64. なんでこうなるのおおおお!
★視点★ 櫻小路愛雨 櫻小路和音
令和六年、十月十日、木曜日。愛雨。
和音の馬鹿ああ、日にちを間違えるなああ。
今週の木曜日は僕の番。和音の番は、明日の金曜日でしょうが。今朝、いつものように目が覚めて「僕と俺と私のノート」を開いたら――
『愛雨へ。 業多とかぬかすチンピラにタイマンを申し込まれ、今週の木曜日で約束をした。でも、寝る前によくよく考えたら、当日は俺の番じゃなくて、お前の番だった。すまないが、俺の代わりに十月十日木曜日の午後七時に、武蔵塚の広場に行き、業多に逢ったら、決闘の日を一日延ばすように伝えてくれ』
――というメッセージがあった。
なぜに? なぜに僕が和音の代わりに業多というチンピラに逢わなければいけないの。ものすごく怖い。たまらなくストレス。朝っぱらから過呼吸。
だいたい僕は「業多」という名前に拒絶感を禁じ得ない。だって、業多と言えば、以前母さんがお付き合いをしていた反社まがいの男と同じ名前だもの。その業多ってのは、僕の顔面を浴槽に沈めて殺そうとした男だもの。
でもなあ。僕が行かなければ、何となく春夏冬くんに被害が及ぶ気がする……何となくそんな予感が……て言うか、数日前に、和音とその業多というチンピラが、春夏冬くんのことで舌戦している会話が何となく聞こえたのだ……。
実は最近、自分が体を使っていない日にも意識がある。薄っすら、本当に薄っすらだけど、和音や夜夕代の見ている世界を見ることが出来る。二人が現実世界で誰かと話している会話も、ノイズ交じりではあるが、わずかに聞こえる。
以前はこんなこと無かった。一度意識を失うと次に出現するまでの丸二日間の記憶がいっさい無かった。なんだかなあ。僕という人格が、確実に変化を始めている。気持ち悪いなあ。新種のストレスだなあ。て言うか、そもそも、和音や夜夕代も、僕と同じように、非番の日に僕のことが見えているのかなあ。
血の高校へ登校をする。
教室に入るや否や、春夏冬くんを探す。彼はこの一件を知っているのだろうか。いろいろと相談がしたい。教室を見渡す。あれ、授業開始間際なのに、春夏冬くんがいない。
「春夏冬くんは? 春夏冬くんの姿が見えないけど?」クラスメイトの地図子ちゃんにそう尋ねる。「あれ、愛雨、本人から聞いてなかったの? 春夏冬くんなら、本日東京で開催される空手の全国大会に出場する為、学校はお休みよ」
初耳だ。なんだよ、春夏冬くんったら、水臭い。春夏冬くん、不在。残念だ。彼に相談をしたのに。どうしよう。こんなやっかいな問題、他に相談を出来る人が――
「どうしたの、愛雨。いつも浮かない顔をしているあなたが、今日は特別浮かない顔をしているね」
地図子ちゃんが、僕の顔を覗き込んで言う。
「――そうだ、君がいた。あのね、地図子ちゃん、相談したいことがあるんだ」
「なあに?」
「実は、今日の午後七時に武蔵塚の広場で…………いや、やっぱりいいや」
「な、なによ、言いかけて途中でやめないでよ、気持ち悪い」
「ごめん、ごめん、忘れて、忘れて。なんでもない。なんでもないから」
結局僕は、授業を終え、図書館で勉強をした後、家の近所にある武蔵塚の広場へ単身で向かった。
武蔵塚。「鬼武蔵」と呼ばれた戦国の勇猛な武将・森長可の戦死地とされ、官名にちなんでそう名付けられている史跡。
午後七時。雲一つない秋の夜空に、満月が煌々と輝いている。雑木に囲われた敷地内の、雑草が猛威を振るう広場に、業多チートはいた。
キタキツネのような鋭い目つき。脱色した金髪のリーセントの根本から、黒い髪が中途半端に生えている。赤いトレーナーの胸元には「天上天下唯我独尊」のロゴ。他の多くのヤンキー系男子と同じように、彼も漏れなく片手に皮のセカンドバックを持っている。
