つ。

 朝の八時を過ぎたあたりから、ブレザー姿の男子、女子の高校生連中が登校してくる。

 一応県下でも有数の進学校として知られているものの、東大生や京大生を毎年何十人も輩出している超有名校と比べれば、生徒の質、という一点でさすがに見劣りするのは、ま、致し方ないとして。

 その校門に、ちょっと目を向けてみる。

 風紀を乱す輩など許さないといった厳格さで門の前に立っている生徒指導の教員に、形ばかりの頭を下げ。今時っぽくない地味さでいささか損をしている女子高生二人組が今、そこをくぐったところだった。

 よう、などと声をかけてくる男子連中に、気さくな笑顔とからかい半分の軽口を返しているのは、よく見るとそのうちの一人のみのようだ。もう一人は曖昧に頷くような仕草を向けるだけで、その声はただ、友達――つまり、隣の女の子――一人に集中して発されている。

 そのまま二人は校舎へ。階段を上り、二年F組の教室、引き戸に辿り着いたそのジャストのタイミングで、後ろから「刑部( おさかべ)じゃん」と声がかかった。

「あ……」

 今までのジンクスを破り、二人のうち、おとなしそうな方の子が、おずおず、といった体で振り返る。

「うす」

「……おはよ」

「おいおい高幡(たかはた)、てめー私は視界の外かよ」

 にぎやかな表情を前面に、活発な側の女子がそう言って皮肉る。「沢井はもう、オトコがいるからな。気を遣ってみた」

「半年前の話だろうが! 古傷をえぐるなぁきさま」

「え、まじ?」

「いいから行きな。ほらしーちゃん。あんたも。いいか高幡。今回は許す。二度目はないと思え」

「へいへい」

 高幡と呼ばれた男子は笑いながら、刑部をともなって教室の西側、渡り廊下の方へと向かおうとした。去り際にさりげなく、ごめんな、という一言を忘れないあたりに、無神経さと好感度のせめぎ合いが感じられる。

 一人残った沢井は、やれやれ、という表情を浮かべると、少しだけその二人を見送ってから、教室へと入っていった。「いつものメンツ」が沢井を迎える。後は彼女は始業まで、友人たちとの気軽なトークにて時間を潰すようである。

 ──ので、視点は教室を離れ、改めて、先ほど渡り廊下へと消えた二人を追う──。


   *


 初夏の暖かな風を受けて、刑部の柔らかなセミロングがゆるゆると揺れて。そんな後ろ姿が、印象的な雰囲気を醸し出している。

「借りた本、持ってきた」

 高幡の方が、そう言って自分の鞄をまさぐる。もう? と、やや驚き顔の刑部に対し、誇らしそうな顔を返してくる彼。そんなほほえましさに、彼女は自然な笑みを返した。

「あの……面白かった?」

「ああ。うん。実は、よく分かんなかった」

 照れ笑いなのか、口元をそう言って歪める高幡に、ま、そういうこともあるよ、と刑部の方が声をかける。自分の趣味が受け入れられなかったことによる無念さのようなものは感じさせない。むしろその笑顔は、自分も最初はそうだった、という共感を漂わせている。

「本なんて、俺普段読まねぇからさ。なんて言うか、反応悪くて」

 自虐的なそんな言葉を曖昧に否定しながら、刑部は高幡の差し出した本を受け取った。しょうがない、と彼女は思う。本は出会いのものだ。好きになってからは活字が友達となるが、好きになるまでには時間がかかる。根気も。

 あとは、環境と、憧憬か。

 誰かと、上手に話が出来るように。

 引っ込み思案な臆病さを、微塵も見せない快活さで。

 言葉という憧れへと突き進む。そんな強烈な動機が。

 ──ため息。

「宮崎も妙なことを言うからなぁ。授業で使うから、自分の好きな小説を持って来いって。今時の健康的な高校生は字ばっかりの小説なんか読まんよ」

「……あはは」

 刑部は笑ったが、ちょっとだけ傷ついた気持ちが唇の端にこぼれてしまった。気づかないでくれればいいと思ったが、簡単に気づかれたようだ。相手の顔が、しまった、という風にわずか、歪む。

