6. 三休和尚
「わしの寺のみならず、この三つ首地蔵様までも、貴様らの都合でぶち壊すつもりか」
いつ洗濯をしたか分からない泥まみれの袈裟を着たボサボサの有髪僧が、地蔵堂の前に立ちはだかり、息を切らせてそう叫ぶ。
「和尚さん、建設機械の旋回範囲に入るのは危険だ」「和尚、危ねえぜ」「おっしょさん。俺たちゃ、あんたに、手荒な真似はしたくない。頼むよ。出て行ってくれ」作業員たちが慌てて彼を取り囲み、場内からの退出を促す。
「櫻小路社長、この乞食は、いったい何者ですか」
お坊様の体臭に鼻をつまみ、春夏冬が尋ねる。
「彼は、地域では有名な僧で、三休和尚と言います。以前は、この辺りに先祖代々から続く由緒正しきお寺を構えていたお坊様です」
ショベルカーの操縦席から顔を出し、櫻小路が答える。
「あ、思い出した。市政が別の場所に新たに寺を建ててやると言っているのに、最後まで再開発に反対し、立ち退きを渋った偏屈な坊主だ。あんた、当時は頭を剃っていて今よりも小綺麗な恰好をしていたな。あまりの変わりように誰だか分からなかったよ。なるほど、私が立ち退きを決行し、半ば強制的に寺を取り壊してしまったので、乞食に成り果ててしまったか」
「おお、そうじゃ。貴様らのほどこしを受けるぐらいなら乞食のほうがましだでな。寺の再建など、こちらから断ってやったわ。よいか、この三つ首地蔵は、貴様らのチンチンに毛が生える遥か昔から、この地域を見守ってこられたのだ。その尊さに思わず糞尿を漏らすという粗相であれば目もつぶろうが、地蔵堂を取り壊すとは何事だ。血迷ったか、このバカタレども」
「なんと口の汚い坊主だ」
「ふん。汚いのは貴様の心だ。おい、腐れ議員。貴様、名前をなんと言う」
「悪いが、乞食坊主に教えてやる名前などない。名を知ってどうする。その情報を元に私を呪詛するつもりか」
「ふざけたことをぬかしやがる。お望みならば、名前など聞かずとも、今ここで貴様を呪い殺して差し上げようか。わしには幼き頃から神仏より授かりし霊力があるのだぞ」
春夏冬と三休和尚の一触即発の雰囲気に、賑やかだった現場が一気に静まり返る。そこに、どこからかパトカーのサイレンの音。タダならぬ状況を察した作業員の誰かが、現場に不審者が侵入をしていると警察に通報をしたのだ。徐々に大きくなる音がピタリと鳴りやむと、二人の警官が入場門のゲートを開き、小走りでこちらにやって来る。
「こんにちは、三休和尚。ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
警官はそう言うと、二人がかりで三休和尚の両脇を抱え、彼を強制的に場外へ引き摺って行く。
「やい、ポリ公、この手を離せ。高僧に気安く触るな。このバチあたりども」
「ジタバタしないでくれ。我々もやりたくてやっているわけではない。仕事なのだ。痛い。痛い。おい、和尚、腕に噛みつくな。大人しく退場をしてくれ」
そして、去り際の三休和尚にショベルカーの操縦席から櫻小路が――
「すまない、和尚。どうか悪く思わないでくれ。その警察官じゃないけれど、これも俺の仕事なのだよ」
――と、バツが悪そうに頭を下げると――
「おい、工事屋。わしは別におのれの宗教心からこの地蔵堂の取り壊しに反対しているわけではないぞ。お前のことが心配で反対をしているのだ」
――と三休和尚が鬼の形相で叫び、さらにこう続けた。
「よいか、この地蔵堂を破壊した者には、立ちどころに神仏の祟りが下る。三つ首地蔵は悲しき怨念を持っている。しかもその祟りは、お前だけで済むものではない。必ずお前の子々孫々にまで及ぶであろう。考え直せ。馬鹿な真似はやめるのだ」
三休和尚の忠告を聞いて震えあがった櫻小路が、操縦席から春夏冬の顔を伺い、祈るように最後の判断を仰ぐ。仁王立ちをする春夏冬は、表情ひとつ変えず顎をクイっと動かし、無言で「やれ」の指示を送る。それからクルリと現場に背を向けると、バイバイと手を振り、この場を去った。
さっきまでショベルカーの操縦席に乗っていた業多と言う作業員が「春夏冬議員、取り壊し作業を最後まで見届けないのですか?」と彼に質問をすると「あの乞食坊主の忠告は、恐らく本当だろう。私は祟られたくないので御無礼するよ。私には、大きな夢がある。呑気に祟られている暇などない。櫻小路社長にはご愁傷様と伝えてくれ」と冷たく言い放った。
「やめろおおおお!」
次の刹那。警察に連行される三休和尚の悲痛な叫びも虚しく、櫻小路の操縦するショベルカーのバケットが、ひと動作でいとも簡単に地蔵堂を破壊した。堂内から放り出された三つ首地蔵が無残に大地に転がる。
「何が祟りだ。祟りが怖くて建設工事が出来るか。こんな地蔵、こうしてやる。ざまあみやがれ」
湧き上がる恐怖を打ち消すかのように、櫻小路は強がりを言い、その場に大きな穴を掘り、地面に転がる三つ首地蔵をバケットですくうと、それを土中深くに埋めてしまった。
取り壊し作業を終えた櫻小路が、ショベルカーのエンジンを切るのと同時に、辺りは静寂に包まれる。どこからともなく聞こえる一匹の蝉の音が、静けさにいっそうの深みを与えていた。
【登場人物】
一里塚林檎 エピソードゼロの語り手
櫻小路欽也 櫻小路建設の社長
春夏冬慶介 大久手市の市会議員
三休和尚 口の悪いお坊さん