79. 君がどんなカタチであっても
★視点★ 櫻小路夜夕代
個室の外へ出るのは危険。とは言え、演劇の本番の時間が迫っている。どうしよう。怖い。たまらなく怖い。どうしよう。でも行くしかない。ガチャリと鍵を解除して、そーっと扉を開ける。
「あれ、夜夕代ちゃん。奇遇だね。ここでオシッコかい。僕もここでオシッコさ」
眼前に、巨大な鳩。いや、鳩の着ぐるみを着た蛇蛇野夢。こんの大馬鹿野郎、案の定。
「あら、こんにちは~。私は済んだから、蛇蛇野くんにおかれましては、どうぞごゆっくり用をお足しになってね。それでは、ごきげんよう。ではまた~」
小さく手を振りつつ、白々しく蛇蛇野の前を通り過ぎる。すれ違う時に私の膨らんだスカートと、悪役令嬢の目玉をくりぬく鳩役の蛇蛇野の着ぐるみが擦れる。なんとかこの場を切り抜けなくちゃ。盗撮云々の話はその後。とにかく今はこの場を無事に脱出するのよ。
「……スマホ、返して」
背後から蛇蛇野が呟く。だよね~。そうは問屋が卸さないよね~。私は男子トイレの入り口近くで立ち止まり、覚悟を決めてヤツのほうを振り返る。
「返す訳ないじゃん。盗撮は立派な犯罪だよ。証拠として警察に提出し、あなたを法で裁いてもらいます」
強く言い放つ。立ち去ろうとする私を再度ヤツが呼び止める。
「待ってくれ。違うんだ。違うんだよ、夜夕代ちゃん。君は大きな勘違いをしている。僕はね、意地悪がしたくて君につきまとっている訳ではない。告白するよ。僕は、君のことが好きだ。好きだから、君のことを陰からずっと見ていた。好きだから、君の姿を画像に記録したかった」
「ありがとう。でも、大変迷惑です。金輪際私に近づかないで」
「断言する。君のことを差別や偏見の目で見ていないのは、この広い世間で僕だけだ」
「どういう意味? 返答次第では、私、あなたを許さないわよ」
「クラスメイトや先生は、君のことを他の生徒と分け隔てなく接しているように見える。でもそれはうわべだけさ。ぶっちゃけ裏では差別や偏見の目で見ている。世間の君への陰口や誹謗中傷が、僕の耳にはたくさん聞こえてくる。異形の者、それが君に対する世間の正直な反応さ」
「……そう、なの?」
「そうさ。君の愛する春夏冬だって同じ。表面上は君に好意を示しているけれど、内心はどうだか怪しいものだ」
「彼に限ってそんなことは無い。彼のことを悪く言うのはやめて」
「でも僕は、そんな奴らとは違う。僕は、君が三日に一度しか現れない人格でもかまわない。君の体が、半分は男性でもかまわない。性別なんて関係ない。君の家柄も、過去も、未来も、いっさい問わない。僕は、君がどんなカタチであっても君のことが好き。例え君が君のカタチを成さなくなっても、僕の想いは変わらない」
「……ありがとうね。でも、気持ちだけ頂いておくね。私はあなたの気持ちに負けないぐらい、一途に春夏冬くんのことが好きなの。ごめんなさい」
ペコリと頭を下げ、今度こそこの場を立ち去ろうとしたその時――
「待てと言っているだろうが」
蛇蛇野が、私に襲い掛かって来た。右手に持っていたスマートフォンを張り手で弾き飛ばされる。スマホがツーっとトイレの床を滑る。ヤツが柔道の大外刈りで私を床に倒し、馬乗りになる。
「キャっ」
「こ、声を出すな」
響き渡る金切り声に、慌てて私の口を塞ぐ蛇蛇野。
「残念だよ、夜夕代ちゃん。君はクズの愛雨やアホの和音と同じ体を使っているわりには、まあまあ頭の良い子だと思っていた。君なら僕の気持ちを理解してくれると思っていた。残念だ。本当に残念だ。こうなった以上、体で分からせるより他ないじゃないか」
息巻いて私の胸を鷲掴みにする。なんなのよこいつ、言うこと成すこと支離滅裂。マジで勘弁して。
「誰か、助けて」
口を塞ぐヤツの手の隙間から、大声で助けを求める。
「このお、声を出すなと何度言ったら――」
逆上した蛇蛇野が、私の首に両腕を掛ける。ヤバいヤバいヤバい。怖い。死ぬ。怖い。あまりの恐怖に意識が遠のく。ああ、私、私、私、もうダメえ――
――あれ? ままま、マジっすか? 僕う? なんでまた、この場面で僕に入れ替わるかね? こういった場面の適材は、愛雨ではなくて和音でしょう?
うっそーーん。まさかの、私は、僕になった。
「この小生意気なJKめ。男の恐ろしさを思い知らせてやる」
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
蛇蛇野夢雄 クラスメイト 陰湿 ずる賢い