仁という鬼2
どっかーん!と本日もコロに蹴飛ばされ、宙を飛ぶ鬼、仁。
お銀
「今日も元気に飛んでますねえ」
あれから本当に毎日訪れる彼にすっかり慣れ始めたお銀は庭で狸が変化した娘、小百合のお手伝いで野菜の皮を剥いていた。
いつも頭蓋骨を被っている。
オオカミ姿の大牙がひょっこりと後ろから顔を覗かせてきた。その口には捕まえてきた鳥。
お銀
「君は狩上手ですねえ」
褒められて嬉しそうに尻尾を振りまくっている。よちよち撫でられてうっとり。
仁
「ふん!」
ボロボロになって戻った仁に首根っこを掴まれ、ぽいっと放り出されてきゃうーん!!!と悲鳴。
小百合
「ああっ!大牙しゃーん!!」
お銀
「なぜそんな意地悪をするんです。あの子がお昼寝の際くっついていたときも蹴飛ばしてましたよね」
呆れたように見上げると、そっぽを向かれた。それに後ろからクロがひょこっと顔を出す。
クロ
『ただの嫉妬だ』
お銀
「嫉妬」
その言葉にぷくっと膨れてどかっと隣に腰掛け、お銀の手から野菜と包丁を奪うとしゅりぃーん!!と見事な皮剥きを見せた。
おおっ。と拍手する素直な小百合。
なんだかんだ言って食事の用意ができると、客間に運んで皆で手を合わせて食べ始めた。
いつまでも頭蓋骨を外さない彼女に、いつ顔を見せてくれるのだろうか。と覗き込もうとする仁。
がぶ…。
コロに頭を噛みつかれた。
はい。食事の邪魔しません。
ぴすぴす言いながら米を頬張る。噛み具合が良いのか、まだ齧ってるコロ。
これももう慣れてきたのか、お、これ美味い。なんて味の感想を呟く余裕すらある仁。
大牙
「噂の鬼女をお嫁さんにするーって大口叩いて群れを飛び出したわりにうまくいってないっすね」
もりもりと頬をパンパンにしながらそういう大牙に、余計なことを喋るな!と仁に箸を投げられて慌てて伏せった。
お銀
「そう言えば今まであまり聞きませんでしたけど、噂を聞くまで何を?」
改めて聞くと、弥勒が語る。
弥勒
「数年前まではクロさん率いる群れに在籍してましてね」
クロがボスの群れ?しかもそれに狼が混ざっているなんて不思議だな。とそばで肉を貪るクロを見やる。
きゃるん?と愛らしいつぶらな金色の眼差しで見返してきた。仁と同じ色だなあなんて何となく思った。
弥勒
「ある時から鬼女が不気味な犬を連れて鬼狩り隊だった者を襲ってるって噂が流れててね。仁さん、それを聞いて尊敬してたんですよ。新しい噂を聞くたび何度も聞きたがって。いやー可愛かったですね。今はあんまり可愛く…」
咳き込んで誤魔化した。
弥勒
「でもある時からふっつりと静まって、仁さんはいてもたってもいられず群れを飛び出したんですよ。自分も親の仇を討ちたかったのと、たった一人で戦い続けた鬼女のために、何かできることをしたいって」
仁
「しゃおらぁ!!!!!」
耳を赤くした仁が弥勒にタックル。
がしゃーん。
小百合
「弥勒しゃーん!!!」
そんな鬼たちをよそにコハクは本日も壁に激突しながら食事している。
うーん、可愛らしいもふもふおちり。と呟くお銀。
朝食を食べ終え、狼たちは仁に絞められ語ることはできなかったが、その代わりクロが彼の生い立ちを教えてくれた。彼は照れているようで、止めようとするもののクロには立場的にかなわず、クロの下敷きになった。
わー面白い。
クロは犬語で話しているが、お銀にははっきりと聞き取れた。
長くなりそうだと察知し、たぬき姿になった小百合を膝に乗せ、コロを背もたれにして聞く姿勢を作った。
クロ
『あれは今から十数年前のことだ』
ここより東にある深い山奥に鬼たちが暮らす村があった。
鬼狩りに襲われ、今では煌々と燃え盛る炎しか遺っていなかったが。
まだいるぞ!と鬼狩りがそれぞれ逃げた鬼たちを追う中、一人の女鬼が自分の手より小さなタライの中に入った布に包まれた幼児に声をかけた。
母鬼
「いいかい。これから何があっても、声を出すんじゃないよ。出したらお尻ぺんぺんだよ」
