105. 春夏冬くんと林檎先生
★視点★ 櫻小路夜夕代
「春夏冬くん、お礼を言わせて。愛雨くんの体に和音くんと夜夕代が出現してから約一年。今日まで定期的に私に彼らの普段の生活の様子を報告してくれて、本当にありがとう」
「え。どうしたのですか、急に」
熱心に話し込む二人。カーテンのこちら側にいる私は、完全に出て行くタイミングを逃してしまった。どうすることも出来ず、ただもう二人の会話に耳を傾けている。
「彼らのようにある種の障害や生きづらさを抱えた生徒に寄り添い、そのような生徒が差別や偏見の目に晒されることなく普通に高校生活を送れる環境を作るのが、養護教諭としての私の目標でした。だから、普段から彼らが何を考え、何に傷付き、何を夢見ているのか、そのデータが喉から手が出るほど欲しかった。
でも、白衣を着た私のような教師が、形式ばった質問をすると、彼らはどうしても身構えてしまうし、正直な気持ちを話してくれないでしょう? だから私は、春夏冬くんからそのデータを得るという手段を取った」
そうかあ。春夏冬くんと林檎先生が、ミーティングと称して定期的にコソコソと密会をしていたのは、つまりそういうことだったのね。林檎先生ったら、聞きたいことがあるなら、直接聞いてくれればよかったのに……。
「今日まで私に協力してくれてありがとう。そして、ごめんなさい」
「ごめんなさい? やめて下さいよ、林檎先生。どうして謝るのですか」
「だって、結果的にあなたにスパイのような役をさせてしまったわけで……」
「先生がよこしまな気持ちでボクを利用したのではないことは分かっています。すべては櫻小路家の三つ子のため。ボクは、それに協力が出来て本望です」
「そう言ってもらえると、嬉しいわ。――でも、このミーティングは、今日でおしまいです」
「ええ、どうして。和音が消えてしまったからですか。夜夕代が消えてしまいそうだからですか」
「そうじゃない。私サイドの事情です。発表します。わたくしこと一里塚林檎は、今年度いっぱいで別の高校へ異動することになりました」
うっそおおおお。まさかの、林檎先生が他校へ異動おおおお!
「櫻小路家の三つ子の件で、学校や教育委員会やPTAとガンガンやり合ったからね。上から目を付けられているのよ。みずからの信念に基づいてのことだから後悔はしていないけれど、いささか派手に暴れすぎたかもね。反省反省」
「つまりボクが三年生になる時には、林檎先生はもうこの学校にいないということですか」
「はい。県内だけど、遠方の、びっくりするほど山奥の高校へ行くことが決まっています。本心を言えば、ひとつの体に複数の人格が共存する生徒のことをもっと調べて、今後の同類のケースに備えたかった。でも、勝手な行動は慎むようにと上から厳しく注意をされているから、この件は中止をせざるを得ないのよ。道半ばで頓挫するのは、歯噛みするほど悔しいけどね」
「しかし、今日まで先生とボクで集めたデータを無駄にしてしまうのは、あまりに勿体ない」
「確かに。でも、こうなってくると、教育の資料として世に出すのは現実的に不可能なのよ。――あ、そうだ、いいこと思いついちゃった。私、このデータをもとに小説を書いて世に出そうかしら。数奇な運命に翻弄されながらも、いかに彼らが楽しく生きたか。生きづらさを抱えながらも、いかに彼らが青春を謳歌したか。それをひとつの物語に綴るの。うひょ~、今後の生きがいを見付けちゃったわ」
私たちのことを小説にする? おやおや、相変わらず突拍子もないことを言い出す先生だわ。でも、それってすっごい面白いかも~。
「……その物語に、ボクは登場しますか?」
「へ?」
「ぜひボクを登場させてください。もう少しボクにも興味を持って下さい」
「と、突然何を言い出すの」
「正直に言います。ボクは、櫻小路家の三つ子に嫉妬していた。林檎先生とのミーティングの中で、たまにはボク自身についても尋ねて欲しいと思っていた。いつも三つ子の話ばかり。先生はボクにまるで興味がないのだと思うと、ボクは、とても切ない気持ちになった」
「……どうしちゃったの、春夏冬くん。いつもの君らしくないわ」
あれれ? お話がとんでもないほうへ向かってない?
「単刀直入に言います。ボクは先生のことが好きです」
うっそおおおおおおおおん!
「先生はボクのことをどう思いますか」「どうって……ゴメン、話の展開が急すぎて、返答しかねるわ」「ボクは先生のことが好きです」「あ、ありがとう」「好きなんです」「うんうん、何度も言わなくても聞こえているから。でもあなたには、夜夕代というガールフレンドがいるじゃない?」
「はい。ボクは夜夕代のことも好きです。でも彼女に対する好きと、先生に対する好きは違うのです。先ほど先生から異動の報告を受け、ボクは、それに気が付きました」
「どう違うの?」
「夜夕代に対するそれは『守ってあげたい』という気持ち。先生に対するそれは『ずっと一緒にいたい』という気持ち。本質は同じ『愛』ですが、何と言うか、テイストが大きく異なります。ボクは、林檎先生といつまでも一緒にいたい」
……ま、マジっすか。
「でも、私たち、教師と生徒だし」
「そんな些細なことは問題ありません。先生は、現在二十三歳。ボクは、現在十七歳。ボクが大学を卒業したら、ボクとお付き合いをして下さい。それまで待ちます。他人に迷惑をかけないという大前提さえ守れば、恋愛の可能性は無限です」
「いや、その、知っているとは思うけど、私はノンバイナリーと言って、自分の性自認が男性と女性のどちらにもはっきりと当てはまらない人間だから」
「と言うことは、つまり男性を愛することが不可能ではないということ。どうか女性の性自認のほうでボクを愛してください」
「……春夏冬くんの気持ちは受け止めました。でも少し考えさせて」
「はい。考えておいてください。ボクは先生のことが好きです」
「分かったってば。何度も言うな。重いっちゅーの」
次の授業のチャイムが鳴る。慌てて保健室を飛び出す春夏冬くんの足音。「は~。ややこしいことになっちゃったな~」しばらくして林檎先生が独り言を言いながら保健室を出て行く。
……ま、マジっすか。
マジっすかああああああああ!
【登場人物】
櫻小路夜夕代 恋する十七歳 三人で体をシェアしている
春夏冬宙也 愛雨の幼馴染 怪物
一里塚林檎 保健室の先生 イケジョ