仁という鬼
舞姫
「同胞…」
血に塗れた姿でじっと鬼の姿になった青年を見つめる。
ツノはあるし、爪も、牙も。
でも“普通の鬼”ではない。ほとんど大柄な人間同然。
舞姫
「あなたも"人型"で生まれ落ちた鬼なんですね」
仁
「まあな。普通の鬼だったらゴツくてデカくて怖い顔してるけどな。でもイカしてるだろう?」
ドヤ顔で何言ってんだこいつって顔のコロ。
仁のそばにいる大きな黒犬も何言ってんだこいつって目で見上げている。
舞姫
「それで?」
仁
「それで??」
あれっと戸惑う鬼にコロが唸って舞姫の前に立つ。
威嚇する錆色の子犬と黒犬たち。
がうー!!!
舞姫
「威嚇しなくていいんですよ。その鬼だけ追い出してどうぞ」
よし来たとスタスタ歩み寄るコロに咥えられ、待って待って待ってぇ!!!!とあわてて暴れて阻止。
そして助けない犬たち!!いい子でお座りしてんじゃないよ!!!!
何とか下ろしてもらって息を整え、改めて名乗る。
舞姫
「名乗らなくてもいいんですけども」
仁
「カッコつけさせてもらえませんかね。遠路はるばる鬼狩りを襲う鬼女の噂を確かめに来たっていうのに」
舞姫
「はぁ。それで」
仁
「お前を嫁にもらいに来た。俺の嫁になれ!!!」
舞姫
「何をおっしゃってるのかわかりません、お断りします、食事の途中なんです。一昨日来なさい、コロ」
わふ。と返事してすっと尻を向けると、凄まじい後ろ脚蹴りが発動。
どっかーん。と吹っ飛ぶ鬼。
お頭ーっ!!!と慌てて追いかけていく狼たち、そしてコロほどもある黒犬と錆色の子犬はてっこてっことマイペースに追って行った。
仁
「また明日来るぞーーーー!!!!」
その言葉にコロが舞姫を見下ろす。
コロ
『ああ言っているようだがどうすル?』
舞姫
「門前払いにしましょう」
普通の人には『わふわふ』としか聞こえないが、舞姫にはそうでないようで、さらりと返答した。
コロ
『だが、あの男…“ナツカシイ”匂いがすル』
懐かしい?と不思議そうに見上げる鬼頭の娘。
コロ
『俺をお前たちに与えた“主”の匂いダ』
その言葉に消えた方を見つめた。
コロをくれた“主”…。
幼い頃の微かな記憶を手繰り寄せた。
獲物不足で狩りができず、やむなく初めてヒトを狙ったあの日。
やけに小さくて丸っこい黒犬を連れた“ヒト”を家に誘い寄せたが、丸っこい黒犬が男に変わってその“ヒト”を庇って阻止され失敗に終わった。
なぜこんな事をするのかと問い詰められ、我が子の飢えをしのぐためにやらなければいけないのだと母が告げると、ならばこの子を猟犬として与えよう。と可愛らしい子犬をくれた。
それが今の“コロ”となった。
あの小さな子犬が大きくなり、骨剥き出しの頭になるなんて誰が想像したであろうか…とコロを見つめる。
へふ?なコロ。
舞姫
「幼すぎてあまり覚えていませんが…そうでしたかね」
ふっ。と背を向け、まだ残っていた亡骸のかけらを手に取り、がつっ!と貪った。
───翌日───
日が出てから一刻半経った朝。
土砂降りの中、雨傘を持った客人が大屋敷に訪れた。
仁
「手土産と共に再び参上つかまつった!」
仕留められた雉鳩を二羽、うさぎを二羽ほど担いでいい笑顔の鬼。
それに骨頭の犬、コロが顔を上げて隣の布団に丸まる娘を前脚でつついた。
コロ
『本当に来た。どうすル?』
舞姫
「……………」
布団の中でもぞごそとうごめき、枕元に置かれた人の頭より一倍大きな鬼の頭蓋骨に触れた。2本の角があり、その手前には穴がある。
ようやく起き上がると、さらりと銀髪が肩を滑り降り、頭蓋骨を被る。するとその穴に舞姫自身の角が通り、4本角になった。
舞姫
「雨の日なのに…?」
けだるそうに布団からのそのそ這い出て、転がるコロの背にもっふぅ…と埋もれた。
