66. 人として一級品、人として不良品
★視点★ 櫻小路和音
――――――――――――――――――――痛い。
握り締めた拳の痛みで我に返った。気が付くと、チートに馬乗りになり、やつの顔面を殴り続けている。拳が腫れている。眼下には血まみれで横たわるチート。殴る。痛い。殴る。痛い。殴るたびに拳に激痛が走る。指の骨が折れているのかもしれない。
もうやめろ。相手は完全に気を失っている。勝負はついた。俺の勝ちだ。やめろ。もう殴るな。死ぬぞ。このまま続ければ相手を殺してしまう。
手を止める。立ち上がる。気絶したチートの原型を無くした顔を眺める。戦いに勝利したにもかかわらず、深い溜息が零れる。後悔。無念。自己嫌悪。ああ、またやっちまった。喧嘩は勝たなければ意味がないが、なにもここまでやる必要はなかった。俺という人間はいつもこうだ。いつも衝動的にカッとなり、正気を失うほどの大暴れをしてしまう。
人としての大切な部品が欠落し、人としての大切な機能が規定外。つくづく思う。俺は、人として不良品なのだ。
ぶっ倒れているチートを置いて、いったん広場を出る。近所の民家のインターホーンを押す。住人が、少しだけ開いた扉の向こうから、玄関前で立ち尽くす俺を覗き見ている。
「男性が武蔵塚の広場で血まみれで倒れています。このままでは死んでしまいます。申し訳ありませんが、救急車を呼んでくれませんか」
門灯に照らされた俺の顔を見た住人は血相を変えて扉の鍵をかけてしまった。
しばらくして救急車が駆け付けた。救急隊員が、武蔵塚の入り口で待っていた俺に声を掛ける。
「被害者はどこですか」
「広場の真ん中で倒れています。片足の靴が脱げていますが、脱げた靴なら西面の雑木林の中にあります」
間もなくパトカーが到着をした。
「あなたが通報者ですか」
「はい。正確には加害者です」
目を丸くした警官は、しばらく俺を尋問した後、腰から手錠を出し、俺の両腕にそれを掛けた。冷たい鉄の重み。そっか、そうだよな、要するに俺のしたことは、こういうことだよな、ああ、なんか俺、終わったな。手錠を掛けられた瞬間、自然と薄ら笑い。
警察に連行をされようとするその時、慌てて現場に駆け付ける女子高生の姿。よく見ると、クラスメイトの尾崎地図子だった。
「愛雨? あれ? 違う。和音じゃないの。せ、説明して、こ、これはいったいどういうこと。あんた、いったい何をしたの」
警官に手錠を掛けられた俺の姿を見て尾崎が驚愕している。
「相変わらずぎゃーぎゃーうるせえなあ。俺が何をしようが、お前には関係ねえだろう。てか、尾崎の方こそ、どうしてお前がここへ来る必要がある?」
「東京にいる春夏冬くんから、今さっき私のスマホに連絡があったの」
「春夏冬から?」
「うん。至急、愛雨に電話を取り次いで欲しいって。それで、今日学校で愛雨が夜七時に武蔵塚に行くみたいなことを言いかけていたから、ひょっとしたらいるかもと思って来てみれば、なぜ和音がここにいるのよ。て言うか、この状況を、詳しく説明しなさい」
「黙れ。ったく、お前は俺の保護者か」
「すみません、おまわりさん、ほんの少し、すぐに済みますから、彼にスマホで友人と話す時間を頂けませんか」
尾崎に突然そうお願いをされ、しばらく困った顔をしていた警官は、半ば見なかったことにするていで、「ほんの少しだけなら」としぶしぶ承諾をした。春夏冬に折り返しの電話を掛けた尾崎が、両手に手錠を掛けられた俺を見かね、手にした機器を俺の耳にそっと添える。
『もしもし、愛雨かい。夜分遅くにすまない。実は今ボクは、パパのスマホを借りて君と会話をしている。やっぱりあれだね、以前君が助言をしてくれた通り、こういう時、スマホがあると便利だね』
機器の向こうから、軽やかに弾んだ春夏冬の声。
「ふん。おあいにく様。俺は愛雨じゃねえぜ」
『その声は、和音か? あれ、おかしいな、今日は愛雨の日だったと記憶しているが』
「悪かったな、俺で」
『いいや、逆に通話口に出てくれたのが和音ならば幸いだ。何故ならボクは、この報告を誰よりも早く、君に伝えたかったのだから』
「要件は何だ。すまねえが、今俺は文字通り手が離せない状況でな」
『聞いてくれ、和音。今日ボクは、空手の全国大会で優勝をしたぞ』
「……マジかよ」
『うん。自分でも信じられない。でも本当なのだ。不慣れな環境ではあったが全国の強豪を相手にベストを尽くして戦うことが出来た。それもこれも、和音、すべては君のおかげだ。あの日の君の体を張ったアドバイスが無ければ、ボクはきっと全国大会で自分の実力をじゅうぶんに発揮することは出来なかった。君には感謝をしている。ありがとう和音。本当にありがとう』
「……おめでとう」
『え? 何? まわりが騒がしくてよく聞き取れなかった。もう一度お願い』
「だーかーらー、いちいちそんなことで電話をしてくるなって言ったんだよ。じゃあな」
すげえなあ、春夏冬。お前は、いつだって天に向かってグングンと伸びて行く。お前の人生は留まることを知らねえ。マジですげえ。半端ねえ。お前は、たまらなくカッコイイ。
「さあ、歩け」痺れを切らした警官が、俺の腕をグイと引っ張る。警官と共に、騒ぎを嗅ぎつけて集まった大勢の野次馬どもを掻き分け、俺はパトカーに乗り込む。ダムッという無慈悲な音を立て、後部座席の扉が閉まる。「和音っ」二センチほど下がった車窓の隙間から、尾崎が俺の名を呼ぶ。
それに比べて俺ときたら、見ろよ、お前が華々しく全国優勝をした日に、警察にパクられている。。お前は人として一級品。そして俺はどうしようもない不良品。笑っちまうぜ。
警察署で事情聴取をされ、厳重注意を受ける。しばらくして母ちゃんが俺を引き取りに来た。母ちゃんは俺の顔をみるなり、無言で頬に刺さるようなビンタを張った。右の瞳から、一筋の涙が流れていた。
【登場人物】
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 幼馴染 怪物
尾崎地図子 クラスメイト 優等生
業多血人 血の池中学校の元番長