第三十三話「名前がつくと、祈られる」
33話です。
朝の浜で、
歌が聞こえた。
波の音じゃない。
人の声だ。
しかも――揃っている。
「……誰だよ、朝から合唱してんの」
ランが眉をひそめる。
浜の端に、
白い布を羽織った一団。
男も女もいる。
年齢は、ばらばら。
真ん中に、
笑顔がやけに柔らかい女。
「おはようございます」
「祈りに来ました」
一拍。
「……祈り?」
マリが聞き返す。
「はい」
女は頷く。
「この浜で、尊い命が失われたと」
空気が、張る。
先生が一歩前に出る。
「誰に祈る」
女は迷わず答えた。
「海の恵みを司る御名に」
「名前、あるんだ」
ランが小声で言う。
女は微笑む。
「名前があるから、祈れるのです」
先生は、板を立てた。
名前
→
意味
→
役割
「嫌な矢印だな」
「全部、勝手に決まるやつだ」
女は板を見て、嬉しそうに言った。
「分かっていらっしゃる」
「分かりたくなかった」
女は続ける。
「ここは、
“選ばれた浜”です」
「出た!」
「その言い方!」
「昨日まで“管理区・仮”だぞ!」
女は穏やかだ。
「仮でも」
「意味は宿ります」
「勝手に宿らせるな!」
女は祈りの道具を置く。
小さな鐘。
布。
木の札。
「事故が起きた場所には」
「祈りが必要です」
「事故かどうか、まだ――」
「死があった」
女は静かに言った。
「それだけで、十分です」
一瞬、誰も言葉を出せない。
先生が聞いた。
「祈ると、何が起きる」
女は、はっきり言った。
「守られます」
「……誰が」
「ここにいる皆さんが」
マリが腕を組む。
「代わりに?」
女は、少しだけ間を置いた。
「“捧げます”」
「何を?」
「感謝を」
「規律を」
「そして――協力を」
「最後、重い!」
先生は板に書いた。
祈り
= helping hand
(※握られる)
「英語混ぜるな!」
「分かりやすいけど!」
女は笑った。
「私たちは、
何も奪いません」
「昨日も聞いた」
先生は言った。
「奪わない代わりに、
選ばせない」
女は、初めて目を細めた。
「選ぶ必要はありません」
「救いは、平等です」
その時。
「……先生」
トトが小さく手を挙げる。
「祈らないと、
いなくなった人、
帰ってこないの?」
浜が、凍る。
女は優しく答えた。
「帰ってはきません」
「でも、意味になります」
先生が、すぐに言った。
「意味は、
生きている人が決める」
沈黙。
女は、祈りを続けようとした。
鐘を鳴らす。
――チン。
先生が、その前に立つ。
「ここでは」
「まだ、祈らない」
「なぜ?」
「数え終わっていない」
女は困ったように笑った。
「数は、冷たいですね」
先生は頷いた。
「だから、
嘘を混ぜない」
女は一礼した。
「今日は、引きます」
「ですが――」
去り際、こう言った。
「祈りは、
断られると、
“必要なもの”になります」
浜に、重たい沈黙。
ランが呟く。
「……あれ、
次、断りづらくなるやつだ」
マリが頷く。
「“善意”って、
一番しつこい」
先生は、海を見る。
「名前がつくと」
「祈られる」
「祈られると?」
先生は一拍置いた。
「管理より先に、
信仰が来る」
浜には、
鐘の余韻だけが残っている。
この村は今、
“守られる場所”として
狙われ始めた。
(つづく)
誤字脱字はお許しください。




