舞姫と同胞
満月が美しい真夜中のとある山奥。
ボロ切れのような着物と腹当てを身に纏った10人ほどの雑兵たちがそれぞれの背を護るように立ち、刀を構えていた。
かちかちと歯を噛み慣らすのはただの寒さによる震えか、それとも怯えか。
「出たぞ!!」
叫んだ男の方を向けば、すでに鋭い何かに引き裂かれ、その屍を踏み台に馬ほどもある巨大な黒犬が頭上を飛んだ。
思わず目で追う。
その犬の頭は、角が生えた犬の頭蓋骨そのもの。そんな不気味な犬の背に、女の雪のように白い足が見えた。
狙おうと刀を振るうものの、犬の熊のように太い前脚で払われ、よろめいた。
ハッとする。
あの女が背中にいない。
雑兵たちは慌てて骨頭の犬を警戒しながらあたりを見回すと、頭上に影がよぎった。
一斉に見上げると、その女は4本のツノを生やした、華奢な体には不釣り合いなほどの大きな頭蓋骨を被っていた。
銀髪がゆらりとはためき、彼女の着地と同時に何人かがバラバラに切り裂かれた。
鋭く伸びた爪から、血が滴る。
その恐ろしさに、不気味さに、ひぃ!と一人、また二人、逃げようとした先にいた骨頭の犬が襲ってきた。
あっという間に押さえ込まれ、ぶちぃっと頭や手足をもがれ、はらわたを引き摺り出されて絶命していく仲間たちに悲鳴をあげ、前を向けば鬼女が仲間の首をくぱりと切り裂いたのが見えた。
血飛沫を浴びようが、意にも介さない。
ついに最後の一人となった雑兵は岩壁に追い詰められ命乞いをするが、骨頭の犬に押さえ込まれ、逃げられなくなった。
骨頭の鬼女が見下ろしてくる。
ぽっかり空いた眼窩の向こうで、星空が揺らめいて見えた気がした。
「───お前達は、命乞いした鬼達を殺したじゃありませんか」
その言葉を最後に、雑兵の眼前は闇に覆われた。
―――――――――――
とある城下町に、手妻師などの芸者が集う場所があった。
シャンッ
シャンシャン
どど、どん
どど、どん
どんどんどんどん
シャンシャンッ
ピーヒャラピピ ピ ピ ピ
ピーヒャラピピピ ピ ピ ピ
シャンシャンッ
どんどんどん
シャンッ
ピピピ ピ ピー
シャンシャンッ
笛と太鼓、そしてその中に混じる鈴の賑やかな音楽が路上に響き、町娘や通りがかりの旅人までが集う。
人々の目線の先。
鼻先まであるツノの生えた犬を模したお面をつけた黒髪の娘が舞っていた。それはそれは美しく、老若男女問わず見惚れる。
腰まである黒髪が陽を浴びて、さらさら揺れ煌めく。
楽器持ちが彼女の舞の魅力を高めようと、その手足の挙動に自然と合わせて笛を、太鼓を鳴らす。
シャン
シャンシャン
足が地面に触れるたび、鈴が軽やかに鳴る。
指先まで白魚のように白く美しく、羽衣を纏い、揺れ動くたびそれが風に煽られ、ふわりと膨らむ。
誰かが言った。
彼女は“舞姫”だと───。
しゃあ…ん。
踊り切ると、舞姫は平伏し、ご拝見、ご拝聴ありがとうござんした。と礼を告げ、懐からすすっと風呂敷を出して広げた。
拍手喝采、そしておひねり、菓子などがその風呂敷にどんどん放られていく。
町の男
「やあ、舞姫さん。素敵な舞だった。明日もここに来るのかい?」
そう声をかけると、はみ出したおひねりたちを風呂敷にかき集め、立ち上がった。
「さてな。明日は雨が降るようです。晴れれば舞に現れましょう」
恭しくご挨拶すると、明日は雨かい?こんなに晴れとるようだが。と男が笑う。
「信じなくとも構いません。私は雨の匂いがわかるのです」
くすりと微笑む、艶のある紅が引かれたその艶かしい唇に思わずほけえっとなってしまう町の男に、やだねこの人!見惚れてるよ!気持ちはわかるよ!と周りがおかしそうに囃し立てている。
うっせえやい!と面映そうに言い返す様がなんとも愉快で大笑い。
その間に舞姫は風呂敷に包んだおひねりと菓子を少し取り出し、楽器持ちたちに配った。
太鼓打ち
「いらんよ!わしら、姐さんの舞に惚れ惚れして勝手に合わせとっただけじゃけえ」
笛吹き
「そうさね。だって姐さん、鈴の音だけで踊るんだもんよ。もったいなくてさあ!」
それに舞姫は口角をあげ、お陰でより客を集められたので、これはその分のお礼とお捻りです。と半ば押し付けるように渡すと頭を下げ、散っていく客たちの間をすり抜けていく。
