73. 優秀な補佐官
★視点★ 櫻小路愛雨
令和六年、十月二十二日、火曜日。愛雨。
『僕と俺と私のノート』に記された夜夕代からのメッセージで、はじめて国語の宿題のことを知った。四百字詰め原稿用紙一枚以上。テーマは『将来の夢』。期限は今週中。聞いてないよお。
将来の夢かあ。考えたこともなかったなあ。とりあえず、頭の中で将来の自分像をイメージしてみるか…………うわあ、どうしよう、中小企業で働く平凡なサラリーマン以外何も浮かばない。あくまで夢なのだから、イメージなのだから、起業家、冒険家、インフルエンサー、宇宙飛行士、あとは何だ? ほら、柔軟に頭をこねくり回して、もっと自由に、勝手気ままに将来をイメージするのだ…………う~ん、何でかなあ、どうしても平凡なサラリーマンの映像がチラつくなあ……あ、やべっ、今、不景気でリストラされるところをイメージしちゃった。嫌だなあ。やけにリアルだなあ。あくまでも夢なのになあ。
こんな時は、やはり彼に相談するしかない。現在は話しにくい雰囲気が漂っているけれど、ここはひとつ勇気をだして声を掛けるしかない。
昼休憩の合間を見て、職員室にいる田中先生に夜夕代の作文を代わりに提出した僕は、保健室から出て来た春夏冬くんとばったり出くわした。よっしゃあ、チャンス到来。
「や、やあ、春夏冬くん。こんにちは」
「こんにちは、愛雨。て言うか、ボクと君は、今朝から同じ教室で勉強をしてるのだけどな。ははは」
「あはは。そう言えばそうだね。なんだか今日始めて逢ったような気がしちゃって。――ねえ、春夏冬くん、いま保健室から出て来たけど、体調でも悪いの?」
「いや、そうではない。いつものように林檎先生とミーティングをしていたのだ」
「へえ。時々二人で会って何を話し込んでいるのかは知らないけれど、随分熱心なミーティングだね」
「険のある言い方はやめろ。君らしくないぞ。――そんなことより、愛雨。夜夕代とは、うまくいっているのか?」
「いっているわけないじゃん。相変わらず彼女は君にぞっこんなのだから。完全なる片思いさ。時々『僕と俺と私のノートを』通じて、やんわりとアプローチをかけてみたりするけど、反応はサッパリ。――春夏冬くんは? 春夏冬くんは、最近、夜夕代とはどうなの?」
「ずっとギクシャクしている。妙な空気が漂っている。ボクは以前のように夜夕代と普通にお話しがしたい。でも出来ない。じれったい。この状況をどうにか打破したい」
僕のせいだ。僕が夜夕代を好きになったばっかりに、これまで良好だった僕たちの関係がガラガラと音を立て崩れ始めている。ごめんね、春夏冬くん。君には悪いと思っている。もちろん、夜夕代が僕を煙たがっていることも重々承知だ。でも、僕の、夜夕代へのこの熱い想いは、既に制御不能な状態に陥っている。困ったことに、自分では、もうどうすることも出来ないんだ。
「春夏冬くん。君は先日の国語の宿題に何て書いたの?」
「あの『将来の夢』を書く作文のことか?」
「うん。僕はまだ未提出なんだ。どう書くべきか迷っていて……」
「ボクは迷いなく書いて提出をしたぞ。ボクの将来の夢は、小学生の頃から一貫して変わらない。それは、パパのような政治家になることだ」
春夏冬くんのお父さんは、現大久手市長、春夏冬慶介氏だ。
「その為に、今から猛勉強をし、志願する東京の大学に合格し、四年間そこで政治学を徹底的に学ぶ。そのまま関東で数年の議員経験を経た後、生まれ故郷であるこの大久手市に戻り、市長になる。そしていずれは県知事になりたい」
「めちゃくちゃ具体的だね」「ああ。ちなみに、市長には三十代のうちになる。県知事には四十代のうちになる」「すごいね。既に確約されているような口ぶりだね」「私利私欲にまみれた政治家にはならない。パパのように、議員の不正や癒着を一掃し、民の幸せのために働く政治家になる」「春夏冬くんは、お父さんを心から尊敬しているのだね」「うむ、尊敬している」「あとは、夢に向かって邁進するだけだね」「いや、そんな簡単な話ではない。このボクにも、不安要素が無いわけではない」
「君が将来政治家になれない要素? そんなの無くない? 考えても見当たらないけど」
「ある。それはコミュニケーション能力だ。ボクは人の気持ちや意図を想像したり、場の空気を読んだり、暗黙の了解を察するのがとても苦手だ。ついその場の雰囲気に沿わない発言をしてしまうことがある。故に気付かないところで誰かを傷付けていることも」
言われてみれば確かに。彼の言葉遣いはいつも独特だし。冗談やお世辞や皮肉はまるで理解が出来ない。間接的な言い回しを極端に嫌うところもある。
「この性格を改善しなければ、ボクは市民の声に寄り添うことが出来ない。困っている人の気持ちを漏れなく汲み取ることが出来ない。だが、如何せん、持って生まれた性格というのはそう簡単には変えられない。こんな自分がもどかしい」
「春夏冬くんが変わる必要は無いさ。君は凡人が持ち合わせていない特別な力をたくさん持っている。君は自分らしさを貫き通すべきだ。たぶん君は元来そういう運命の下に生まれたのだと僕は思う」
「でも、それではボクの欠点は克服されない」
「逆転の発想だよ。君が克服する必要はない。他の誰かで補うのさ。君の苦手な部分をサポートしてくれる優秀な補佐官を探す。困っている人、弱っている人の声に耳を傾け、優しく寄り添うことの出来る人物、そんな誰かを側近に出来たら、君は鬼に金棒さ」
「なるほど、目の覚めたる思いだ。ならば、愛雨。ボクと一緒に政治家になってくれ」
「はあ?」
「困っている人、弱っている人の声に耳を傾け、優しく寄り添うことの出来る人物。それは君だ。君以外にいない。ボクは、君となら素晴らしい市政を運営出来る気がする」
「ななな?」
「お願いだ。ボクと一緒に政治家を目指そう。な、な、ボクを助けると思って。頼む。この通り」
「はが? ふが? ほが?」
結局、春夏冬くんに、自分の将来の相談は出来なかった。でも、彼は僕に重要なヒントをくれた。家に帰った僕は、漆黒の闇の中で手探りで物を探すかのように、慎重に作文を書き上げた。
【登場人物】
櫻小路愛雨 悩める十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 愛雨の幼馴染 怪物