そう言ってぐっと抱きしめると、川が見えてきて、辺りを警戒するように見回したのち、タライを流した。
川の果ては滝。
幼児は怯え、潤んだ黄金の目でタライにしがみつき、川沿いに立って涙を流す母鬼を見つめていた。そして滝から落ちる瞬間、母鬼が鬼狩りの凶刃に倒れたのが見えた。
恐怖渦巻く中、滝壺に飲み込まれ、流されていく。
その川の果て。
ぴくり。と馬のように大きな黒犬が黄金の瞳を露わにし、立ち上がった。
周りの群れの犬たちも、何かを感じ取ったようで不安そうに鼻を鳴らす。
風に乗って鬼たちの血の香り、そして煙の匂いが微かにする。
鋭敏な耳が何かの音をとらえた。
川の方から微かに泣き声が聞こえる。
長い脚で駆けつけてみると、川縁に引っかかったのか、布に包まれた幼子が寒さで震えていた。
咥えて引き上げ、濡れた布を剥がすと、その幼子は人間の子供のようだったが、額には女人の親指ほどもある小さな角が生えていた。
それが仁との出会いであった。
クロはその子を群れに引き入れ、仁と名付けて育てることにした。
寒さで震えていた鬼の子は犬たちの毛皮の温もりを分けてもらい、落ち着いたものの、意識を取り戻すと、母親を喪ったことを思い出したようで泣き喚き、体から火を吹き出し始めたため、普通の犬たちは怯えて近づけなくなった。
妖の血を引くクロだけが炎に耐えられたので、幼児の側にくっつくと宥めるように舐めた。そうすると次第に炎が収まり始め、鼻を啜りながらしがみついてきた。
鼻水……。
仕方ないな。と舐めてやると、きゅむっと顔を顰められた。
少し面白かった。
それからも時々、感情的になると物理的に燃えてしまうので、他の群れの犬たちは近づけず、クロだけがそばにいてくれた。
成長するにつれて次第に落ち着き、クロの指導で火を操れるようになった頃。
犬たちの言語もわかるようになって、自分が同族でなく、“鬼族”だということ、同族は殲滅されてひとりぼっちという話を聞いてしまい、再び寂しくて荒れてしまった。
鬼狩りが村を襲いさえしなければ、自分は…
鬼狩りへの恨み辛みが重なり、再び鬼火の制御ができなくなって、群れの仲間たちもさらに距離を置き始め、クロだけが辛抱強くそばにいてくれた。
そんなある日、外部からやってきた2匹の狼が群れのボスになるため、クロとの決闘を申し出た。
結果、クロの圧勝。
あっさり降参して群れに入れてもらうことになった狼たちは『弥勒』と『大牙』と名乗り、人型に化けることができる妖と知ると、クロが仁のお付きにした。
本当の仲間がいないことで、孤独を感じているのはわかっていたから、彼に少しでも近い存在がいればと思ってのこと。言うなれば親心。
初めは不貞腐れていた仁だったが、人に化けて話しかける狼たち。いろんなものに変じたり、他の妖についてや経験したことなどを話してくれたりして、次第に心を開き、人の言葉、読み書き、そして鬼の姿を隠すための化け方などを教わった。
変化の素質はあったようで、角を隠し、人型に化けた弥勒たちと共に人の村に降りては人の世界を学んで行った。
そんな中、とある噂を聞いた。
『ツノが生えた骨頭の女が、これまた骨頭の熊のようなものを連れて鬼狩り隊を殺している』と。
どうやら殺されずに済んだ者が目撃したことを語っているようで、興味を持った仁はもっと詳しく!と強請って何度も聞かせてもらった。
鬼族特有の筋骨隆々さはなく、普通の娘同様だとか。
それにもまた興味が湧いた。自分と同じ、人型の鬼がいるのだと。
新たに鬼狩りが殺された話を聞くたび、クロたちに俺の仲間がまだいた!俺の同胞がたった一人で立ち向かってるんだ!と嬉しそうに語り、憧れと、そして、ほのかな恋の芽吹きを感じていた。
仁
「会いたいな」
炎も制御できてない自分が手伝うなんて言ってもカッコつかないだろう、体も鍛えよう、見た目も整えてみよう。
