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諸王の王<シャーハンシャー>

作者: 水無飛沫
掲載日:2026/04/02





荒廃した大地、どこまでも果てしのない空の。














* * * * *






女が跪いて祈っている。


石柱や石畳は瓦礫と化し。

家屋や神殿はもはや雨風をしのぐ構造すら持たぬ。

栄華を誇っていたであろう街並みが、今や無残に廃墟と化していた。


女が跪いて祈っている。


一心に祈るその顔は美しく、滅ぼされた都市にあっても絶望に打ちひしがれているわけではない。

嘆くでもなく、助けを乞うでもなく、

女は跪いて祈る。

大地に、空に、神に――

ひたすらに祈る。

どれだけの時をそうしているのか、幾昼幾夜をそうして過ごしてきたのか。

渇きを覚える(いとま)なく、祈りを捧げる。

炎天も風雨も彼女の祈りの妨げにはならなかった。






* * * * *






勇猛なテイスペスはアンシャンの土地を征服し、国を建てた。

これはその偉大な血族の物語である。

金銀財宝を惜しみなく部下に与える慈悲深さも持ち合わせたといわれる、テイスペスの子キュロスもまた偉大な王であった。

けれど三代目のカンビュセスは臆病な王であった。

彼は大国メディアの王女マンダネを后に迎え入れると、それに服従することを選んだ。

ふたりの間には麗しい子が生まれた。

名をキュロスという。


父王の影響か、キュロスは野心からは程遠い男であった。

代わりに彼の心は幻想に侵されていた。

物心ついた時から、キュロスはよく夢を見た。

若い女の夢だ。


王妃マンダネは臆病な夫をそれでも愛していた。

喩えるならばそれは小動物や奴隷を愛でる感情に近いものではあったが。

それゆえ彼女が全てに満足しているかといえば、そうではなかった。


息子のキュロスが時折見せる聡明さに、マンダネはたいそう喜んだ。

彼女は息子を誰よりも愛した。

誰よりも戦が強くなるよう、必死に炎に祈りを捧げた。

大国の生まれである彼女にとって、アンシャンは狭すぎたのだ。

愛する息子に、もっと広大な大地を治めてもらいたいと願った。

今や伝説となってしまった言葉を想う。


シャーハンシャー(諸王の王)


メディアの娘は画策する。どうにか故国を、広大な世界をキュロスのものにできないか。

彼女の願望はやがてメディアの間者の存在を通して、現実的な姿を描いていくことになる。

周囲で渦巻く策謀が、やがてキュロスを運命へと連れて行く。






* * * * *






女が跪いて祈っている。

いつもの光景。けれどそれはいつだって彼の心を捕らえて離さない。

声をかけたい衝動に駆られるが、彼女の厳かな祈りを遮るのは不遜に思われた。

彼にはその女を眺めることしかできない。

鬱屈とした感情が心に沈殿していく。






* * * * *






どれほどの美女を娶ろうが、何人の世継ぎが生まれようと、彼は満足することはできなかった。

あの光景を、あの女を知ってしまっているから。


キュロスはその胸のわだかまりを発散するように、強い王になった。

母の望むようにメディアを滅ぼし、その広大な領地を手に入れた。

けれどそこにあの女は居ない。

彼の野心はさらに先を求めた。


――大国バビロニア王国。


彼の人生は戦にまみれていた。

領地を広げ続ける彼を、人々は大王と呼び、その勢力は留まることを知らなかった。

当時バビロニア王国は政治が乱れていることも味方して、何年にも渡る戦の結果、彼はついにその大地を手に入れた。


無血開城した首都バビロンを、キュロスは蹂躙することはしなかった。

祭壇では炎が踊り狂っている。

司祭たちがマルドゥクと、アフラマズダを太陽として崇める。

祈りの熱が街を包み込む。


ふと、キュロスは街の一角には火が届いていないことに気付く。

部下に問うと、そこには亡ユダ王国から連れて来られた者たちの住まう土地だという。

彼らを捕らえていた国は消え、縛るものはなくなったのだ。

王はバビロニアに囚われていたユダの民を解き放った。


アースラー地域とバビルシュ地域の統一を為したキュロスはついにこう呼ばれることになる。

諸王の王(シャーハンシャー)

それは彼を賛辞する言葉となったが、もはや彼にはどうでもよかった。






* * * * *






女が跪いて祈っている。

纏う布は真っ白く、肌もそれに負けぬほどに白い。

長く艶やかな髪から覗くその顔は美しく、まるで彫像のようだと錯覚しそうになる。


女はただただ祈っていた。

嘆くでもなく、助けを乞うでもなく、ただひたすらに祈っている。

我らの司祭ですら、こんなに丁寧に祈りという動作を体現することはできないだろう。

アールマティ(太陽の娘)という言葉が脳裏をかすめた。


女が祈りをやめると、こちらを振り返る。

その目には慈愛が宿り、頬は喜びに染まっている。


――これでよかったのだ。


そう確信して、キュロスは口を開く。

「私のものにならぬか?」

女は小さく笑みを浮かべて答える。

「私は既にあなたのものです」

女はキュロスの手を取って言う。

「偉大な王さま。エーラーンの息子よ。

歌ってみせましょう。踊ってみせましょう。

この夜を邪魔する者はどこにもいないのですから」


キュロスはこの夜初めて自らの心が満たされるのを知った。

愛しい女を抱く歓びを知った。







――娘は名をシオンという。
























彼女を愛する者よ、彼女と共に喜べ、彼女の故に楽しめ。

彼女の為に悲しむ者よ、彼女と共に喜び、彼女の為に楽しめ。


娘シオンよ、謳えや踊れ。





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