すやあ。
仁
「こーこーあーけーてーッ!かわいいわんこが震えちゃってるよーッ!やさしさはいずこにー!!」
舞姫
「犬たちだけ入れてあいつだけばいばいしてもらえます?コロ」
もう諦めて入れたらどうだ。と舞姫を背に乗せたままてっこてっこ玄関へ。
ため息をついて身だしなみを整え、ガラリと扉を開いた。
いい笑顔の青年とその足元にはぬれた犬と狼たち。
錆色の子犬は胸元にin。
あら可愛いこと。
ひょい。と子犬を取り出すと獲物をサクサク受け取り、犬たちを上げる。
そんじゃ俺も。とニコニコで蛇の目傘を閉じて入ろうとする彼の鼻先でピシャリと閉めた。
仁
「犬に優しいだけ!!!!」
俺にも優しくしてよ!!!ときゃうんきゃうん。
がらり。とまた扉が開くと、ため息をついてやっと上げてくれた。
舞姫
「あまり騒がれるとバレてしまうじゃないですか」
雨の中とはいえ。と頭蓋骨越しに睨みつけられているのがわかる。
しかし彼は怯まない。
仁
「普段からその頭なのか?黒髪じゃなかったか?」
舞姫
「……これは母の頭蓋骨です。髪は染め粉で黒くしてるんです。地毛はこれです」
満足したならこの子達は置いてお帰り下さい。と黒犬を撫で、わふわふっとコロのしっぽに戯れるサビ模様の子犬を抱き上げ、手ぬぐいを持って来させて犬たちの脚を拭う。
仁
「頑なだなあ。せっかくの同胞なんだからもっと仲良くやろうぜ。そいつのでかい黒犬の名前はクロ。この錆犬はコハク、こっちの狼どもは白っぽいのが弥勒、茶色いのが大牙。ほんでこいつが小百合」
しゅるり。と首に巻かれた襟巻きが動いて、ひょこっと顔を出す。
仁
「たぬきさんです。ほらご挨拶」
小百合
「小百合ですっちゃ。どうぞよしなにっちゃ」
肩から降りてプルルっと体を震わせ、すくっと二本足で立ち上がり人語を話して会釈。
それに少し驚いた様子を見せる舞姫。
仁
「こいつらも人語を話せる。変化もできるぜ。おい」
その声掛けにぽむぽむん!と狼たちとたぬきが変化した。
弥勒と呼ばれた狼はなかなか凛々しい整った面差しの青年に。大牙と呼ばれた狼はワイルドさ醸し出す愛嬌ある小柄な少年に。
小百合と呼ばれた狸はどこか幸薄そうな美少女に変化した。
舞姫
「…すごい」
つん。
頬をつつかれてへふっ。とニコニコする大牙。
可愛らしい。
仁
「クロは鬼狩りで親を亡くした俺を拾って親代わりになってくれた。この子犬はゴミを漁ってたのを拾ってきたのさ」
見たところ他に人が居ねえようだ。こんな立派な屋敷を保つのは大変だろう。同胞のよしみで変化できるこいつらをやるよ。いずれ俺の嫁になるしな。といい笑顔。
舞姫
「それはとてもありがたい申し出ですね。嫁にはなりませんが」
実際広すぎて使う部屋しか掃除していなかったし、持て余していた。狼たちがじゃあ我々は掃除と、晴れたら草刈りを!と笑顔で胸を張った。
小百合
「うちはご飯作れますっちゃ」
ぽむん。と割烹着と三角頭巾を出して装着。
おやまあ可愛らしい。と眺めていたら腹の音が響いた。
そういえば朝食がまだであった。
早速ご用意しますっちゃ!台所は何処でしょうか?と問われ、素直に案内した。
保管場所には野菜や調味料などがしっかりある。
舞姫は肉と野菜を雑にぶちこんで味噌と塩を入れ、ただ煮込むだけの雑鍋を作るだけで、凝った料理はあまり得意ではなかった。
ちゃっかりついてきている男鬼はもう好きにさせることにし、調理場に立つ小百合をコロと共に後ろで眺めた。
ちょっと落ち着かなさそうな小百合。
足元にはコハクがちょんとお座りして涎を垂らして見つめている。
クロがそっと咥えて連れて行った。
いやーん!とわふわふ鳴き声が聞こえる。
食いしん坊なんだろうな。と何となく分かってきた舞姫。