 気にしないで、と言おうとして。

 言いよどんでしまう。そんな自分がうっとうしくなる。

「──ほら。俺バカだから。難しい話は分かんねぇし」

「バカとか、自分で言うのは、よくないと思う」

 とぎれとぎれの自分の言葉が、まるで棒読みの台詞みたいに感じる。本当に思っていること。感じていること。それらはいつも言葉になることはない。口にのぼらず、胸に残して、そのまま腐る。

「また、持ってくる」

 勇気を出して開いた口からは、懲りない女の繰り言しか出てこない。一番言いたいことじゃないが、言う意味はある、程度の、表現。

「頼むよ。面白そうなやつ」

 高幡がそう言って、少しほっとしたような顔をしたところで、予鈴。廊下にいた他の生徒たちが、めんどくさそうに教室へと流れていく。談笑中だった二人も、そんな連中の後に続いた。

「あと、理解できそうなやつな」

 教室で、離ればなれの席へ着こうとする直前、高幡はそんなことを言ってきた。それが心地良くて、刑部はちょっと立ち止まってから、一つ、こくんと頷いて返した。その後。勇気を出して。

「高幡君は、バカじゃない、と思う」

 言ってみる。ん? と首をひねられた。なんでもない、という風に、自分の方から顔を背ける。しまった。失敗した。

 自席に着く。

 朝のHRが、始まる。

 全員が、起立する──。


 学級担任の宮崎が来てから、僅か十数秒後。

「じゃ、みなさん今日も頑張ってください」の、一言で。

 音速ですらのろまに感じる性急さにて、HRは終了する。

 一時限目が始まるまでの、貴重な時間。二年F組に属する生徒たちは、この時間の恩恵に浴する割合が、他のクラスよりかなり高い。と、言うのも、この十数秒は、今日だけに限ったことではない、毎日のことだからだ。

 だいたい、クラスの半分くらいの生徒は、そんな担任、宮崎の教師としての「やる気」と「資質」。これを、疑っている。

 だが。当の本人はそんなことすら気にも留めていない様子で。

 ……話が逸れた。

 重要はことは。

 授業が始まる前、生徒にとっての休息時間が通常のクラスより「やや長い」こと。この一点のみ覚えておいていただければありがたい。

「──なっちゃんて、彼氏、いたの?」

 訊いちゃいけないかな? という雰囲気を持つ話を人に訊こうという時。刑部の声は、遠慮がちに発される。で、ただでさえ小さな声がより、聞き取りにくくなる。

「何? 聞こえない! はっきり喋れしーちゃん!」

 がやがやとした雑音が多い中、なっちゃん、と呼ばれた女子が遠慮のない調子で言い返す。なっちゃんとは、沢井のことである。名前は加奈。加奈、の「加」ではなく、「奈」を取って人に呼ばせている。そこには彼女なりのこだわりがあるようだが、刑部自身はこれなる理由を聞いた覚えがない。

 当の刑部自身は、しーちゃん、と呼ばれている。彼女の名前に「し」は付かない。名前は「八重(やえ)」である。八重なる幸福が我が子の身に授かりますように、という母の愛がこもっている、らしい、が、残念ながら刑部本人にとってみれば、やや古風に響くこの名前にはいささかのコンプレックスがあるようだ。

