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僕と、俺と、私の、春夏冬くん  作者: Q輔
エピローグ
117/117

117. 壊れた時計

――二十年後。


 八月。相変わらず猛烈な残暑が続いているが、夕方ともなれば、ずいぶんと暑さのやわらぎを感じられるようになった今日この頃。ウッドデッキの梁に引っ掛けた風鈴の音。庭柵の向こうからウーバーイーツのエンジン音。閑静な住宅街に、どこからともなく蝉の声。


 いま私は、陽あたりの良いリビングのテーブルで、ノートパソコンを開いてこの文章を書いている。リビングの掃き出し窓から続くウッドデッキでは、私の愛する旦那様が、せっせとガーデンバーベキューの準備をしている。


 私の旦那様は、昔から気になった物事には徹底的にこだわる人で、最近はバーベキューにドはまりしているご様子。材料の買い出しから下ごしらえ、炭起こしからテーブルや椅子の配置まで、すべて自分一人でやっちゃいます。少しは手伝わせて欲しいと私がお願いをしても「ボクの楽しみを奪わないでくれ」とお叱りを受ける始末。普段は家事に無頓着な人で、皿洗いひとつ手伝ってくれないのにね。まったく。何だかなあって感じい。


「おーい、林檎先生。ぼちぼち皆が来宅する時間だ。執筆作業にきりをつけて、こちらへおいで」


「ねえ、春夏冬あきないくん。十年も連れ添った女房をつかまえて、いい加減にその先生って呼び方はやめてくれない?」


「ごめんごめん。つい癖で。しかし、君だって、いまだにボクを苗字で呼ぶではないか」


「あら嫌だ。確かにそうね。オホホ」


 お久しぶりです。こうしてあなたに語りかけるのは、物語の冒頭以来ですね。あらためまして、私の名前は一里塚林檎いちりづかりんご。いや、エピローグを迎えた現在においては、もう春夏冬林檎あきないりんごと名乗っても差し支えないでしょう。


 うふふ。驚いた? 私たちは、春夏冬くんが大学を卒業して直ぐにお付き合いを始め、五年間の交際期間を経て、彼が二十七歳、私が三十三歳の時に結婚をしました。


 ついでに彼の職歴をお伝えします。彼は、大学を卒業してから、お父さんの秘書として現場経験を積み、三十歳の時に市会議員に当選。さらには、二年後の市長選で、見事に大久手市長となりました。そして昨年、現職知事が汚職問題で失職したことによる知事選に立候補をして、なんと三十六歳という若さで愛知県知事に当選をしたのです。かねがね四十代で必ず知事になってみせると周囲に豪語していましたが、予定より早く夢を達成してしまいました。相変わらずの怪物ぶりです。


 ちなみに、私はと言えば、結婚を機に養護教諭の仕事を辞め、以降はずっと専業主婦。陰ながら彼を支えています。また、その傍ら、手慰みに小説やエッセイなんかを書いて、ゆる~く暮らしていますよ。


「おじゃましま~す。春夏冬くん、いる~?」


 玄関から賑やかな来客者の声。


「お~お~、待ちかねたぞ。お庭、お庭、直接お庭に回って」


 彼が大声で出迎えたお客様を、お庭に誘導する。


「あ、林檎先生だ。お邪魔しま~す」


 櫻小路愛雨さくらこうじあいうくんの登場。リビングに居る私に、照れ臭そうに挨拶をする。


「ご無沙汰しています、林檎先生。この度は、主人が知事より大変光栄な役職を仰せつかり、誠に有難う御座います」


 続けて、地図子夫人の登場。旧姓、尾崎地図子。かしこまった言葉を述べながら、深々と私に頭を下げる。愛雨くんと彼女は、高校二年生の終わりから交際を始め、大学在学中に将来を誓い合い、学生結婚を経て、現在に至る。


