第五十四話「正しさは、背中を押す」
54話です。
夜だった。
誰も、
集まっていなかった。
話し合いもない。
合意もない。
決定事項もない。
だからこそ――
静かだった。
見張りが、
異変に気づいたのは遅かった。
「……舟がない」
一艘。
小さい舟。
網も、干物も積んでいない。
「誰のだ?」
答えは、
分かっていた。
昼、
一番声を荒げていた男。
舟の側に立っていた男。
「……行ったな」
ランが、
低く言う。
マリが、
歯を噛む。
「……止めるか?」
先生は、
すぐには答えなかった。
浜を見る。
人を見る。
数を、
頭の中で数える。
「……追わない」
一瞬、
空気が凍る。
「は?」
「今、何て」
「追わない」
「見捨てるのかよ!」
ランが、
声を荒げる。
先生は、
静かに言う。
「追うと、
二人になる」
沈黙。
「一人で行ったのは」
先生は続ける。
「自分で決めたからだ」
「だからって――」
「背中を押したのは」
先生は言った。
「正しさだ」
夜明け。
舟が、
戻ってきた。
一人。
だが――
違う歩き方。
肩が下がり、
視線が合わない。
「……おい」
誰も、
駆け寄らない。
先生が、
近づく。
「どうだった」
男は、
しばらく黙っていた。
そして、
一言。
「……遅かった」
浜が、
息を呑む。
「生きてた」
「でも」
「連れて行こうとしたら、
拒まれた」
「拒まれた?」
男は、
声を絞り出す。
「……“もういい”って」
「“ここにいると、
また例になる”って」
沈黙。
「俺が行ったせいで」
男は言う。
「余計に怯えさせた」
先生は、
何も言わない。
男は、
続けた。
「……俺」
「正しいと思った」
「でも」
「正しい顔して行ったのが、
一番ダメだった」
浜に、
重たい沈黙。
ランが、
小さく言う。
「……それが、
背中を押すってことか」
先生は、
板を立てた。
正しさ
→
行動
→
取り返しがつかない結果
「正しさは」
先生が言う。
「止まらせない」
「だから」
「一人で行った」
男は、
膝をついた。
「……次は」
誰かが、
聞く。
「次は、
どうすりゃいい」
先生は、
一拍置いた。
「一人で行かない」
「……え?」
「行くなら」
先生は言う。
「全員で決める」
「決めるまで、
行かない」
「それでも、
遅れるぞ!」
「遅れる」
即答。
「だが」
先生は続ける。
「一人が壊れるより、
遅れる方がいい」
夜。
浜は、
静かだ。
だが、
昨日とは違う。
誰も、
正しさを口にしない。
代わりに、
こんな言葉が出る。
「……怖かったな」
「……一人じゃ、
無理だ」
この村は今、
正しさで動く怖さを
一度、
身をもって知った。
それは、
小さな失敗だ。
だが――
引き返せる失敗でもある。
次に来るのは、
衝動じゃない。
“方法”だ。
(つづく)
誤字脱字はお許しください。