後ろから仁が顔を覗かせてきたので、何ですか。と見上げる。
仁
「いやあ。名前ずっと聞いてねえもんでね。なんて呼べばいいんだろうかと」
人好きのする笑顔を浮かべている。
お銀
「…お銀です。町では舞姫と呼ばれてますけど」
怪訝そうな声色でそう答えると、おぎん!お銀ちゃんかぁ。とでへへっと嬉しそうに笑って何度もその名を呼ぶ。
その顔に、ふぁっと懐かしい顔が重なった。
赤毛の“彼”とそっくりな顔。
改めて見ると似ている。
お銀
「…あっちに行っててください。客間がありますから。あまり使ってないので埃っぽいでしょうが」
ぐい。と顎を押し上げると、うごっと声が漏れたのが聞こえた。
お銀の言葉に客間の掃除をしてきます!と狼たちがいつのまにか雑巾と箒を持って走って行った。どこから見つけたのだろうか。鼻が効くんだろうか。
お銀
「…なぜあの化け狼たちを連れてるか聞いても?」
そばに転がっているコロに腰掛けて問う。
仁
「あー、そりゃあいつらがクロに挑んで負けたから。それで俺たちの子分になるって言って聞かなくてな。そのまんまついてきたよ」
カラカラ笑ってどっかりと床に腰掛ける。
仁
「うむ、硬い。座布団はないのか」
お銀
「お客として招いてませんから用意する義理はございません」
ツン。とそっぽを向く彼女に冷たいのー。よよよっ。と泣き真似。
コロがふぁーあ。と大あくびするとコハクがその口に顔を突っ込んできたので、あがあが、とちょっと慌てるのをクロがどかして助けてくれた。
助かった。と一安心のコロ。
しかしこの子は物怖じせんな。
いい笑顔でじゃれついてくる子犬を鼻先であしらううちに寝たので、クロが咥えて前脚の間に挟んで舐めている。
気持ち良さそうに眠るコハクを眺める骨頭犬と同じくらいの大きさの黒犬。
なんだか奇妙な光景だな。と仁が愉快そうに呟いた。
お銀
「あの狸…小百合さんは?」
仁
「あれは人間に虐められてたぬき鍋にされそうになってたところを助けたら懐かれてな」
たぬき鍋…。と小百合の後ろ姿を見やる。
あ、たぬきの尻尾が揺れている。
お銀
「それぞれ苦労なさっているようですね。あなたはなぜ噂を聞いた程度でここまでやってきたんでしょうか?」
その言葉にふっと微笑みを浮かべる仁。
仁
「俺やお前さんのように、同胞の敵を討とうと考える鬼がいなかったからだ」
その発言に動揺したのか、立ち上がる。
お銀
「他にも鬼の生き残りが?」
仁
「ああ。鬼狩り共の掃討は完璧じゃなかったからな。討ち取り損ねた鬼たちもいる。俺はここまで旅する間にそんな隠れ潜む鬼たちに会って、仇を討とうと有志を募ってきたが、誰もついてこなかった」
皆人間の報復を恐れて、これ以上同胞を失えないとさ。と呆れた様にそう告げると、お銀の拳がぐっと握られた。
仁
「俺が人型をしているせいか、なおさら当たりは強かったね」
へっ、弱虫どもめ。と不貞腐れた様に立てた膝に肘を乗せて頬杖をつく。
仁
「鬼狩り共と戦おうという鬼は一人といなかった。唯一お前さんだけが立ち向かっていた。お前さんだけだった。同胞の仇を討とうと立ち上がっていたのは」
その言葉に思わず握られていた拳が緩んだ。すると手を取られ、立ち上がって見下ろす仁を見上げる形になった。
仁
「そして昨日、噂の鬼女であるお前さんにようやく会えた。俺と同じ人型の鬼。知っているか?この世に生まれ落ちる人型の鬼には、必ず同じ人型の番が現れるという」
お前さんと俺は、共に鬼狩り共と戦い、番うことになる運命なのさ。とどこか煽情的な微笑みを浮かべる。
ぐい。
コロ
『近いゾ』
割り込んできた骨頭犬に、口説く邪魔をしないでくれるかね。お前の飼い主の番になる予定の男だぞ。敬わんかい。と胸を張る。
どこから来るんだその自信は!とがうがうがう!!!!
