28. どうする? 現実世界、行っとく?
★視点★ 櫻小路夜夕代
え、なに? なにが起きたの?
突然の出来事に一瞬状況を掴み兼ねる。愛雨の体を付かず離れず漂う「意識の私」は、必然的に愛雨と共にプールの水上を舞った。わわわ。これって突き落とされたってこと?
ゆるっせん。いったい誰じゃーい、こんなシャレにならんイタズラをするのは。後方に視線を送る。薄汚い緑色の水に呑まれる刹那、私は、愛雨の背後でほくそ笑む男を確かに観た。
――蛇蛇野夢雄。
愛雨のクラスメイト。いつも愛雨に陰湿な嫌がらせをする最低野郎。私、こいつ苦手。生理的に受け付けない。本能が敵だと叫んでいる。
間髪入れず、激しい音と水しぶきを上げ、愛雨は水面に呑み込まれる。
それから愛雨は――「誰か、助けて」バシャバシャ。ブクブク。「僕、かなづちなんだ」バシャバシャ。ブクブク――ってな感じで、なんだかもうギャグ漫画みたく分かりやすく溺れてみせた。ぷぷぷっ。笑ってる場合じゃないけどね、なんかウケる。
でさっ。話はここからなんだけどさっ。いよいよ愛雨の力が尽きて、ブクブクブクブク~って、プールの底に沈み始めた時に――
「落ち着け、愛雨。ボクが来たからにはもう心配ない。さあ、しっかりとボクに掴まれ」
キャー。アタイの想い人、春夏冬くんが、勇猛果敢にも制服のまま冷たいプールに飛び込み、救出に来てくれたーん。
片手で愛雨を抱え陸に向かって泳ぎ始める春夏冬くん。無我夢中で彼にしがみつく愛雨。愛雨の肉体から付かず離れず漂う「意識の私」。
きゅん。やばーい。春夏冬くんの顔が、めっちゃ近っ。吐息すら聞こえるほどに。マ・ジ・で・イケメン。めちゃんこカッケー。非の打ちどころナッティング。
あら、嫌だ。助が来たという安堵感からか、逆に愛雨の意識がだんだん弱まっているじゃないの。おい、こら、愛雨、死ぬな。死んだら承知しないからね。あんたが死んだら、私の意識も消えるじゃない。待ちに待ったミートザ春夏冬くんタイムが終わっちゃうじゃない。儚き陽炎のごとき愛雨の意識に相反し、私の意識のボルテージは最高潮。はち切れんばかり。
――て言うか~。よくよく考えたら、今ならこいつの体、余裕で乗っ取れるんじゃない? 今このタイミングでこの体を支配出来たら、私、春夏冬くんにいきなり急接近の巻きじゃない? 視線、吐息、体温、匂い、アタイが独り占めじゃない?
――どうする? 現実世界、行っとく?
――あ、愛雨が気を失う。やばい。
――行こ。行くっきゃないよ、私。恋のチャンスは今。今でしょ。
「……春夏冬くん、大好き」
私は、プールサイドで春夏冬くんに抱きかかえられていた。助かった。彼が私を救助してくれた。めちゃんこ近い彼の顏。硬い胸板から伝わる彼の鼓動。びしょ濡れの制服だけを隔て密着する肌と肌。感じるよ。あなたの視線。吐息。体温。匂い。生きている。私は生きている。
ゲボッ。ゲボッ。ゲロゲロ。嫌というほど飲んだヘドロ臭いプールの水が、腹の底からコンコンと湧き出て来る。いや~ん。最悪~。せっかく春夏冬くんにお姫様抱っこされてるのに、私、ゲロってる~。
「大丈夫か、愛雨」
違うよ、春夏冬くん。私は、愛雨じゃないよ。
「……春夏冬くん、大好き」
「しっかりしろ、愛雨。え、何? よく聞こえない。何だって?」
「……春夏冬くん、大好き」
長かった。五歳からの恋だった。ずっとこの瞬間を待っていた気がする。もうろうとする意識のなか、まるでうわ言のように、私は彼に告白をした。
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
蛇蛇野夢雄 クラスメイト 陰湿 ずる賢い
春夏冬宙也 幼馴染 怪物