24. 蛇蛇野をガン詰めしたものの
★視点★ 櫻小路和音
血の池高校の昼下がり。食事を終えたクラスメイトがワイワイと雑談をしている教室にフラリと入る。そこに居た全員が、まるでシマウマの群れがライオンの存在に気付いたみたいに、一斉に俺に視線を向ける。せっかくなので、岩陰から草食動物を狙う肉食獣の如き眼力で、群れ全体を威嚇してやる。一瞬で静まり返る教室。
つい深い意味もなくみんなをビビらせちゃうけれど、実は、俺は、このクラスの連中には、内心とても感謝をしている。なにしろ、ひとつの体をシェアし、日替わり交代で通学をする俺たち三人に対し、ぶっちゃけはじめはどう接してよいのか分からず困惑をしていたが、そこは若者特有の柔軟な思考で現実を速やかに受け入れ、今では俺たちのことを明確に「個人×3」という認識してくれている。
担任の田中をはじめ、頭の固い大人どもは、いまだに俺たちのことを「個人÷3」という扱いをしやがる。分かるんだよ。態度の端々にそれが出てんだよ。馬鹿にしやがって。違うっちゅ~の。俺たちは、三個人が、たまたまひとつの体をシェアしているだけだっちゅ~の。まあ、そんなことはさて置き……
さ~て、蛇蛇野夢雄はどこだあ?
あ、みぃ〜つけたあああ。
教室の隅。集団から一人離れて、スマートフォンをいじっている。
「蛇蛇野くぅ~ん、こんにちは~」
「や、やあ、和音くん。こ、こんにちは」
あえて薄気味の悪い笑顔をつくり、あえて一歩一歩ゆ~っくりと蛇蛇野に忍び寄る。ライオンに狙われたシマウマが、こちらの出方を伺い硬直している。
「さあ、蛇蛇野くぅ~ん、午後からも、我らが学び舎で、共に勉学に勤しもうねぇ~ん」
「……どうしたの、和音くん。珍しいね、きみがぼくに話しかけるなんて。てか言うか、普通にしゃべりなよ」
「なにを言っちゃってるのさぁ~、蛇蛇野くぅ~ん。ミーはいつだって、くぉんな話しかたじゃないくゎ~ん」
ビビってやがる。きっと金玉が縮みあがっていやがる。さ~て、ここらでにわかに態度を激変させてやる。
「おい、蛇蛇野。てめえ、俺に何か言うことないか、あ?」
蛇蛇野よ。俺はてめえにカマをかけてんだ。てめえが昨日しでかした悪行を、俺が知らねえとでも思っているのか? あいにく俺は、自分がこの体を使わない日も愛雨の行動を見ることが出来るんだぜ? さあ、答えろ。てめえは、それに感付いているのか、いないのか?
――そんな意味も含ませつつ、蛇蛇野を問い詰める。
「ななな、何のことだい、和音くん、きみの言っている意味がよく分からないよ」
……微妙な反応。ふん。まあいい。見ろ。顔からすーっと血の気が引いていやがる。
これは愛雨の敵討ち。だが俺は、がんばってこいつを自白に持ち込む気など、はなからねえ。こいつが恐れ慄く顔を見れたらそれで満足。ちゅうわけで、容赦なくいたぶらせてもらうぜ。蛇蛇野が手にしていたスマートフォンを、おもむろに取り上げる。
「てめえは、さっきから何を熱心に書き込んでいやがる?」
「あ、ちょっと、勝手に見ないでよ」
るっせー。勝手に画面を覗き込む。何だコリャ? 俺はスマートフォンを持っていないから詳しくは知らねえが、どうやら、こいつは、どこぞのタレントの誹謗中傷が書き連ねているサイトに、みずからもせっせと悪口を書き込んでいるようだ。俺は、蛇蛇野の書きかけのコメントを、教室中に響き渡る声で読み上げる。
「え〜なになに『才能枯れたね。もう地上波には出るな。全国民があなたを嫌っています。馬鹿。死ね』……なあ、蛇蛇野、楽しいか?」
「ほっといてよ」
「教えてくれ。こうやって人の悪口を書き込むと、生きている実感が湧くのか?」
「そんな嫌らしい言い方しないでよ」
「嫌味じゃねえ。こうして罵詈雑言を書き連ねることで、よっしゃー、俺は今生きているぞ、人生ちょー楽しい、リアルちょー充実、ってなるなら、ぜひ俺もやりたい。純粋にそう思っただけさ」
だってそうだろう、こんなくだらねえ所業で、僅かでも生きている実感が得られるなら俺だって……おっと、これは愛雨のかたき討ちだ、こんな糞野郎には微塵の同調もしちゃならねえ。気を取り直して、更にネチネチといたぶってやる。
「てめえ、恥ずかしくねえのか? あ? まったく親の顔が見てえよ」
手にしたスマートフォンをポイと放り投げる。すると、慌ててそれをキャッチした蛇蛇野は――
「人の親を侮辱するな。ぼくのパパは新聞記者だぞ」
――と、突然語気を鋭くした。なんだあ? 何を急に熱くなってんだあ? 予想外の反応に俺は少々焦った。
「新聞記者?」
「そうだ。ママが言うには、ある怪奇事件に深く関わり過ぎて業界から消されてしまったけれど、それは優秀な記者だったって」
「なんで過去形なんだ?」
「パパは、ぼくが赤ちゃんの時に、ママと僕を置いて消息を絶ったらしい。だから詳しいことは分かららない。でも、和音くんにぼくのパパを侮辱して欲しくない! きみに人の親を馬鹿にする権利はない!」
……おいおい、突然何を向むきになってんだ? ……まあ、確かに、俺にてめえの親を馬鹿にする権利はない。
「すまねえ。悪かった」
そう言いかけて、この俺が、素直に謝罪など出来る筈もなく――
「ふん。ほざいてろ。タコ」
――かろうじてそう毒づき、どこかしら退散するようにその場を後にした。なんか俺、最後のほう、蛇蛇野に追い詰められていなかった?
何とも言い表せない敗北感に苛まれながら、午後の授業を受ける。下校をする。自宅で制服を脱いで洗濯機を回す。冷蔵庫にある食材で自炊をする。それから「僕と俺と私のノート」を開き――
『夜夕代へ 気が向いたら血の池公園にいる僧侶を散髪してやってくれ よろしく』
――と書き込み、カーテンを閉め、部屋を真っ暗にしてベッドに横になる。
自嘲。自責。自省。学校で蛇蛇野に謝れなかった。あんな時、春夏冬なら、きっと相手の目を見て「ごめん。失言だ。許してくれ」なんつって、毅然とした態度で謝罪をした筈だ。どうして俺は春夏冬のように素直になれない? どうして俺は春夏冬のように真っすぐに生きられない?
午前中に三休和尚が詠った詩が、ふと脳裏に蘇る。
『有漏路より 無漏路へ帰る 一休み』
誰もがモノゴトで溢れた世界から何もない世界に帰っているのなら、この十七年間「体をもたぬ意識」として生きてきた俺は、いったいどこへ帰ればいい?
あれ? そもそも、俺って生きてんだっけ?
殴り合いたい。今すぐにでも春夏冬と喧嘩がしたい。あいつと真剣勝負をしている時、俺は、自分がこの世界で生きていることを、強く実感することが出来る。
「春夏冬に逢いて~」
そう溜息をつき、やがて俺は眠りに付いた。
【登場人物】
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
蛇蛇野夢雄 クラスメイト 陰湿 ずる賢い
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