第三話 魚は腐るが、噂は残る
第三話です
朝の港は、静かだった。
正確に言うと、
昨日より静かだった。
「……あれ?」
思わず声が出た。
昨日まで、
朝から誰かが怒鳴り、
誰かが笑い、
誰かが魚を落としていたはずだ。
今日は、音が一段低い。
「先生、早いね」
声をかけてきたのは、
昨日も顔を合わせた女だった。
「今日は、静かですね」
「うん。昨日ちょっと頑張ったから」
頑張った、の意味が
だいぶ独特だが、
今さら突っ込むのも野暮な気がした。
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広場では、魚が並べられていた。
昨日より少ない。
だが、誰も文句を言わない。
「今日はこんなもん?」
「まあね」
「昨日多かったし」
昨日を基準にするのは、
だいぶ危険な考え方だと思うが、
この村では普通らしい。
「先生」
少年が寄ってくる。
「昨日の板、残してたよ」
「えらいですね」
「でも、もう消していい?」
「なぜ?」
「魚、減ってるから」
理屈は単純だった。
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魚を触らせてもらう。
冷たい。
だが、昨日より少し柔らかい。
「これ、昨日のですね」
「うん」
「今日も売るんですか?」
「売るよ?」
即答だった。
「……大丈夫ですか」
「匂い嗅いでみる?」
遠慮した。
「先生、神経質だね」
「腐る一歩手前です」
「一歩なら平気」
一歩の基準が分からない。
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昼前。
魚を並べ直していると、
女の一人が言った。
「昨日の噂、もう回ってるよ」
「早いですね」
「魚より早い」
笑いが起きる。
噂の鮮度管理は、
この村では完璧らしい。
「先生も聞いた?」
「何を?」
「誰が誰とだったか」
昨日の話だ。
「……仕事に関係あります?」
「あるある」
何に?
「今日、動き鈍いでしょ」
「……確かに」
因果関係が
雑に繋がっている。
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昼。
魚の分配。
今日は揉めない。
理由は簡単だ。
全体的に少ないから。
「少ないね」
「まあね」
「昨日が多すぎた」
昨日が基準になるのは、
やはり危険だ。
「先生、どう思う?」
「保存した方がいいです」
「難しいこと言うね」
難しくはない。
「昨日の魚、今日まで持たせる方法です」
「干す?」
「塩を強めに」
「味落ちる」
味と安全の天秤は、
いつも味が勝つ。
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夕方。
魚を干す準備が始まる。
「今日は多めに干す?」
「うん。昨日の分もあるし」
昨日の分、という言い方が
すでに危ない。
「先生、手伝って」
「はい」
網に魚を並べる。
「こう?」
「もう少し間あけて」
「なんで?」
「空気通らないと、先にダメになります」
女が一瞬考えてから言った。
「先生、魚の扱い、人みたいだね」
「同じです」
「え?」
「放っておくと、先に悪くなります」
誰かが笑った。
「じゃあ、噂は?」
「放っておいても残ります」
笑いが広がる。
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夜。
今日は、集まりが小さい。
「今日は控えめだね」
「魚少ないし」
「体も重いし」
理由が全部現実的だ。
「先生も来る?」
「今日は干し場見てます」
「真面目だね」
褒められているのかは分からない。
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翌朝。
干した魚の一部が、
もう怪しい。
「これ、売れます?」
「……安くなら」
安くなる、で済ませる。
先生は板に書いた。
魚が多い日
→ 保存が雑
→ 翌日困る
→ 噂だけ残る
少年が読んでいる。
「先生」
「はい」
「噂、干せないね」
「ええ」
「腐らないし」
その通りだ。
この村は、
魚より噂の方が長持ちする。
「でも先生」
「はい」
「先生の話も、噂になる?」
少し考える。
「……そのうち」
「じゃあ、残るね」
少年は笑った。
港は今日も回る。
魚は減り、
噂は増え、
人は少しずつ慣れていく。
先生も、
ほんの少しだけ。
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次回予告
第四話
「僕の干物は裏切らない」
誤字脱字はお許しください。




