78. 絶対絶命なんですけど~
★視点★ 櫻小路夜夕代
令和六年、十一月十一日、月曜日。
いよいよ文化祭当日。校内の各所で、生徒やその保護者が催しに参加したり、屋台の前に列を成したりしている。体育館舞台上での演目も滞りなく進み、午後の部のトップバッターである私たちの出番が迫っていた。
体育館の各出入口から、観客が続々と入館して来る。並べられたパイプ椅子に座ることが出来ず、立ち見や床に座り込む者の姿もちらほら。舞台衣装に着替えた私と春夏冬くんは、舞台袖の幕の隙間から観客席を除き落ち着きを失っている。
「ねえ、春夏冬くん。体育館での合奏や演劇の観覧は、強制ではなく自由に入退席出来るスタイルではなかった?」
「……の筈だが……う~む、どういう訳だろう……観客席が超満員なのだが」
「おそらく、みんな午前中で粗方の催しは観て午後からはやることがないのかな? そして何より校内一の人気者である春夏冬くんが主役をやるという噂を聞きつけたファンが大勢集まったんだよ、きっと」
「どうしよう。緊張のし過ぎで、今にも吐きそうだ」
チャーミング王子の生まれ変わりの陰キャを演じる春夏冬くんが、口元を右手で押さえ、モゴモゴと言う。上半身は本校のブレザー、下半身は膝の部分がモコっと膨らんだ貴族風のズボンという独特の出で立ち。
「落ち着こう、春夏冬くん。こういう時は、内へ入っちゃダメだよ。気持ちを外へ発散して紛らわすの。あ、そう言えば、昔から緊張をした時は手のひらに『人』という字を三回書いて飲むと良いっておまじないがあるじゃん。あれ、やってみたら?」
私は私で、腰まで伸びたマロンブラウンの縦ロールのカツラをかぶり、上半身は同じく本校のブレザー、下半身は中世ヨーロッパの令嬢が履く花のつぼみのように膨らんだスカート、顔にはこってり厚化粧、目元にはパーマをあてたようにカールした付けまつ毛、という異様な出で立ち。
「うむ。『人』という字を三回書いて飲むのだな。うむ。実践あるのみ。入…入…入…」
「ちょ、ちょ、ちょ、字が逆。春夏冬くん、それ『人』じゃなくて『入』。入っちゃダメ。 入っちゃダメだってば」
ヤバい。春夏冬くんったら尋常じゃなく緊張している。彼の緊張ぶりを間近で見ていたら、こっちまで緊張をしてきちゃった。
「春夏冬くん、私、今のうちにおトイレに行くね」
「了解。体育館のトイレは観客に出逢ってしまうから避けたほうがよい。舞台裏の避難口から出て、用務員室近くのトイレを使用するとよいだろう。あそこなら人に出逢う可能性は極めて低い」
「うん、そうする」
彼の言う通り、人目を避けるように用務員室近くのトイレに向かう。女子トイレに入る手前で足を止める。中から声がする。数人の女子が無駄話をして笑う声。よく聞くと日頃から私を偏見の目で見てくる同学年の一軍女子たちの声。あ~もうっ。なんでこんな時に、ここでおしゃべりするかな。入りにくい。てか、入れるわけない。致し方なく、周囲を確認し、隣の無人の男子トイレに入る。
個室に忍び入り、パンツを下ろして洋式便器に座り、全力で気配を消して用を足す。お願い、オシッコさん、出来るだけ早く、出来るだけ静かに流れて。
パシャ。
……え?
パシャ。
……シャッター音?
パシャ。
……盗撮だ。間違いなく盗撮されている。てか、何回撮り直してんのよ、キモい。隣の個室からだ。以前にもこんなことがあった。恐らく、最近のストーキングの気配もこいつの仕業だろう。誰? 隣にいるのは、いったい誰よ? ここで泣き寝入りをしてはダメ。勇気を出せ。勇気を出して犯人を捕まえるのよ。夜夕代、ファイト。夜夕代、チェスト。
おもむろに便座の上に立ち上がり、トイレブース越しに隣の個室に手を伸ばす。向こう側をまさぐるとスマートフォンの感触。鷲掴みにして相手からそれを強引に奪い取る。画面を観る。私のオシッコ風景が盗撮されている。画面をスクロール。わ、わ、わ、今日だけではない。昨日も、一昨日も、いや、何か月も前からの私の盗撮画像が次から次へ。
コンコン。
その時、静かに私が入っている個室のドアをノックする音。
コンコン。
……怖いよお。
コンコン。
「……入ってます」
コンコン。
「……入ってます」
ドンドンドンドンドンドンドンドン。
壊れんばかりの激しい連打。
ヤっば~い。夜夕代ちゃん、絶体絶命なんですけど~。
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 幼馴染 怪物