71. 将来の夢
★視点★ 櫻小路夜夕代
令和六年、十月二十一日、月曜日。夜夕代。
和音と家族ファミリーの騒動から10日が過ぎた。血の池高校。担任の田中先生の国語の授業中。私は、自分の机に教科書を壁のように立て、その裏に隠した手鏡を見つつ、口元の治りかけの傷に張ったバンドエイドをペリペリと剥がす。いてて。ったく和音のアホ。私の可愛いお顔にどんだけ怪我をさせちゃってくれてんのよ。ったく、孤高の美貌が台無しだっちゅーの。
私の席の二列前に座る春夏冬くんの後ろ姿を眺める。まったくもってやりきれない。和音が、彼の私に対する冷たい態度をたしなめてからは、彼が私を露骨に避けることは無くなった。顔を見れば挨拶をしてくれるし、休憩時間には雑談もする。でもね、なんかね、以前とは違うのよ。なんなの、この二人の間に漂うよそよそしさは。
ったく愛雨のアホ。なーに私に惚れてくれちゃってんのよ。てか、百歩譲って惚れるのは勝手だけどさ、それを春夏冬くんに相談してんじゃないわよ。迷惑極まりないっちゅーのよ。は~、この状況、どうしたもんかね~。悩むわ~。
てか、悩みと言えば、最近誰かにずっと見られている気がするのよね。通学路で、廊下で、トイレで、この教室にいる今だって、不意に何者かの視線を感じると言うか。
教室の窓際の一番後ろの席に座っている蛇蛇野の視線が気になる。でも、怖くて後ろを振り返ることが出来ない。振り返った時、あの蛇のような視線と目が合ったら……考えただけで恐ろしい。蛇蛇野、怖い。蛇蛇野、キモイ。私の魂が、細胞が、あいつは危険だと叫んでいる。
「ねえ、夜夕代。夜夕代ってば」
その時、隣の席の尾崎地図子ちゃんが、私の脇腹をシャーペンの先っちょでつんつんと突いているのに気が付いた。
「ん? な、なに、地図子ちゃん?」
「物思いにふけっている場合じゃないわよ。ほら、さっきからずっと田中先生が教卓からあなたのことを呼んでいるわよ」
うそっ。ぜんぜん気が付かなかった。「櫻小路夜夕代くん。櫻小路夜夕代くん。櫻小路夜夕代くん。はて、先生が何度君の名を呼べば、君は返事をしてくれるのでしょうか?」わ、本当だ。ヤバっ。いつも温厚な田中先生が何かちょっとイラっとしてる。「は~い。夜夕代ちゃんならここにいま~す」私は、席から立ち上がり、右手を突き立て、田中先生に元気よく返事をする。
「いるのは分かっています。だから呼んでいるのです。さて、櫻小路夜夕代くん、一週間前に課しておいた作文の宿題はどうなっていますか?」
「え、作文の宿題? 何それ???」
助けを求めるように隣の地図子ちゃんを見る。
「先週の月曜日の授業で出た宿題よ。四百字詰め原稿用紙最低一枚。テーマは『将来の夢』。出来た者から提出。期限は今日まで。あなた以外のクラスの全員が、あなたがポーっとしている間に提出済」
「作文? 将来の夢? なにそれ? 知らなーい」
「ああ、そうか、先週の月曜日は和音の日だったから。和音、いつも午前中は授業に出ないから」
大丈夫よん、地図子ちゃん、そんな気の毒そうな顔で私を見ないでよん。こんなことは日常茶飯事。私ら三人にとってはトラブルのうちに入らないわ。教卓の先生に向かい私は叫ぶ。
「先生、申し訳ありませーん。あたちぃ、その宿題の件、じぇんじぇん小耳に挟んでおりまちぇーん」
「なるほど。先週のこの時間は、和音くんが授業をサボっていて、君たちは作文の宿題の件を知る由も無かったと。これは、先生もうっかりしていました。後でしっかり者の愛雨くんに知らせることを怠ってしまった」
「ですよね~。んもう、田中っちったら、うっかりさんなんだからあ。では、作文の宿題の件は、明日この体を使う愛雨に課して下さい。真面目だけ取柄のあいつのことだから、その日のうちに書き上げて提出をする筈です」
「いや、この作文に限っては、愛雨くん、和音くん、夜夕代くん、君たち三人に、それぞれ書いて提出してもらうことになっているのです」
「え? なんでよお。私たちの学校での評価は、三人で一人分の決まりでしょう? だからテストや宿題は、いつも三人のうちの誰か一人が対応をしているじゃない?」
「それが、養護教諭の林檎先生から『作文は三人に提出をさせて下さい』と直々にお願いをされちゃってね。正直なところ、なぜ保健室の先生が国語の授業に口を出すのか、甚だ疑問なのですが。ああ見えて頑固だから。言い出したら聞かないから。みなさんご承知の通り、先生、人と揉めるの苦手だから。という訳で他の二人にも君から伝えておいて下さい。提出期限は今週中」
「マジっすかあ」
ちょにい、林檎先生ったら余計なことを。いったい如何なる意図かしら。だいたいテーマが『将来の夢』ってどうなの。小学生の夏休みの宿題じゃないっつーの。
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 幼馴染 怪物
蛇蛇野夢雄 クラスメイト 陰湿 悪賢い
尾崎地図子 クラスメイト 優等生
田中先生 担任 事なかれ主義者