17. 十七年間「体を持たぬ意識」として生きていた俺
★視点★ 櫻小路和音
俺の生い立ちを、さかのぼれるところまでさかのぼってよいのなら、ぶっちゃけ、愛雨が生まれた時から、俺は「意識」として存在をしていたんだ。
浮遊する魂? 生き霊? フワリフワリと虚空を漂っている感じ?
赤ん坊のあいつが母ちゃんにオムツを替えてもらっている時も、保育園児のあいつが女の子に泣かされている時も、小学生のあいつが公園で仲間外れにされている時も、中学生のあいつがクラスメイト全員に無視をされている時も、俺は「意識」として存在をしていた。虚空から、あの弱虫のことを見ていた。
俺たちはいつも一緒だった。
あいつがひとつ歳を取れば「意識の俺」もひとつ歳を取った。あいつが言葉を話すようになると「意識の俺」も自分の気持ちを言語化するようになった。あいつが思春期を迎えれば「意識の俺」の性的エネルギーも増大し、大人としての自分を確立するために足掻いた。愛雨と俺は、共に成長をして来たのさ。
実のところ、愛雨と俺と|夜夕代の三人で体をシェアするに至った現在も、俺が体を使えない日、俺たちの用語でいうところの「非番の日」においても、俺は、愛雨の行動は、昔と変わらず見ることが出来ている。意識の俺が、ずっとあいつを見ているんだ。
ならば夜夕代が体を使っている日に、この俺が、あの小娘の行動を、愛雨と同じように見ることが出来るかというと、なんとな~くしか見えねえんだな~これが。見えていないわけじゃねえのよ。でも愛雨の時ほど鮮明に見えねえ。ボンヤリと霞が掛かったような映像。消え入りそうな声。せいぜい時の経過を把握できる程度。
このあたりの混み入った話を夜夕代としたことがねえから、あの小娘が俺のことを見ているのかどうかは知らねえ。でも、少なくとも俺は、非番の日に、あの小娘のことを薄らボンヤリとしか見られねえ。鮮明に見ることが出来るのは愛雨だけだ。愛雨の日々の行動は、しっかり把握出来る。
この件を愛雨に話したことはない。今後も伝える気はさらさらない。だってそうだろう? 生命の源はあくまで愛雨で、俺はそこから派生した付属品だと言うことを認めるようなものじゃねえか。なんかすんげ~癪じゃん。言えねえ。言えるわけがねえ。だからあいつは、いまだに俺に監視されていることを知らねえ。
じゃあ次は、俺が愛雨の体を訪れた時のことを話すぜ。
虚空を漂う「意識」だった俺が、満を持してこの現実世界の地を踏んだのは、今年の五月のこと。
あの日、愛雨は、業多という当時母ちゃんが付き合っていた男に、風呂場で殺されかけていた。母ちゃんは、中間テストの結果が芳しくなかった愛雨への折檻として、水を張った浴槽に愛雨の顔面を押し付けるという虐待行為を、業多に代理させていた。
俺は、その様子を虚空から冷ややかに眺めていた。
失望。嘲笑。つくづく情けねえ男。愛雨のことさ。「やめて下さい。許して下さい。お願いです。助けて下さい」業多が鷲掴みにしたあいつの頭を水面から引っ張り上げる度に、ビービー泣き喚きやがって。
愛雨がこの日この場所で窒息して死ぬのであれば、それならそれでよいと思った。あいつは生き物として弱過ぎる。弱い種は遅かれ早かれいずれ滅ぶ。これは自然の摂理だ。
涙と鼻水を垂れ流し苦痛に顔を歪める愛雨を、浴室の少し高いところから見下ろす。なんつーか、思い切り唾を吐きかけてやりたい気分。テメエはそれでいいんだな? そうやって無様にくたばるんだな? ふ~ん。あっそ。さいなら。
てか、こいつが死んだら、「意識の俺」も消滅するのかな? そんな疑問が一瞬頭を過ぎる。まあそれも、それならそれで、別にいっか。愛雨も、俺も、何もかも、消えて無くなりやがれ。生きることに執着したり、迫り来る死に怯えたりすることが、上手く出来なかった。だって俺は、体を持たぬ出来損ないの「意識」だったから。
【登場人物】
櫻小路和音 荒ぶる十七歳 三人で体をシェアしている
櫻小路麗子 愛雨と和音と夜夕代の母
櫻小路愛雨 悩める十七歳 三人で体をシェアしている
業多 麗子の彼氏 反社まがいの男