町娘たちに秋波をよく送られることを弥勒たちに教わっていたし、見目は悪くないはず。さらにかっこよくなろう。とおしゃれも覚えることにした。
そして、その鬼女に会った時、いい感じになれたら。なんて考えながら、クロたちと過ごし、己の神通力も鍛えていった。
そんなある日、ぱったりと鬼女の噂を聞かなくなり、ついに退治されてしまったんじゃないかなんて聞かされて、いてもたってもいられなくなった仁は彼女を探すために群れを出ることを決意し、クロに話すと、一緒についていくと言ってくれた。
クロの補佐であった犬に、自分は引退するから次はお前が群れを率いる立場になれと告げ、群れにも伝達した。
成長した仁と和解した今、群れの犬たちは心配したが、そうしたいならと惜しまれつつも快く送り出してくれた。
弥勒と大牙も、兄弟のように育ってきたし、そばについていきたいとのことで、断ったが半ば無理やりついてきた。
それから色々あった。
探し歩く間に生き残った鬼族を見つけ、人型の鬼は『神』と崇められる力を持って生まれるとか、同じ人型のつがいとして生まれるとか、そんな話を教わった。
鬼狩りを始めたのは、とある『武士』がきっかけだったのも知った。
遊郭で女郎のヒモみたいな経験もした。彼女は病で儚くなってしまったが。
その旅路の途中で食べられそうになっていた小百合を助けたら恩義を感じてついてくるようになった。
数年が経つと、鬼女の噂が再び再燃した。
その噂を聞いて喜んだ。
おそらく彼女こそが自分の“番”であり、自分と同じ復讐の意思を持つ唯一の鬼だと。
共に敵討ちをするため、隣に立つため、いろんな情報を聞きかじり、探し続けた。
ついに城下町まで辿り着いて、何か情報はないかと巡っているうちに、賑やかな音楽に魅かれて訪れた先。
天女のように美しい舞をする彼女に目を奪われた。
そして彼女こそが探していた鬼女だとは気付かず、舞姫を狙う狼藉者を倒して助けようとした結果───。
自分でなんとかされたので出鼻をくじかれてしまった。
クロ
『そうして今に至るわけだ』
要約したとはいえ全部話しやがった…とがっくり顔を畳に埋める仁。
お銀
「なかなか長い話でしたね」
モフられるうちに眠ったたぬきと、いつの間にか部屋の隅でぷーすこ腹を出して寝ている子犬、コハクを抱き寄せて、そっと座布団に寝かせると、弥勒が手拭いを掛けてくれた。
でろん。
白目をむいて寝ているコハクに女の子なのに…とぼやいている弥勒。メスだったんだその子。とちょっと驚きを隠せない。
お銀
「それで、私を見つけて娶るとか、協力者になるとか言ってたわけですね…」
クロの下で顔を埋める彼を覗き込む。あ、つむじ。つん。
急に突かれてビクッとし、じとっと顔を上げてくる。
畳の跡がついてらっしゃる。
お銀
「私も、初めて同じ鬼に会えたのは嬉しかったです」
村では私だけ人型で、皆筋骨隆々だし、ツノもこんなに控えめで。と自身のツノを撫でる。
お銀
「神通力も獣と話せる、擦り傷が早く治る程度で、ほとんどないようなもの」
あなたが来てくれたことで、私は安心感を覚えた。
お銀
「他の生き残りもいると教えてくれたのも、あなた」
私は復讐に夢中で、生き残りがいることすら考えたことはなかった。あの村しか知らなかったから。
お銀
「私を探してくれてありがとう、仁さん」
その言葉にぐわっぱ!と一気に起き上がるもんだから転がるクロ。あーれー。
仁
「じゃあ!お嫁さんに!」
お銀
「ならない」
ドゥン。と床に張り付く大男。
起きたコハクがヒャッハァー!!とその背中を駆け上ってお尻の割れ目を掘りまくる。死体蹴りやめてあげて。と大牙が咥えてった。
お銀
「…ですが、まあ…その後のことはまず復讐が終わってからにしましょう」
!!!と顔をあげる彼。
お銀
「それより。この鬼狩りを始めたのは誰ですか?」
空洞がこちらを見つめている。
きらりと何か光った気がした。
仁
「最初に鬼狩りを始めたのは、『坂田金虎』という野武士だ」