「やだ~、地図子ちゃん。私にお礼なんてやめてよ、愛雨くんを副知事に任命したのは、私ではなくて春夏冬くんだし。そもそも、副知事は知事が指名するものだけれど、その後に県議会の同意が必要なの。つまり、すべては愛雨くんの人望であり実力なのよ」


 愛雨くんは、夢であった臨床心理士の道に一度は進んだものの、結局は、政治家の道を選んだ。その理由は、みなさんご想像の通り、うちの旦那様であ~る。愛雨くんを自分の補佐官にしたいという思いをどうしても諦めきれず、執拗にお願いを続けたのであ~る。愛雨くんは、その熱意に負け、臨床心理士の道を断ち、県議会議員となったのであ~る。


 それなのに、地図子夫人に感謝なんかされたら、私、困っちゃうわ。逆に、こちらが頭を下げなければならないっちゅうのよ。なんかもう、うちの旦那様が、勝手ばかり言ってすみませ~ん。


「ねえ、母ちゃん、バーベキューまだあ? 俺、すんげ~腹減ってんだけど」


 地図子夫人の背後から、一人の少年が顔を覗かせる。


「こら、雨音あまね!」


「あ?」


「知事と夫人に、ちゃんと挨拶なさい!」


 櫻小路雨音さくらこうじあまねくん。愛雨くんと地図子ちゃんの一人息子。今年で十歳。現在、小学四年生。ちょっと、わんぱく。もとい、ぶっちゃけ、かなりの悪ガキ。地図子夫人が、ものすごい剣幕で雨音くんを叱り飛ばす。


「うるせえなあ。てめえは俺の保護者か!」


「保護者じゃああああ!」


 愛雨くんが、慌てて二人の間に割って入る。


「まあまあ、地図子ちゃん、落ち着いて」「はあ~、頭が痛い。先が思いやられるわ。いったい誰に似たのかしら」「雨音はお腹が空いてカリカリしているのかな?」「自慢じゃねけどペコペコだぜ」「でも、そのような態度は、招いてくれた人達に失礼だよね。そもそも、お腹が空いているから、挨拶をおろそかにしてよいなんて考えはムチャクチャだよね」「……ちっ、わーったよ、悪かったよ、父ちゃん。――春夏冬知事、こんばんは! 林檎先生、こんばんは!」


 かつては陰キャでいじめられっ子だった男子生徒が、見違えるような立派な大人になり、毅然とした態度で妻をなだめ、息子をたしなめている。父の注意を理解した息子が、こちらにしっかりと顔を向けて挨拶をする。


「パパ―! パパー! 私のパパは、いずこへー!」


 すると今度は、自宅の二階から少女の黄色い声と、階段を勢いよく駆け下りる音。


「おやおや、秋代あきよ。パパならここにいるよ。いったいどうしたのかな?」


「秋代さ、こないださ、算数のテストで百点取ったの。でさ、秋代さ、それをパパに見せるのすっかり忘れていたの。ホラ見て、百点満点!」


 春夏冬秋代あきないあきよ。旦那様と私の一人娘。雨音くんと同じく、今年で十歳。ぶりっ子。女子力めちゃんこ高い。少々ファザコン気味。


「おおおお、本当だ、百点だ! 頑張ったね、秋代!」


 春夏冬くんが、オーバーに驚いてみせる。


「ねえ、パパ、『よしよし』して」


「よしよし? またかい? もう赤ちゃんじゃないのだから……」


「い~じゃん。秋代は、よしよしって、パパに頭を撫でて欲しいの」


 やれやれ、と、父が困った顔で愛娘の頭を撫でる。


「よしよし。よしよし」


「ねえ、パパ、秋代、偉い?」


「偉いぞ、秋代」


「凄い?」


「凄いぞ。秋代」


 娘を褒めそやし終えた春夏冬くんが、熱気漂うバーベキューコンロの網に、下ごしらえした肉や野菜を、トングで几帳面に並べて行く。こだわりの備長炭に焙られた食材から煙が立ち昇る。お口の中に条件反射で唾液がジワリ。――すると、手際よく調理を進める彼の手元を、缶ビール片手に見詰めていた愛雨くんが、ポツリと漏らす。


