107. 数千年考えさせて
★視点★ 櫻小路夜夕代
血の池高校へ行く。二時間の授業を受け、休み時間にトイレに行く。げっ、ヤバい。めちゃんこオシッコしたいけど、女子トイレの入り口に我が校の一軍女子たちがたむろしている。嫌だなあ。入りにくいなあ。でもオシッコ漏れそうだしなあ。あれこれ迷い決心を出来ないでいると、さっきまで同じ教室で授業を受けていた蛇蛇野夢雄が、隣の男子トイレからふらりと出て来た。
「おや、どうしたの? 困った顔をして」「べつに。あんたに関係ないし」「ねえ、夜夕代ちゃん、不躾で悪いけれど、聞いていい?」「なによ」「和音くんのように、君もいつかは消えてしまうのかい?」「……うん。だよ」「いつ消えちゃう感じ?」「たぶん今日」「…………」
蛇蛇野が、しばらく声がでないほど打ちのめされている。
蛇蛇野夢雄。私にストーキングや盗撮行為を繰り返した気ショい男。でも、こいつはかつて私にこう言った――
『僕は、君が三日に一度しか現れない人格でもかまわない。君の体が、半分は男性でもかまわない。性別なんて関係ない。君が抱えている障害も関係ない。君の家柄も、過去も、未来も、いっさい問わない。僕は、君がどんなカタチであっても君のことが好き。例え君が君のカタチを成さなくなっても、僕の想いは変わらない」
――考えてみれば、こいつは、私のような異形の人間を、表面だけではなく、心の底から差別しない数少ない人物のひとりだったんだ。普段から私にまとわりつき、愛雨には意地悪で、そのくせ和音にはビクビクしていたのだって、私たち三人を完全なる別人として認識していた証拠とも言えるし。
「ねえ、蛇蛇野。私のオッパイ、触る? 今日でお別れだし、ちょっと触れる程度なら……いいよ」
嫌だ、私ったら、どうしちゃったのかしら。自分の体で蛇蛇野の心を癒してあげようだなんて。これじゃまるで遊女じゃない。ところが、蛇蛇野は、静かにかぶりを振り――
「お断りするよ。お情けで君の体に触れたところで、今の僕の心は満たされない。それよりも、夜夕代ちゃん、お願いがあるんだ」
「なあに?」
「来世では、どうか僕とお付き合いをして欲しい」
「う~ん、来世かあ。それはちょっと難しいかな」
「じゃあ、来来世で!」
「どうかなあ」
「じゃあ、来来来世で! 来来来世では必ずや僕の恋人に!」
「うふふ。考えておくわ。数千年考えさせて」
シャああああ、希望無きにしも非ずっ! 蛇蛇野が手前に引くタイプのガッツポーズをして歓喜の声を上げる。それから、内股になってモジモジする私の様子から全てを察し、女子トイレの入り口にたむろする一軍女子の集団に声を掛ける。
「おい、君たち。彼女がトイレに入りたがっている。そこに居座られると大変邪魔だ。道を開けてくれ」
すると、一軍女子の一人が、薄ら笑いを浮かべて言う。
「いや、でも、その子、男じゃん?」
途端に阿修羅のような形相になった蛇蛇野が、被せ気味で叫ぶ。
「彼女は女性だ! 女性が女子トイレを使用して何が悪い! そのような差別的な発言をするのであれば、然るべき方法で君たちを白日の下に晒すぞ!」
蛇蛇野の勢いに圧倒された一軍女子たちが、悔しそうに女子トイレを出て行く。
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
蛇蛇野夢雄 クラスメイト 陰湿 ずる賢い