82. 三休和尚にぜ~んぶ正直に
★視点★ 櫻小路夜夕代
令和六年、十一月十四日、木曜日。夜夕代。(血の池高校の文化祭から三日後)
泣きっ面ですよ、ほんちょにもう。
開演寸前でヘンタイ蛇蛇野にトイレで襲われ、恐怖で気を失っている間に、私が主役を演じるはずだった「悪役令嬢と陰キャの恋」の演劇が終わっちゃったのだからね。
それにさ。あの日あの時、私が気を失ってから、あのトイレでいったい何があったのか、愛雨と和音に「僕と俺と私のノート」を通じて尋ねても、野郎どもったら、はぐらかすような返事ばかりで具体的に教えてくれないのよね。いったい何を隠しているのやら。プンプン。にしても、驚いたわ。まさか、土壇場であのヘッポコ愛雨が、私の代わりに主役の悪役令嬢マティルダを演じただなんて。あ~あ、悔しいなあ。長い台詞を頑張って覚えたのにい。キュートでプリティーなステージ衣装で、観客の視線を釘付けにしたかったのにい。そして何より、ラストシーンで愛しのダーリン春夏冬くんと激烈キッスをぶちかます予定だったのにい。きいいいい、蛇蛇野のアホ。私と春夏冬くんのキスを返せ。
昨日、和音が、蛇蛇野の顔を見るなりヤツからスマホを取り上げ、問答無用で初期化の刑に処してくれた。ヤツが他の生徒に画像を拡散していない限り、これで私のエロ画像はこの世から消滅したことになる。まったく疑わしいけれど、本人が神に誓って拡散はしていないと言い張るのだから信じるしかない。てか、本音を言えば、蛇蛇野のスマホなんて、ハンマーでぶっ壊してやりたいっちゅーのよ。今回は情状酌量ってことで警察に通報しなかったことに咽び泣いて感謝しろっちゅーのよ、馬鹿、ぼけ、カス。
「お嬢さん。先程から何をぶつぶつ言うておる?」
「え? 私、何か言った?」
「うむ。今確かに、わしの後頭部に向かって、馬鹿、ぼけ、カス、と言うた。独り言なら聞き流すが、わしに対して言うておるなら悲しいのう」
「キャー。ごめんね、和尚さん。独り言よん。お聞き流しになってあそばせ」
この日の夕方。私は、下校の途中に血の池公園に寄り、以前から和音にお願いされていた、ここに住みついている三休和尚と呼ばれるお坊さんの頭を散髪していた。
公園のベンチに首に新聞紙を巻いた三休和尚を座らせ、何年も洗っていないと思われる伸びに伸びたゴムホースのような髪の毛を、家庭課の授業で使う布切りバサミでばっさばっさと切り落とす。ラスタヘアーが五分刈りほどの短さになったら、あとは石鹸水を頭皮に塗りたくり、カミソリでつるつるになるまで剃り上げる。
「お~、スッキリ、サッパリ。いやはや、お嬢さん、本当にありがとう。はじめてお逢いした天女のように美しきお嬢さんに、このような施しを受けるとは思わず昇天しそうじゃわい」
青く剃り上がった頭皮をジョリジョリと撫で、三休和尚がニカッと笑う。
「ひょえ~、和尚さん、つるつる頭、すごく似合ってるう~。さっきまでただのホームレスだったのに、頭を剃ったら威厳ある高僧に見えるから不思議」
「ついでに髭も剃ってくれんか?」
「いやよ。甘えないの。髭ぐらい自分でお剃りなさい」
世知辛いのう。そう言って三休和尚は、石鹸水を顔に塗り塗りすると、渡したカミソリと手鏡で、仙人のように伸びた髭を、自分で剃り始めた。
「若僧とは、いったいどういう関係なのじゃ?」
鼻の下にあてたカミソリの刃を下から上へ動かしつつ私に聞く。
「若僧? 誰のこと?」
「和音のことじゃ。ヤツがよくお嬢さんの話をする。あまりに楽しそうに話すので、その夜夕代という娘はおぬしの彼女かと聞けば、そうではないと否定する。ただの知り合いだと言い張る。実際のところどうなのじゃ?」
「へえ~、ただの知り合いねえ。」
何故だろうね。別に隠すべきことでもないけど、あえて言いふらすことでもないから、このまま和音と私の関係は「ただの知り合い」ってことにしておけば良かったのだけどね。でも私、この時三休和尚に、自分たちのことを包み隠さず話したい衝動に駆られたの。
「あのね、和尚さん。これから私が話すことは、どだい常識では考えられないことかもしれない。でもぜ~んぶ本当の話なの。私を信じて、最後までお話を聞いてくれる?」
私は、三休和尚に、私たちのこれまでの全てを打ち明けた。私と愛雨と和音は、もともと三つ子として生まれて来る予定だったこと。それが出産直前のママのお腹の中から、私と和音の肉体が忽然と姿を消したということ。肉体を失った私と和音は、意識として愛雨の周辺を漂っていたということ。現実世界に出現してからは、三人でひとつの肉体をシェアして生活しているということ。ぜ~んぶ正直にお話をした。
「う~む、俄かには信じがたき、摩訶不思議な話じゃのう」
「嘘だと思う?」
「まさか。お嬢さんは、真実を語っておる。嘘をつく者は、顔を見れば分かる」
自分の話を信じてくれたことが嬉しくて、私は、余談として、これまでは睡眠時にのみ人格の入れ替えが行われていたのに対し、最近は予期せぬタイミングで人格がコロっと入れ替わるようになり、みんな戸惑っていることを話した。
「なるほど。そいつは大変じゃのう。しかし、お嬢さんの話から察するに、おぬしらの人格が入れ替わるタイミングには、何かしらの法則があるようじゃ。これまでの人格の入れ替わりの際に共通している状況はなんじゃ?」
「共通している状況かあ……なんだろう。意識が低下している時。死の淵に立つような極限状態。我を忘れるほどの事態。現実逃避や意気消沈した瞬間」
「要するに、自我が激しく薄れたタイミング」
「かな。だね。これまでの経験からして、だぶんそんな感じだと思う」
「ならば、お嬢さん。試験的にあえて無の領域にどっぷりと身を置き、そこで三人でゆっくりと語り合ってみるというのはどうかな?」
「え? え? え? 和尚さん、なにそれ。そんな夢みたいなことが出来るの?」
「たぶん出来る。わしの信仰する宗派ならば」
「どうやって? ねえ、どうやって?」
「お寺で座禅を組む。ただそれだけ」
「座禅?」
「そう、座禅。日常から離れ、静寂の中、体を落ちつけ、心を一か所に集中し、無我の境地を得る。さすればおぬしらは一堂に会することが出来る」
はずじゃ。そう言って、髭を剃り終わった三休和尚が、再びニカッと笑う。「みゃーん」どこからともなく現れた野良猫が、私の目を見て物欲しそうに鳴いている。
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
三休和尚 口の悪いお坊さん