58. 大変恐縮ですが
★視点★ 櫻小路和音
令和六年、十月八日、火曜日。和音。
午後。空手の全国大会を二日後に控えた春夏冬の前途を祝し、全校生徒が体育館に集められ、激励会が催された。
体育館の舞台中央では、本日の主役の春夏冬が、バッキバキに緊張した面持ちで、デカい体をこれでもかと小さくして、パイプ椅子に座っている。俺は、クラスの列の最後尾にいて、止まないアクビをかみ殺していた。
教頭の雛形通りの司会進行。校長のクソ長い話。来賓どもの挨拶。春夏冬の父親である春夏冬慶介大久手市長による、息子への激励の言葉。春夏冬の激励会は粛々と進行する。
そして、会はいよいよ主役からのお礼のスピーチを残すのみとなった。教頭から名前を呼ばれ、「はい」と大きな声で返事をした春夏冬が、演説台のマイクの前に立つ。
「皆様、本日はお忙しい中、ボクの激励会にご参加頂き、誠にありがとうございます。まず、ボクのために、激励会を開いてくださった皆様に感謝します」
春夏冬がスピーチを始める。おやおや、ずいぶんと紋切り型な挨拶だこと。まあ、そりゃそうだわな。てめえの父親も来ているしな。来賓のお偉いさんも大勢いるしな。滅多な事は言えねえわな。――ところが次の春夏冬の言葉に、会場がどよめいた。
「このような会を催して頂きながら大変恐縮ですが、明後日の全国大会で、ボクが優勝することはありません。断言します。優勝は百パーセントないのです」
うねるようにどよめき、そして一瞬で静まり返る会場
「ボクには、全国の猛者たちに勝つ自信が微塵もありません。そもそも、本当は東京になんか行きたくないのです。ボクは、全国を制する器ではない。ボクは、この大久手市にある通い慣れた道場で、毎日同じ空手の練習を繰り返し続けられたらそれでよい。元来そういう人間なのです」
校長と教頭が、あっけにとられてきょとんとしている。来賓どもが、顔を見合わせ一斉に父親である春夏冬慶介市長に怪訝な表情を向ける。
「おい、宙也。突然何を言い出すのだ。直ちに訂正をしなさい。頑張って全国大会で優勝をします。そして必ずこの大久手市にトロフィーを持って帰ります。皆様の前でそう宣言するのだ」
市長が、全校生徒や来賓の前で乱心する息子を、慌てて叱りはじめる。
あちゃー、見ちゃいられねえ。春夏冬よ、お前が凄まじいプレッシャーを感じていることには同情をするが、んだけどよ、どんだけナーバスになってんだ。ったく、どこまでも世話の焼ける野郎だぜ。仕方がない。ここは俺様が一肌脱ぐとするか。
【登場人物】
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 幼馴染 怪物
春夏冬慶介 大久手市長 春夏冬くんのお父さん