「こんにちは~」雑草を掻き分け「こんにちは~」僕は、恐る恐るチートに近づく。「こんにちは~」「あ~ん?」三度目のこんにちはで、チートがやっと僕の存在に気が付いた。
「あんの~、業多チートさん……で、よろしかったでしょうかあ?」
「誰だテメエええええ?」
反射的にガンを垂れる。関西風に言い換えると、メンチを切る。いわゆるひとつの、鋭く相手を睨みつける。ただ声を掛けただけなのに。これがヤンキーという生き物の習性。
「あの、ですね、その、ですね、ようするに、ですね、僕は、桜小路和音の代理として、ここに参った者でして……」
「はあ? 和音はどうしたああああ。まさか、来ねえのかああああ」
「は、はい。急用が出来た、とかで……決闘の日を明日に変更して欲しい、とかで……」
「ふざけやがって、あんの野郎おおおお。男の約束を何だと思ってやがる。おい、テメエ、今すぐ和音に電話しろ。日にちの変更など許可ねえぞ。オレ様が、いまずくここへ来いと言ってやる」
「すみません。僕、スマホを持っていないのです」
「へ? マジかよ、いまどき? じゃあ、やつの電話番号を俺に教えろ。俺のスマホで連絡を取ってやる」
「それが、大変申し上げにくいのですが、当の和音も、スマホを所持していません」
「だったら今すぐテメエが、和音の首根っこを掴んでオレ様の前に連れてこい」
「う~ん、僕が彼の首根っこを掴むなんてことは、物理的に不可能かと……」
「黙れ。オレが連れてこいって言ってんだ。四の五の言わずに連れてこい」
「誠に申し訳ありません。そうしたいのはやまやまなのですが、出来ない事情がこちらにもありまして」
手段を選んでいる余地はない。とにかく許してもらわなければ。僕は何度も何度も深く頭を下げ、最終的には恥も外聞もなくその場に土下座をした。そして――
「必ず明日のこの時間には、必ずや和音がここに参りますので、今日のところは、何卒、何卒ご容赦を」
――と、雑草に額を擦りつけお願いをした次の瞬間、眼前にキラキラと輝く無数の光。
土下座をする僕の頭部のこめかみのあたりを、チートが履いていた革靴の先端で蹴り飛ばしたのだ。頭がサッカーボールのように跳ね上がる。慌ててその場に芋虫のように丸まり、本能的に両腕で頭部を守る。
「よ~し、分かった。テメエに免じて和音とのタイマンの日にちは明日へ延長してやる。ただし、このムカついた気持ちをこの場で晴らしておかなければ、黙って家には帰れねえ。 悪いが、テメエには今からオレのストレス解消のオモチャになってもらう」
咆哮するチート。容赦ない蹴りが次々に僕の頭に、胸に、腹に。痛い。痛い。痛い。やめて。嘘でしょ。なんでこうなるの。僕が何をしたと言うの。
「やめて。死ぬ。お願いです。やめて。ください。許して。ください」
悲鳴を上げ、許しを乞うたところで、チートの暴行は止まらない。
死ぬ。このままでは、確実にこの時代遅れのヤンキーに殺される。ああ、短い人生だったなあ。つまらない人生だったなあ。いよいよ意識が遠のいてきた。ダメだこりゃ。もう無駄な抵抗はやめましょう。
「よ~し、トドメだ」
チートが不敵な笑みを浮かべ、僕の顔面めがけて蹴りを放つ。母さん、ごめんなさい、僕、死ぬ――――――間一髪でチートの靴の先端を両手で止める。
「ダッセえ靴だなあ。どこに売ってんだ、こんなサーカスのピエロみたいに尖った靴」
「え?」
寝転がった姿勢でチートの右足から履いていた靴を剥ぎ取り、広場の端の雑木林の陰に乱暴に投げ捨てる。ゆっくりと立ち上がる。眩しい月明り。地面に伸びる影。愛雨の体つきとはまるで違う筋肉粒々の体を見てチートが動揺している。
僕は、俺になった。
【登場人物】
櫻小路愛雨 悩める十七歳 三人で体をシェアしている
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
業多血人 池中学校の元番長