太鼓打ち
「なんともまあ、律儀で礼儀正しいお人じゃのう」
笛吹き
「綺麗な話し方だったねえ。どこぞの良家落ちかね。ほら、あそこの国の狭間でまた戦があったってよ。巻き込まれたんかもねえ」
可哀想なもんだとありがたそうにお捻りを懐にしまい、荷を纏めて帰っていく楽器持ち。
客たちの中に紛れていた腰に刀を差したガラの悪い男たちが目を合わせ、ニヤリと笑って舞姫の後を追った。
人さらいであろう。
さらにその男たちの後ろを追う饅頭笠を被った青年がいたが、気づかなかった。
町を抜け、四半時ほど歩くにつれて次第に雰囲気が怪しくなっていく。
城下町より先は貧民の家が立ち並び、乞食が食べ物を乞い、戦などで手足をなくして苦しみうめく青年やら、遊郭落ちの梅毒持ち娘やら、見捨てられた年寄りやらがあちこちを徘徊していた。
その道を時折菓子を配って通り抜け、さらに奥まった林の中へと消えていく舞姫を追い続けていた男達が少し怯みを見せた。
浪人
「あんな所に家なんてあったかぁ?」
浪人2
「いやいや、あそこが通り道かもしれんなあ」
浪人3
「なんにしろ、見失っちゃなんねえぞ。きっと高く売れるだろうさ。いい尻してるしなあ」
けけけ、と黄ばんで欠けのある並びの悪い歯を剥き出して笑うガタイの良い男に、そうだなぁ。肌もやわこそうだったな。と細身のもう一人のてっぺんが薄らいだシワのある男が懐に腕を入れて笑う。
頭らしき小柄な髭を生やした男が無駄口叩いてないで行くぞ。と追っていく。
それに追従する子分たち。
数十歩ほど離れたところで青年が木陰から顔を出した。
青年
「典型的な人さらいだねえ」
首に巻かれた襟巻きをそっと撫で、ニタリと笑い、いつのまにかそばに控えていた大きな黒犬とサビ模様の子犬、さらにもう2頭の犬…いや、狼を引き連れてそれを追う。
次第に深くなっていく木々、竹、その狭間に獣道があり、それを舞姫がどんどんと進む。
人気が失せ、そろそろいいんじゃねえかと目線で伝え、ついに舞姫に襲いかかる浪人たち。
舞姫
「愚かな」
氷のような声色でそう呟いたのが聞こえ、舞姫がこちらを振り向いた。
「へ?」
浪人の一人が素っ頓狂な声をあげ、何かに飛びつかれ倒れ込んだ。
なんだ!?と一斉に振り向くと、息を呑んだ。
馬ほどもある巨大な黒犬。そして角の生えた骨頭。涎を垂らしているその牙が立ち並ぶ、鰐の口ほどもありそうな大顎。
恐ろしい容貌にひいっと悲鳴が漏れた。
ぐぁぱ。と唾液の糸を引きながら開かれ、恐ろしさに目を見開いていた細身の浪人の頭が咥え込まれた。
ごきり。と嫌な音を立てた。
だらりと脱力した肩に血がじわりと滲む。
大犬はそのままぶん!ぶん!と振りかぶって大柄な浪人にぶつけた。その男は木に叩きつけられ、折れた木の枝に突き刺さって即死であった。
むが、ごり、ごくん。と細身の男を丸ごと飲み込むと、血に塗れた牙をぺろりと舐めて最後の小柄な浪人に向き合う。
「ひぃえええっ!!!!」
恐ろしくて、恐ろしくて、股間が嫌な温もりと異臭を発し始めたことさえ気づかず、泡食って逃げようと駆け出した先。
舞姫が立っていた。
平然としたその様に、まさか、この女も…と震え上がり、挟まれて動けずにいた。
舞姫
「ここ最近、私の“知り合い”が攫われましてね」
その子はお揃いにと言ってとても綺麗なかんざしをくれたのです。ほぅら。美しいかんざし。と髪から抜いて見せる。
しゃらりと揺れる飾りに、覚えがあった。
つい最近さらって、小娘をいたぶり穢すのが大好きなお貴族様に売りつけた女もそれをつけていた。
舞姫
「その子は川に浮かんでいました。とても痛々しい姿で」
打ち捨てられた乙女の哀れな姿は瓦版にも張り出され、民衆の憐憫を誘ったほどだった。
くるりと首を回すと、舞姫の頭の周りを何か白いものが纏い始め、次第に形になっていく。
4本の角が生えた大きな鬼の頭蓋骨。
ヒィ!!!!と浪人が目をむいた。
「き…鬼女!?鬼狩りを殺し続けてるってぇバケモンがこんな所にいたのか…!?」
お…俺は悪くねぇ!!女を売った後のことなんざ知らんよ!!!なあ!!あんたがやってんのぁ、鬼狩り殺しだろう!?