「……あの~、知事、質問をしてもよろしいでしょうか?」


「なあ、愛雨。プライベートの席だ。今日に限っては、その呼び方はやめてくれ」


「あ、そうだった。ゴメン。あのね、春夏冬くん。ちょっと聞いていい?」


「なんだ?」


「十七歳のあの日に壊れた時計を、いつまでそうやって身に着けているつもり?」


 旦那様は、小学五年生の時にサンタさんからプレゼントされた腕時計を、今でも腕に巻いている。ほ~んと、いつまで動かない時計を身に着けているつもりかしら。妻としては、呆れるのを通り越して、なんかちょっと怖いっちゅうのよマジで。


「スマホも所持したし、何度も処分しようと思ったのだが、やはりどうしても捨てられないのだよ。少年の頃から身に着けていた時計なので、腕に巻いていないと不安になる。調子が狂う。体調が悪くなる」


「市長選の時も、知事選の時も、ずっと身に着けていたね。その腕時計は、春夏冬くんの御守りみたいなものなのかな。君が清く正しい政治を行えるのは、この腕時計のおかげだね」


「いや、それは違う。ボクが正しい政治を行えるのは、君のおかげだ」


 そう言って彼はトングを傍らに置き、たくましい両手で愛雨くんの肩をバシバシとな叩きながら、感謝の気持ちを伝える。


「さもすれば夢に向かって猪突猛進してしまいがちなボクを、君が上手にコントロールしてくれているおかげだ。ボクの人生は、君という優秀な補佐官がいてくれればこそなのだ。さあ、ささやかだが、今夜は君の副知事就任を祝う宴だ。たくさん食べてくれ。遠慮なく飲んでくれ」


「痛い。痛いよ、春夏冬くん。そんなに強く叩いたら、肩の骨が折れちゃうよお――――あれれ?」


「ん、どうした?」


「……時計が。ほら、春夏冬くん。時計が動いてない?」


「二十年前に止まった時計だぞ。まさかそんな……げげ、本当だ、動いている。秒針もチクタク。長針もチクタク。短針もチクタク」


「僕の肩を叩いた衝撃で?」


「かもしれない。――お~い、林檎先生。凄いぞ。時計が。ボクの腕時計が、また動きだしたのだ。ほら、見なさい。こちらへ来て、見てごらんなさい」


 あらあら、三十七歳の中年男が、古い腕時計を天に掲げて、まるで夏休みの少年のようにはしゃいでいる。まったく、私の旦那様ったら、常人ではありえないことを、しれっと巻き起こすお人だわ。


 さて。どうやら、十七歳で止まった彼らの時間が、ふたたび動き出したようです。いやはや、いったいこれからどんな物語が彼らを待ち受けているのやら。


 次の展開を以降のページに綴るもの悪くはないけど、旦那様が私を呼んでいることだし、こんがり焼けたお肉の匂いも漂ってきたことだし、このあたりで一旦PCを閉じるわね。あ~、お腹空いた~。てか、お肉って外で焼いて食べると、これがまた格別なのよねえ~。というわけで、続きは、またどこか別の機会で。じゃあね。


――この物語を、大人になれない、だけど子供じゃいられない、かつての、今の、これからの、すべての十七歳に捧げます。


 令和二十六年、夏。 春夏冬林檎。 (完)


最後までお読みいただき、ありがとうございます。★やブクマなどで評価をしていただけると、今後の執筆の励みになります。

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― 新着の感想 ―
完結お疲れ様でした。 大団円と言ってよいのでしょうか?( ^ω^ ) 皆が落ち着くところに落ち着き、居なくなってしまったはずのふたりとまたこうして一緒にご飯を食べることが出来る。 少し大人になった二…
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