75. 引き出しにラブ・ストーリー
★視点★ 櫻小路夜夕代
令和六年、十月二十四日、木曜日。夜夕代。
いやん。サクランボ色のリップが見当たらないわ。どこへいっちゃったのかしら。目覚めと共にお化粧を始めた私は、今朝塗りたい気分のリップが無いことに気付いた。あるはずのメイク道具入れの中に無い。ベッドや机の下にも転がっていない。何かの拍子に机の引き出しに紛れたのかしら。愛雨と和音とシェアしている勉強机の引き出しを上から順番に確認して行く。
「あ、これって」
一番下の引き出しを開け、手が止まる。
『戯曲 悪役令嬢と陰キャの恋』
そこには、ひと月前に愛雨の前に忽然と現われ、彼を翻弄し、散々弄んだ小山田マティルダというJKがしたためた演劇の台本があった。これは確かマティルダが『もうらない。好きに使え』とか言って愛雨に投げつけた台本。信じられない。あのバカ、なぜこんな屈辱的なものを後生大事に保管しているの? なんの記念? 私なら即刻破り捨てちゃうけどな。何の気なしに台本を手に取り、パラパラと内容を斜め読みする。ちょ、な~これ、めちゃんこ面白いんですけど。恐るべし小山田マティルダ。
「おはよ~、ママ」
「おはよう、夜夕代」
メイクを終え、台所へ行き、ママの作った朝ごはんを食べる。
「ねえ、ママ。お気に入りのリップを無くしちゃったの。また新しいの買ってくれない?」
「だ~め。紛失した夜夕代が悪い。他のリップをたくさん持っているのだから、しばらくは辛抱しなさい」
「ちぇ。ママのケチ~。――て言うか、このサバの塩焼き、骨多くない? 食べやすいようにお骨を取って」
「甘えてんじゃないよ。自分でなさい」
ママは変わった。ここ最近。いや、和音と業多ファミリーとの騒動の後ぐらいから。いや、もう少し前からかな。徐々に私たち三人を平等に扱うようになってきた。
それまでは、愛雨にはドメスティックバイオレンス、和音にはネグレスト、私には過保護って感じだったのだけれど。近頃は、野郎どもにも優しく接するようになり、そして、私にも厳しく接することが多くなった。
日常生活も安定しているようで、昔のようにイーってなることが減った。なんだろ、あえて慎重な言葉選びをせずに表現するなら、分裂した性格がひとつにまとまった感じ? いずれにせよ、ずっと甘やかされて生活してきた私としては、ちょっぴり複雑。
午後一番の授業は、クラス会議。黒板に『令和6年度文化祭について』という議題がチョークで書かれている。クラス委員の地図子ちゃんが教卓に立ち、議事を進行している。担任の田中先生が傍らでパイプ椅子に座り、それを傍聴している。
ふむふむ。え、嘘でしょ、急展開だわ……ふむふむ。マジっすか、ヤバい、このお話、最高。一度読み出したら止まらない。
私はクラス会議などガン無視して、小山田マティルダ作『悪役令嬢と陰キャの恋』を読み耽っている。ふむふむ。はい来た、ラストは主人公二人の熱いキスっ。チュはきませり。は~、私も春夏冬くんとこんなキッチュをしてみたいわ~ん。
「血の池高校の文化祭は、事前の抽選により、各クラスに担当出し物が割り当てられます。その結果、令和6年度の文化祭において、我が二年一組は『演劇』をすることに決定しました」「えー、最悪」「劇とか有り得ないんですけど~」「まじかよ」「わたし、焼きそば屋さんがよかった」
教卓では、地図子ちゃんが、クラスメイトに向かって何やら説明をしている。それを聞いたクラスメイトが、どよめいている。
やっぱアレだわ。現在の私と春夏冬くんの冷ややかな関係を打破できるのは、この物語のような熱いキスだわ。今の私たちに必要なのはキス。ブッチューさえすれば全ては解決する。間違いない。キスさえあれば何でもできる。行くぞ、いち、にい、さん……
