第五十一話「正しさは、人を迷わせる」
51話です。
最初に割れたのは、
声の向きだった。
「……昨日の、
見たよな」
誰かが言う。
「見た」
「見たけどさ」
「俺たち、
何もしなかった」
朝の浜。
作業は、始まらない。
干物は裏返されない。
舟も出ない。
「……助けられたよな」
その一言で、
空気が割れた。
「は?」
「何言ってんだ」
「行ってたら、
こっちもやられてた」
「だからって、
見捨てたのか?」
声が、
重なり始める。
先生は、
板を持たない。
持つと、
線が引かれるからだ。
「正しかったのか?」
誰かが、
先生を見る。
「……黙ってるってことは、
正しかったんだろ?」
「違う」
先生は、
短く言った。
「まだ、分からない」
その言葉が、
火に油だった。
「分からない?」
「人が連れて行かれたんだぞ!」
「分からないって、
何だよ!」
マリが、
一歩前に出る。
「先生は」
「いつも、
減らす話をする」
「昨日は」
「減った」
沈黙。
「……それでも、
動かなかった」
先生は、
視線を落とさない。
「動くと」
「もっと減った」
「それ、
仮定だろ!」
ランが叫ぶ。
「見てねぇじゃねぇか!」
先生は、
ゆっくり言った。
「見せしめは、
次を呼ぶ」
「じゃあ」
ランが、
歯を食いしばる。
「俺たちは、
何もできねぇのかよ!」
誰も、
答えられない。
その時。
「……俺は」
若い男が、
前に出る。
「俺は」
「昨日、
ここにいられた」
「……でも」
「隣の浜の、
あいつは」
声が、
震える。
「ここに、
来てたら」
沈黙。
誰かが、
小さく言う。
「……誘えば、
よかった」
「……昨日、
声かけてたら」
後悔が、
広がる。
先生は、
それを止めない。
止めると、
別の形で噴き出す。
「正しさは」
先生が、
静かに言う。
「結果が出るまで、
自分を責めさせる」
マリが、
低く言う。
「……じゃあ、
どうすりゃいい」
先生は、
一拍置いた。
「迷っている間は、
まだ人だ」
「……は?」
「正しさが、
一つに見えた時」
「人は、
止まらなくなる」
沈黙。
「昨日の三つは」
先生は続ける。
「もう、
迷っていない」
「だから、
ああした」
「俺たちは?」
「迷っている」
ランが、
吐き捨てる。
「……迷うの、
しんどいな」
「しんどい」
先生は頷く。
「だが」
「迷いは、
減らす速度を
遅くする」
昼。
浜は、
静かだ。
だが、
昨日とは違う静けさ。
考えている音が、
ある。
「……先生」
ランが、
小さく言う。
「次も、
同じこと起きたら?」
先生は、
すぐに答えなかった。
代わりに、
板を立てる。
迷い
=
止まって考えている時間
「止まってる間に」
先生は言った。
「次を考える」
「……間に合うのか?」
先生は、
チョークを置いた。
「間に合わせる」
夜。
浜の灯りが、
少しだけ増えた。
外向きじゃない。
内向きだ。
誰も、
正しいと言わない。
誰も、
間違いだとも言わない。
この村は今、
正しさを選ばなかった代わりに、
迷いを抱えた。
だが――
迷いを抱えられるのは、
まだ、
減らしきっていない証拠だ。
次に来るのは、
説得でも、
脅しでもない。
“分断”だ。
(つづく)
誤字脱字はお許しください。




