83. あかの自分
★視点★ 櫻小路和音
令和六年、十一月十六日、土曜日。和音。
「うお~い。誰かおらぬか~。うお~い」
「はいはい。どなたかは存じませぬが、そのように大声で呼ばすとも、門に備え付けてあるインターホーンを押して頂ければ参りますよ……って、さ、さ、さ、三休和尚。あなたは、三休和尚ではないですか。お~い、皆の者、三休和尚が、何や知らんけど突然お帰りになられたぞ」
夜夕代が三休和尚の散髪をしたその週末。俺は三休和尚に連れられて、隣の市の山のふもとに建つ、とある寺院を訪ねた。和尚が門前で割れんばかりの声を出すと、それを咎めるように中から出て来た坊主が、和尚の顔を見て慌てふためく。相手の反応を見て、とうの本人は、面倒臭そうに鼻をほじっている。
「三休和尚。今日まで何をしていたのですか」
出迎えた坊主が、玄関かまちに腰かけた和尚の草履を脱がせ、水だらいで和尚の汚れた足を丁寧に流しながら言う。俺は、その横に突っ立って、坊主と和尚の会話を聞いている。
「何って。帰り道の途中で、ちょいとひと休みをしておっただけじゃが」
「いや、ちょいとひと休みって……大久手市にあった寺院をあなたが失ってから、はや十七年ですよ、十七年。噂では公園で乞食まがいの生活をしているとか……」
「噂というか、今日も用を済ませたら公園に帰るが」
「何故に? あなたのような高僧が、何故にそのような惨めな生活を」
「え~い、うるさいうるさい。おぬしは、昔から口やかましいヤツじゃったが、相変わらずじゃのう。――そんなことより、今日ここを訪れたのは他でもない。本堂を借りるぞ」
「本堂? もちろん結構ですが、なんでまた?」
「言わずもがな。我が宗派が本堂で行う事と言えばひとつ。座禅じゃよ。今日はこの若者と座禅の修行をしに来た」
和尚がズカズカと廊下を歩いて行く。俺はその後を追う。本堂へと案内される途中で、和尚に話しかける。「びっくらこいたぜ。あんた、そんな成りをし腐って、実はずいぶんと偉いお坊さんなのだな」「偉い? 偉いとはなんじゃ。言うとる意味がよく分からん」「いい歳こいてひねくれてんじゃねーよ」「ひねくれ。その言葉、おぬしにだけは言われたくないぞ」本堂に着くと和尚は俺を本堂の壁を背にして座らせる。その際に座布団を二つに折ってお尻の下に充てろだの。右の足を左の腿の上に乗せろだの。手は掌を上に向けて右手を足の上に置き、目は完全に閉じず半眼にしろだのと、細かい指示を出す。
「なあ、和尚。本当にこの座禅なんちゅう胡散臭い修行をしたら、この場で愛雨や夜夕代と逢えるのだろうな。夜夕代とあんたにそそのかされて、こんな遠くまでわざわざ付き合ってやったんだ。騙しやがったら老人とはいえ許さないぜ、俺は」
「オイ、腐れ外道。これは誰のための行いだ? 次にそのような不遜な口を利いたら息の根を止めるぞ」
ほんの少し首をすくめ、俺はあらためて姿勢を正す。
「それでは、和音よ。只今より、座禅の行にて、精神統一し、無我の境地を得よ。さすればおぬしの体に住む別の自分と出逢えるであろう」
こうして、座禅の修行が始まった。その最中、眠気が襲ってきてウトウトしていると、三休和尚から警策と呼ばれる棒で肩を叩かれる。いてて。考え事をしているとそれを見抜かれ同じく肩を叩かれる。痛いっちゅーの。
精神統一。無念夢想。無我の境地を得よ。そうすれば、愛雨や夜夕代と出逢える……………………………………………………その時は、一本の線香が燃え終わる頃に訪れた。
「………………ハロー。和音、聞こえる?」
「……そ、その声は、夜夕代か?」
「そうで~す。夜夕代ちゃんどえ~す。へえ、すっご~い。無我の境地に入ったら和尚さんの言う通りみんなと出逢えたね~」
「みんな? あれ、誰か一人忘れてね~か?」
「誰か? 誰だっけ? いや~ん、名前が出てこな~い」
「………………ちょっと、二人とも、そんな意地悪を言わないでよお。僕だよ。愛雨だよ。僕ならここにいるよお」
俺は――僕と、俺と、私になった。
【登場人物】
櫻小路愛雨 悩める十七歳 三人で体をシェアしている
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
三休和尚 口の悪いお坊さん