 しーちゃん、とは。何のことはない。人が死ぬ話ばかり好んで読んでいるのでこの名が付いた。つまり、「死ーちゃん」ということである。縁起が悪いことこの上ない。

 まぁ、仮に「死」ではなく数字の「四」だとしても──勝手に本名の五十パーセント減にされているわけで、どちらに転んでも理不尽な扱いには変わらない、と言える。

 ……また、話が逸れた。

「うん、いたんだよ」

 声をかけたのは、遠方──教室の隅──より、わざわざ椅子をひきずって沢井と刑部のところに横付けしてきた、奥谷(おくたに)という女子だった。

 奥谷。名は、綾香(あやか)という。

「彼氏じゃねぇ! 嘘つくな。ただの友達。しかもこいつのせいで、派手失恋する羽目になったしな! なぁ綾香」

 さして傷心した風も見せず、豪快に笑って奥谷の方を睨む沢井。刑部はそんな彼女の独白に驚き、奥谷と沢井を交互に見つめている。

「え、それって──」

「黙秘します!」

 刑部の興味を、沢井は一言のもとに断ち切る。当然、そう宣言されてなおもすがる勇気など、刑部は持っていない。しゅん、となってうつむいてしまう。

「あ、ちがうのしーちゃん。たいした話じゃないの。──まぁ、たいした話なんだけど、こう──あんまりいい話じゃないから。ごめんね」

「ううん」

 秘密を共有させてあげられなかったことを沢井が謝罪している、と、刑部には分かった。だから、そんな心配をさせたことに対して彼女の不安を取り除くために、首を少し振って、にこっと笑う。自分の笑顔は汚いと思う。人の思考を左右するために、私は笑うのだ、と。

 考えすぎなのかもしれないし、気にしすぎなのかもしれない。

 でも、そんな風に考えすぎ、気にしすぎる自分には、何かが──目の前の、沢井や、奥谷にはある何かが──逆に、足りないんじゃないか、と考えてしまう。

「ところで」

 奥谷がそこで言葉を切り、椅子から立ち上がって自席に戻ると、何やらごそごそと鞄の中をまさぐってから、再び刑部たちのところへ戻ってきた。

「本、持ってきた? 現文の」

 刑部にとっては今日二度目の話題となる。彼女はうん、と返してから自分用の小説を取り出した。さっき高幡より返してもらったものとは、別の一冊である。

「また人が死ぬ話か?」

 沢井が笑いながら刑部に問いかける。その通りだったので、何も言い返せなかった。

「いいじゃんミステリィだってさぁ。わたしだってミステリィだよ。ほら」奥谷が、自分が手にしていた本を皆の目の前にかざそうとしたところで、沢井の一言。

「あんたは乙一先生一筋だろう。分かってるって。見ろ。ZOOじゃないかそれ」

「うー」

 図星。ずっぽし。

「西尾氏、イチ推し!」と同じくらい恥ずかしいダジャレが刑部の頭を一瞬かすめたが、もちろん女子高生らしからぬそんなベタな洒落を不用意に口に出し、いたずらに恥をかくようなキャラではない。無難に笑顔をキープしながら、彼女は自分の持ってきた本を皆に見せるのみに留めた。

「あ、桜庭一樹じゃん」沢井が、青空一色の表紙に書かれた作者名を目に留め、口にする。

「直木賞取ったんだよねその人。えと、『私の男』だっけ?」

「その前に出た『赤朽葉家の伝説』の方が、私は好きだ」奥谷が割って入る。え、あんた読んでたの? という沢井の意外そうな顔に、しつれいな! とむくれる奥谷。「わたしは読書家なんです!」

「じゃ、ドストエフスキー、『カラマーゾフの兄弟』の内容を要約してみせよ」

「……昔々、カラマーゾフという兄弟がいました。何かいろいろありました。終わり」

「死んでしまえ」

 冷たい目で沢井が奥谷を睨む。しーちゃーんなっちゃんがひどい! と奥谷は刑部に泣きついてきたので、なりゆきでよしよし、と彼女の頭を撫でるはめになった。友達同士なら、これくらいのスキンシップは出来るのだ。――たとえ、口べたなダメニンゲンであろうとも。

 自分で思って、傷つく。

 本当は、得意げに……とまではいかなくてもいいから、自分の持ってきた本の内容を皆に語って聞かせたいところだった。

「少女には向かない職業」――一章の「用意する者はすりこぎと菜種油です、と静香は言った」から、終章の「用意する者はバトルアックスと殺意です、と静香は言った」までの間に、めくるめく描かれる、少女たちの不幸と不信と敵愾心と、抑えきれない恐怖。読み進めるうちに心がかさかさに渇いて、じくじくと何かが染みだしてくるような。そんな感じ。少女であることの袋小路でもがく登場人物たちに、自分の感性を摺り合わせて。読んで。読み終わって。泣いて。