案の定、コロに食いつかれてあちこちビタンビタン叩きつけられてる。
ぽい。
雑に放られた。
ぐったりする仁。噛みつかれた部位から血は出てないが、涎で濡れてる。
コロ
『あいつ硬いナ』
カチカチと歯を噛み慣らし、舌舐めずりするコロを宥める様に撫でるお銀。そして助けないクロ。
なぜ助けない!?!?と飛び起きる仁に、クロがやかましいぞ。コハクが起きるだろうが。と牙を剥き出してきてヒェッと下がる。
お銀
「あなたの立場がわからなくなりました。あなたってこの一行の頭領みたいなものでは?」
仁
「そのはずなんだけどなあ」
噛まれた頭をぽりぽり。あーいてて。おもっきり噛みやがって。刃が通らない皮膚とはいえ痛いもんは痛いんだぞ。とぷーぷー。
刃が通らない…。
仁
「人型の鬼は神通力を持って生まれるってのは聞いたことあんだろう?」
その言葉に頷くお銀。
仁
「俺は爪牙や刃を通さない肌に、変化、そして鬼火を操る力を持って生まれた。だから人間共に襲われたとき、俺は殺されずに済んだのさ」
だから生き残ったのか。と納得した。
仁
「お銀ちゃんはなんの神通力を持ってるんだ?昨日戦っているのを見たが、その頭蓋骨が頭にまとわりついて形になったり、爪を伸ばしていたよな。変化とかかい?」
その言葉に首を振る。
お銀
「私は自分の擦り傷が早く治るのと、獣と対話ができるのみです」
とてもしょぼい神通力だと揶揄われたものだ。
お銀
「一番良いのは、地水火風の自然を操る力、豊穣の力、治癒の力だと言われていますが、私はそのどれも該当しない。ただの小娘と何ら変わりない存在です」
頭蓋骨を撫でる。
お銀
「私が“爪”と“牙”を持てたのは、ある神の助けがあってのこと」
ある神…?と食い入る様に問う仁。
それに答える前に、弥勒たちが掃除が終わったと知らせに来たため、話を切り上げることにした。
小百合
「食事の用意ができましたっちゃ」
愛嬌ある微笑みを浮かべ、お膳に並べられた美味しそうな手料理を見せてくれた。
弥勒が真っ先にそのお膳を客間に運ぶ手伝いを申し出た。
彼の小百合に向けるどこか熱っぽいその眼差しに、何か察するものがあった。
弥勒は彼女を好きなのだ。
だが狼と狸。
客室へ向かう道中、あの二人、実ると良いね。と隣を歩くコロを撫で、こそっと呟いた。
へふ。
そうだな。と返事したのが伝わって、微かに口元を緩めた。
客間がピカピカになっている。
あんな短時間で。と驚きつつ、並べられるお膳を前に腰掛ける。
コハクもいつのまにか起きてご飯をよこせぇぇぇ!!!と大興奮で小百合にまとわりついている。あの子は元気すぎやしないだろうか。
仁
「拾った時からすっげえ食い意地はっててなあ…」
クロも少し疲れた顔。どうやら毎度のことらしい。
お疲れ。とコロが慰めている。
大牙がお前のご飯はこっちな。そう言って鳥肉をほぐしたものを盛り付けた皿を出すと、半ば突撃するように食らいついて、畳の上を滑りながら壁に激突して行った。
一心不乱に貪る子犬を思わず眺める一同だったが、気を取り直し早速食事にありついた。
お銀
「……美味しい…」
どこか優しい、母の味を彷彿とさせるような味わい。
鳥の釜飯も美味しい。味噌汁も野菜がたっぷり入っている。うさぎ肉は少ないのでつみれにしてシソなどの風味ある薬味を練り込んで茹でてある。ご飯がよく進む。
仁
「こいつの親が化けて小料理屋をやっていたらしくてな。それで料理を覚えたそうだ」
なんとも器用な狸だと思わず尊敬の眼差しを送った。
ぽむっと二足歩行のたぬき姿に戻って、照れ臭そうにもじついている。
愛らしい。
あっという間に完食して転がり、満腹だと幸せが詰まったお腹を撫でる。
仁
「いい贈りものだったろう?」
にっこにこしてちゃっかり隣に転がって見つめる仁。
それを無言で見やる。
お銀
「そうですね。貴方はそろそろお帰り願いましょう」
コロ。と声をかけるとよし来た。と襟首を加えて玄関へ。
仁
「待ってえーーーーーーーー!!!!!」
器用に前足で引き戸を開き、ぽいっと放り出すと閉めた。
仁
「くぅっつれない!!!明日も来るぞ!!!」
諦めないからなー!!!と吠えて蛇の目傘を差し、雨の中を進んで町へと降りていった。
めげないやっちゃ。と引き戸をまた開いて顔をのぞかせるコロ。
見えなくなるのを確認すると閉じて客間へ戻っていった。
たぬきがぴすぴすと鼻を鳴らしている。
コロ
『この子は純粋に慕ってるようだナ』
お銀
「そうですね。あなたたちも彼の後を追いたければどうぞ。そうでなきゃここでごゆっくり。雨の中ですからね」
その優しさを彼にも向けてもらえないものかと思う狸だったが、急に現れて嫁にとのたまうような怪しげな男を警戒するのは無理もないかも。と考え直して、とりあえずお膳を下げます。とぽてぽて働く。それに手伝う。とやはり弥勒が名乗り出る。
お銀
「なんとも愛らしいですねえ」
可愛らしい二人の様子に、まるで“彼ら”のようで思い出しますね、とぽつりと呟いた。そばに腰掛けたコロが同意するように尾を揺らし、“彼ら”に想いを馳せていると、コハクにがうー!がう!と挑まれたので相手し始めた。
なんだかんだと面倒見の良いコロにクスッと笑って、さて。私も彼らの寝所の用意をしておかないと。と立ち上がった。
大牙がお手伝いしやす!と敬礼。
助かります。と大牙を連れて近くの部屋を片付け、布団を出していく。
この屋敷はいろんなものが遺されていて助かる。
狸たちの分の布団。
そして。
あの鬼の分の布団も、用意した。