「俺はただのちんけな人さらいだ!!あんたのことは言わん!なあ見逃しちゃくんねえかなあ!?仲間もいなくなっちまったしもうやんねえから!!なあ!?」
舞姫
「誰もがそう仰る。悪因悪果、因果応報、その言葉があります。今まさにその報いを受ける時が来たのですよ」
必死の命乞いに返ったのは冷え切った言葉。
それに震えながら、う、う、うるせぇ!!!と腰差しの刀を抜いて斬りかかろうとしたが、舞姫は軽やかに避けていく。
舞うように。
ゆるりと羽衣が手首に触れ、くるりと潜り抜けて距離をとっていく。
良い香りが鼻腔をくすぐり、美しい挙動に見惚れてしまいそうになるが、慌てて頭を振って、化けもんが!不気味な動きしやがって!!!と刃を突き出そうとしたが、手首から先がなくなっていた。
「あへっ?」
間抜けな声をもらし、あるべきものがない断面を見た。血が溢れ出す。そして迸る激痛。
悲鳴をあげて跪き腕を押さえ、舞姫を見上げた。
羽衣が揺れ、風で広がった。
爪が長く伸びた手に、浪人の手首があった。
片方の手には、奪った刀。
舞姫
「さよなら」
刀が横一文字に振るわれ、ずぱん。と浪人の首が高く飛んだ。
その着地先に骨頭の大犬があーんと口を開けて待機しており、ばくん、と丸呑みにした。
舞姫
「帰りましょう、コロ」
そこの亡骸外してくれる?それも晩ごはんにするでしょう。と指示を出し、膝をついたまま絶命している頭のない浪人の身体に虚しく差してある空鞘に刀を差して担ぐ。
コロと呼ばれた大犬がわかった。と言っているのか、へふっと鳴いて立ち上がり、木の枝に突き刺さったままのガタイの良い浪人の腰を咥えて引き抜いた。
木に血の筋が残ったが、まあそのうちなくなるだろう。
一人と1匹、そして亡骸が二つといった奇妙な仲間を連れて、林を抜け小山に登った先に、隠された大屋敷があった。その門を開けると入っていく。
ここに住んでいるのはコロと呼ばれた角の生えた骨頭の大犬と、舞姫と呼ばれた娘のみ。
かつてはお貴族が妾を囲うために作られたものらしく、どうやって住むことができたのか、その話はおいおい明かされるだろう。
舞姫
「やれやれ。洗わないと臭くてたまらない。こいつらを洗ってから食べよう」
亡骸の服を剥ぎ取り、毛を削いで庭の川に沈め、血や汚れを丁寧に濯ぐと引き上げ、器のような形に彫られた艶のある大きな木の板に乗せ、手を合わせて頂きますを告げ、コロと共に貪っていく。
血溜まりが器の中心へと集う。
肉を裂き、咀嚼。
コロは骨や腑を丸ごと貪っていく。
「こりゃ驚いた」
その声に臨戦体制に入って構えるコロと舞姫。
視線の先には黒犬、サビ模様の子犬、狼二頭を両脇に携え、黒の饅頭笠を被った青年が口元を弧に描いて笑っていた。
青年
「まさかこんなところで噂の“鬼姫”にお目にかかれるとは思いもしなかったぜ」
美しき舞姫を狙う狼藉者がいたから心配してついていってみれば、なんてこたぁない。返り討ちにされ、しかも喰われてるときた。
饅頭笠を外すと、癖のある長い黒髪を雑に括った整った顔立ちが現れた。
鋭く釣り上がった黄金の眼差し。
仁
「俺は仁」
ふわり。と姿が変わり、歌舞伎者のような華やかな着物を身に纏い、解かれた長髪、その額には長く突き立つ2本の角があった。
仁
「お前と“同じ”境遇に身を置く者であり、同胞だ」
さぁっと一陣の風が吹き、木の葉がゆれた。