 ――そう言えば。

 もしもさっき、沢井が奥谷にしていた質問。ドストエフスキーの著作の、あらすじ。

 あれがもし、「カラマーゾフの兄弟」じゃなく、「罪と罰」であったなら、刑部にだって説明出来ていたはずだ。なぜなら作中で、登場人物の図書委員が、「罪と罰」について語っていたシーンがあって。自分は、それを覚えていたから。

「少女には向かない職業」に登場する主人公の女子、二人も、よく本を読んでいる。本を読んでいる人が出てくる本が、わりと好きだ。そう。人が死ぬ話の、次くらいに。だから、赤城毅の本も二冊、持っている。これなんかは古今東西の「書」を集める話だ。面白くて一気に二度、読んだ。

 人が死ぬ話。そんなものになぜ自分が共感を寄せるのか。理由など考えたこともなかったが、強いて言えば人それぞれの中にある主義主張。発想。そういうものと擦り合うようにして共生する、厳とした、嗜好。それに根ざす何かがある、ということだろう。つまり。

 私は死を嗜好するのだ。そう結論づけて、そのあまりのおぞましさに吐き気をもよおす。

 死にリアリズムを感じる人がいる。死との共存を願って、厭世の意味を込めてリストを血に染める人たちがいる。その人たちの苦しみも、悲しみも、何一つ自分の中では共感として溶けない。そのくせ、嗜好を寄せる。覗き見てみたいと、半ば恐れ、半ばわくわくしながら、文字を追う。実在の出来ごとではなく、小説の中の出来ごととして、仮想の世界で死を遊ぶ。

 薄汚い。

 自己嫌悪の念に打ちひしがれて、うつむいて。気を取り直して、少し遠方を見遣る。

 今朝も自分に話しかけてくれた、眩しい男子の姿が、目に留まる。――彼は彼で同性のクラスメイトたちと、にぎやかに談笑していた。

 彼の、他人と楽しそうにしている姿を見るたびに、胸が締めつけられるような甘い苦痛を、お腹の奥に感じてしまう。その正体を探る前に、ただただおびえて、答えをぼかす。「それ」ではない、と、自分自身に言い聞かせながら。

 そもそも。

 たとえ「それ」だったとしても。

 そんなのは彼に、迷惑だ。

「そういえば、さ」

 奥谷が、自分の座っている椅子、その前方に向かって声を掛けた。そこにいた人物が、仏頂面に近い無表情で「何?」と振り向いてくる。

「優は、本、持ってきた?」

 優、と呼ばれた女子は、やや面倒臭そうに、こくっと首を縦に振った。おおー! と、オーバーなリアクションで奥谷が喜んでいる。

「伊坂幸太郎だよ。ちょっと昔の本だけど」

 彼女――岸本優(きしもとゆう)――の声を聞く機会は、ほとんど授業中くらいのものだ。新鮮な感覚で、彼女の声をもう一度頭の奥で反芻してみる。苦手意識だけが、にじむ。

 岸本についての知識は――奥谷とは仲が良さそうだ、ということ。だが、その他の人間には、ことさらに明るい顔を見せる様子もない、というか、ほとんど取り付く島もない、ということ。そして、成績がとてもいい、ということ。それくらいのものだった。刑部にとっては、彼女は遠い存在である。様々な意味で。

 へー、と感心したような表情を奥谷が浮かべている。伊坂幸太郎については、よく知らないらしい。

 そういえば奥谷、彼女は国語の時間が好きだと聞いている。この教室では数少ない部類に入る、「積極的な宮崎擁護派」だ。

「えどんな話どんな話ー?」などと、ぶっきらぼうな岸本の態度にまったくひるまず、絡んでいる。

 ――それにしても。刑部は思う。

 宮崎先生は、自分たちの持ってきたこれらの小説を使って、いったいどんな授業をするつもりなのだろうか。

 前回。

 初めて宮崎の授業を受けた時。その最後に彼は、こんなことを言い置いて、授業を締めた。

「来週からは、この(と言って彼は、自分の持っていた教則本を持ち上げて見せた)教科書はしばらく使わない。その代わり、みんなそれぞれ、自分の一番好きな本を持ってきてくれ。本は、何でもいい。以降は、それを使って授業するから。じゃ、終わり。バイバイ」