「だああああああああ」
気が付くと私は、椅子から立ち上がり、右手を天に突き上げ、アントニオ猪木ばりに雄叫びを上げていた。突然の出来事に静まり返ったクラスメイトが、一斉にこちらに注目している。
「は~い、夜夕代ちゃ~ん。熱意ある挙手、ありがとうございます。それでは、ご意見をどうぞ」
教卓で議事進行をする地図子ちゃんが、呆れ顔で私に発言を促す。
「え? なにが?」
「なにがじゃないっしょ。今クラスメイトみんなで、劇の演目を決めているところ。『ロミオとジュリエット』『ハムレット』『桃太郎』ありがちな演目しか思い浮かばず煮詰まっているところ。さあ、夜夕代、なんか言え。クラス会議そっちのけで、なにやらずっと読み耽っていた罰として、意見を言え」
え~ん。地図子ちゃんの意地悪う。ひどいよ、いきなり意見を言えだなんて、私パニくっちゃうよ。え~と、陳腐じゃない演目? 斬新な演目? え~と、え~と、え~と、…………ありましたけど。
「はーい、はーい、はーい。あります。前代未聞の演劇台本がここにありまーす。これこそは、私が、とあるルートから手に入れた完全オリジナルの演劇台本でーす」
手にした台本を頭上に高く差し上げる。
「タイトルは『悪役令嬢と陰キャの恋』。鳩に目玉をくりぬかれた瞬間、現代に転生をしたシンデレラの義姉・マティルダと、チャーミング王子の生まれ変わりで、現代の高校に通うとある陰キャの切ない恋の物語。ラストは、ななんと、悪役令嬢と王子のキスシーンがありまーす」
「キス?」「キャー」「面白そー」女子生徒たちの黄色い歓声。……あ、私、閃いちゃった。私ったら、我ながら見事に頭に豆電球ぴっかーん。
「ちなみに、この演目を採用するなら、チャーミング王子の生まれ変わりである陰キャの役は春夏冬くんがよいと思いまーす」
「え、ボク?」
突然名前を出された春夏冬くんが、キョトンとしている。
「春夏冬くんが陰キャ役なんて変だよ。陰キャ役なら、こう言っちゃなんだけど、愛雨が適任じゃない?」
地図子ちゃんが、反論をする。
「愛雨は物理的に演劇に出られないよ。だって、文化祭当日は私が体を使う日だし、それに何より私が主役の悪役令嬢を演じるのだもーん」
「えー、夜夕代、ズルいー」「春夏冬くんとキスするなんて許せなーい」女子生徒たちの金切り声。
「みんな、落ち着いて。まさか、高校生の文化祭で、マジのキスをするわけないじゃない。演技。真似事。寸止め。ギリギリで暗転幕。そこんとこヨロシク。――てか、じゃあ逆に聞くけどさ。みんなの中で、全校生徒の前で悪役令嬢を演じる度胸のある子はいる? いるなら手を上げて? ほ~ら、誰もいないでしょう? 私だって、仕方なくだよ。誰かがやらなければならない役を、仕方なく買って出るのだよ」
歯噛みする女子生徒たち。
「え~、夜夕代の意見に異論がないようでしたら、二年一組の演目は『悪役令嬢と陰キャの恋』に決定します。なお、主人公のマティルダ役には、櫻小路夜夕代。チャーミング王子役には、春夏冬宙也。みんな、オッケー?」
会議をまとめはじめる、地図子ちゃん。
ぐふ。ぐふふふ。これにて春夏冬くんとのキス、ゲット~ん。な~にが演技か。な~にが寸止めか。見ていなさい、本番はどさくさに紛れて熱烈、激烈、炸裂キッスをぶちかましてみせるわ。じゅるるるる。あら嫌だ。よだれ、よだれ。
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
櫻小路麗子 愛雨と和音と夜夕代の母