第五話 ちゃんとすると、面倒が増える
第五話です。
朝の港は、少しだけ忙しかった。
魚の量は、昨日とそう変わらない。
だが、人の動きが違う。
「それ、もう一段ずらして」
「了解」
「干し場、詰めすぎないで」
――指示が飛んでいる。
しかも、
先生が言う前に。
「……」
少し驚いていると、
女がこちらを見て笑った。
「先生の真似」
「似てます?」
「ちょっと腹立つ感じが」
それは成功している証拠らしい。
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干物の仕上がりは良かった。
昨日より匂いが軽く、
触った感触も均一だ。
「これ、売れ行き良さそうだね」
「はい」
「値段、どうする?」
「昨日より少し上げられます」
その“少し”で、
全員の目が輝く。
「先生」
「はい」
「ちゃんとやると、いいことあるね」
「あります」
「でもさ」
女は干し場を見回した。
「手間、増えてない?」
増えている。
明らかに。
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昼前。
分配の場が、妙に静かだ。
「……どうしたんです?」
「考えてる」
考えている、らしい。
「昨日より良い干物でしょ」
「うん」
「でも、全部同じ値段?」
「違う方がいい?」
「……めんどくさい」
本音が出た。
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「先生、聞いていい?」
「どうぞ」
「これ、毎日やるの?」
全員の視線が集まる。
「毎日です」
「えー」
「やらない日は?」
「その日は楽です」
「じゃあ――」
「翌日が大変です」
即答すると、
数人が顔をしかめた。
「先生、さ」
「はい」
「正しいこと言うよね」
褒めているのか、
文句なのか分からない。
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午後。
結局、
干物は三段階に分けることになった。
「今日の」
「昨日の」
「ちょっと怪しいやつ」
分類が増えると、
会話も増える。
「これ、どっち?」
「触ってみて」
「……微妙」
「じゃあ真ん中」
基準が、
まだ感覚だ。
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「先生、これ数えた方がよくない?」
誰かが言った。
一瞬、空気が止まる。
「……数える?」
「いや、その」
「数えるとさ」
別の男が続ける。
「誰がどれだけ出したか、
分かっちゃうでしょ」
分かる。
だから嫌なのだ。
「今まで、適当だったじゃん」
「それで回ってたし」
「回ってたけど、損もしてた」
“損”という言葉で、
全員が黙った。
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先生は、板を持ってきた。
「今日は、重さだけでいいです」
「名前は?」
「まだいりません」
名前を出さない。
それだけで、空気が和らぐ。
「重い方が高い?」
「基本は」
「じゃあ軽いのは?」
「数で調整します」
難しい話はしない。
分かることだけ言う。
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数え始めると、
すぐに文句が出た。
「これ、思ったより少ない」
「昨日より減ってる?」
「そんな気がする」
「先生」
「はい」
「これ、知っちゃいけないやつじゃない?」
「知ってしまいました」
笑いが起きるが、
少しだけ乾いている。
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夕方。
作業が終わる頃、
全員が疲れていた。
「……今日、長くない?」
「ちゃんとしたからね」
「ちゃんとすると疲れる」
正しい結論だ。
女たちが集まる。
「夜、どうする?」
「今日はやめとく?」
「疲れてるし」
「先生も?」
「今日は休みます」
「珍しい」
「たまには」
それだけで、
なぜか安心した顔が増えた。
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夜。
港は静かだ。
灯りが少なく、
話し声も控えめ。
先生は板に、
今日のことを書き出した。
ちゃんと干す
→ 手間が増える
→ 数が見える
→ 文句も増える
→ でも、損は減る
少年が、横から覗く。
「先生」
「はい」
「みんな、嫌そうだった」
「ええ」
「でも、やめないね」
「嫌でも、得だと分かるからです」
少年は少し考えた。
「大人って、めんどくさいね」
「ええ」
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翌朝。
港は、
昨日より整っていた。
「おはよう、先生」
「おはようございます」
挨拶が増えている。
「今日も、ちゃんとやる?」
「やります」
「だよね」
誰も嫌だとは言わない。
ただ、
ため息は増えた。
先生は板に書いた。
楽を選ぶと
→ 後で困る
ちゃんとすると
→ 今、面倒
「先生」
「はい」
「どっちが正解?」
少し考える。
「選べる方です」
少年は笑った。
この村は、
“ちゃんとする”という選択肢を、
覚え始めたばかりだ。
楽ではない。
でも――
戻れなくなるほど、
悪くもない。
先生も、
もう“よそ者”ではなかった。
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次回予告
第六話
「数えると、言い訳が減る」
誤字脱字はお許しください。