 意味不明、という表情を、クラスのほぼ半数が浮かべる中、悠然と教師は去り。

 今日これからが、その肝心なる現代文の授業となる。

 刑部が一人、友人たちが口々に好き勝手なことを喋る声を聞きながら、首をひねっていた。そこへ。

 ――チャイム。

 奥谷が慌てて、椅子と共に教室の隅へと去る。前方から、件の宮崎が姿を現わした。クラス一同が、ばらばらに椅子を引きずり、立って。

 礼。


(授業風景 その一)


 おーす。じゃま、始めますか。で、前回言ったことだけど、本、持ってきてくれた人っ? ……はいはい。クラス五分の一くらい。そんなもんですよ毎年。じゃ、今から言うようにしてね。本を持ってきた人! 教室の前へ。それ以外の人。教室後ろへ。はい移動! 席替えね。筆記用具だけ持って。他人の席でもいいから空いてるとこに座って!

 ……うし。じゃ、後ろの席に座った人は自由時間。音出さなきゃゲームでも読書でも勉強でもご自由に。大丈夫。中間期末で差別はしないから。もちろん授業聴いてくれるのが一番嬉しいですけど。

 そして、持ってきた人。この(手の中の付箋を皆に見せ)付箋を配るんで、表紙の折り返しのとこに貼って、出席番号、名前を書いて提出して。厳選の上、俺の独断と偏見で教材にする順番決めるから。教材作ったら、本は各々に返します。

 ……全員出し終わったかな。ほうほう。げ。長編とか。誰ですかドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を全巻持ってきた奴は。五十分授業でやってんだよこっちは。――ただ、その意識は賞賛に値する。素晴らしく挑戦的だね。

 ZOOを持ってきた奴、は、例によって奥谷か。はいはい。そう。あのね。重要なこと喋る。小説、ってのは、必ずしも社会的な道徳規範にのっとって描かれるものではない。むしろ、その逆を行くことの方が多い。純文学、中間小説、娯楽小説。それらけっこうな数の作品達が、社会規範を逸脱した中に人間としての真実、のようなもの、を探そうとしてる。で、本来こういう文章を授業で読ますのは良くないっ。て言うか悪い! と親御さんたちから毎年苦情を頂いてます。それは真摯に受け止めるけど、例えばさ。巨大掲示板を見るんでも、テレビをザッピングするでも、新聞や週刊誌を斜め読むんでもいいや。それら情報の洪水は、主に反社会性のるつぼだぜ? お笑いが道徳を養うか? 残虐な事件ドラマが社会を律するか? 我らの身にまとう情報たちは、そういった毒から成ってるってのが現状でさ。そういうのをあえて排除して、毒のない部分だけを摂取するって手もあるにはある。でも、目黒のサンマじゃないけど、毒に見えるものこそ何かがあるかもよ。多分。……多分かいっ!

 殺人だって取り扱っちゃいます。異議ある人はどうぞ職員室まで。学年主任に、俺がこっぴどく怒られます。ま、そんなことはどうでもよろしい。

 ほう。桜庭一樹を持ってきた人もいるね。桜庭一樹、乙一、伊坂幸太郎、と。そうそう。ここ十年くらいの間に出て来た彼ら(彼女ら、もかな?)は、ミステリィというジャンルを自作品でスパイスのように扱うことがあるね。かつて乙一氏が小説のあとがきで、「物語の締めにミステリ的な方法を使うと、書くのが楽」ってなことを言ってたことがあるけど、これは乙一さんくらいの人が言うからこっちも「おおっ!」ってなるわけで、普通の人が「ミステリィ要素を使うと楽」なんてことを言うと馬鹿にされます。ミステリィスノッブたちは非常に怖いよ。覚えておいて損はない。

 現代ではミステリィはジャンル分けが進んでます。が、元は本格と呼ばれるものが主流で、それこそ「名探偵」と「殺人」というガジェットで構成された、がちがちの推理ものだったわけだ。こういう物語が好まれた理由は……うん、さっきの話とも絡むけど、殺人、という毒が、あまりにも強烈だったからじゃないかな。およそ人が生きる上で一番大きなウェイトを占めるであろうテーマ。生と死。そのうちの死を扱うわけだから、インパクトも強い。

 で、そのインパクト強いはずの「死」のストーリィ。それをさっき挙げたような作家たちは、見事な手際で「要素」として切り出してきて、まるでスパイスを扱うように、青春小説に、エンターテインメントに昇華してしまう。ともすればそういう行為は、死の部分が強烈すぎて他のいい部分がかき消されちゃうもんなんだけど、彼ら彼女らは、その強烈すぎるミステリィ=死のスパイスを使いこなすのがすごくうまい、と思う。俺なんかにうまい! なんて上から目線で言われたくねぇよなんて、この人たちは思うだろうけど。

 さて。現代に限らず、太古の昔から架空の物語、小説というものは、時に政治の道具にされ、時に弾圧され、時に古くさいと見向きもされなくなりながらもなんとか書かれ継がれて生きてきたけれど、その中でミステリィに注目すれば、その歴史は意外と浅く、アメリカ生まれの詩人、エドガー・ポォの出現を待たなければならなかったわけだ。ただ、生と死。ここに興味の尽きない人間という罪深い生き物が、それまでは生と死に関する物語を必要としなかったのか、といえばそんなことはなく、戦記物や歴史小説。あるいは童話や昔話。私小説純文学戯曲など、「生」「死」の要素は山ほど出てくる。

 じゃぁミステリィとそれ以前の作品とを分かつ違いは何かというと、簡単に言えば「謎解き」が含まれているかどうか、という一点にあるのでは、と僕なんかは考えている。ミステリィのうち、「本格」として挙げられる作品の定義は、かつて江戸川乱歩が説いた……ってこういう話を始めると長くなるから割愛。いわばミステリィは、生と死の物語を扱った中でも特に、起こった犯罪にまつわる何らかの謎解きについて語った小説である、ということだと思うんです。で――はい先生今からクサいこと喋ります。否応なく聞くように。ミステリィという、その創作概念に茶々を入れるならば、ある種死をおもちゃにしてるに等しいし、命を粗末にする行為をパズル的面白さで語るという非道を秘めている。ただ、読み継がれてきた作品がある以上、そこからわき上がる面白さや怖さ、気味悪さなんかは、俺たちを形作っている人間としての要素の少なくとも一つ以上にはなり得るだろう。そして、これはミステリィに限らず、小説全般の話として言うけど、生きることや死ぬこと、その何らかの意味が、言葉だけで綴られた羅列に見事封じ込められ、それを読み解く段階で、読者は文字の中の人間に愛憎や好悪の念をすでに持っている。面白いと感じたら、確かにそこに人間の一部分が溶け込んでる、ということなんだよ。いわば。それがミステリィであろうと。サスペンスであろうと。人ばったばった死に小説であろうと、さ。

 そんなわけで今回は、とりあえず自分の感性を信じて、好きだと思うものを表明してもらう。そこから始めたわけです。……って、もう時間かい! 早いなぁ。じゃ、今日はこの辺で。次からは、今日提出してもらった小説で授業するんで、教科書はしばらく持って来なくていいよ。

 次回は今日もちょっと話題に上った伊坂幸太郎の「重力ピエロ」についてやります。岸本が持って来た本だね。後で教材は配るし、それを読んでもらう時間も作るけど、出来たら一回だけでも通読しといてもらえると、とってもこっちはやりやすいです。お願いね。

 はい、じゃ終わり。バイバイ。


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