第八話 嫌がらせには倍返し、コソ泥(侍女)は反撃す②
「ないっ! ない! どこ……!?」
「そんな……あり得ませんっ」
「誰の仕業なのです?!」
いつになく城が騒がしい。
侍女たちの呼びかけではなく、喧騒によって目を覚ました皇妹ベラ・メレス・アーノルドは、理解不明な状況を前に首を捻っていた。
――これは一体、どういうこと?
至るところから聞こえてくる悲鳴のような叫び。
毛布に全身をくるんで廊下を徘徊している者もいて、城の警備を担う騎士たちが総出で混乱を収めようとしているが、苦戦しているようだった。
なんらかの事件が起きたのは見ればわかる。でも、身がすくんで動けない。
もしも何か、恐ろしいことだったとしたら?
たとえば、勇猛果敢にも他国から帝国へ宣戦布告がなされたとか。
たとえば――――――――皇族が暗殺された、とか。
そう考えるだけで全身の血の気が引いていく。
息が浅く、そして立っていられなくなって近くの壁に背を預ける。とうとう視界と意識がぐらぐらと揺らぎ始めた時……力強く美しい声が鼓膜を叩いた。
「ベラ殿下!」
名を、呼ばれた。
そう認識した途端にベラの意識が切り替わる。力づくで切り替える。
――何をしているの。私は『明るく聡明な、理想の皇女』でしょう。そうでなくてはいけないでしょう。
笑みを浮かべて顔を上げれば、目の前に迫って来ている人物が見えた。
それが誰なのかはすぐにわかる。つい先日、城の侍女として雇い入れたばかりのフォークロス伯爵家の養女、ミリア・フォークロスだ。
彼女は息を切らすこともなく、そして極端に取り乱すこともなく、少しばかり焦った様子ではありながらもベラの前で頭を下げた。
「おはよう、ミリア」
「おはようございます。早速ですが一つ、お伝えしたいことがありますの」
「どうかした?」
「少なくない数の使用人の衣服や宝石類といった私物がスられ……いえ、盗難されたようですわ」
盗難。
影の目もある城の中では起こらないはずの一大事で、歴とした事件。にもかかわらず、安堵にへにゃりと崩れ落ちそうになる。
あの兄は、ベラとは不仲のあの兄はなんともないのだ。
気づけば呼吸の苦しさは消え失せていた。
なるほど、毛布姿で出歩いているのは衣服がないせいか。どうしてそこに思い至らなかったのだろうと、己の不甲斐なさを笑いたくなりながら、ベラは口を開いた。
この場を率いる者として。
「皆、少し落ち着いて。衣服が奪われた者はドレスは私のものを貸してあげる。だから話をしましょう」
それから、明らかになったのは。
侍女七名、下働き十名以上が被害に遭ったこと。そして、全ての盗品が侍女の休憩室に集められ、盗品群の上に血文字の書かれた紙が置かれていたことだった。
『我らが皇帝陛下の住居を穢した者どもへ、裁きは下されたり』。
何か心当たりがあるのか、それとも血文字に怯えたか、震え上がる侍女と下働きたち。その中で、同様に盗難被害を受けたはずのミリアがなぜかわずかに口元を歪めていた。
まるで、悪戯を成功させた子供のように。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は、ベラ殿下の目覚めより数刻前まで遡る。
荒らされた部屋を整え、外へ出たミリアは、足音を忍ばせて城の廊下を歩みながら思案を巡らせていた。
――さて、どうしてやろうかしらねぇ。
まず実行犯は侍女ではないだろう。汚れ仕事を率先してやりたがらないに違いないから、下働きにでも押し付けたと考えた方が自然だ。
その特定から始めて首謀者に行き着くべきか、あるいはその過程を省略して悪口を囁いていた侍女全員をまとめて恐怖の渦に突き落とすべきか。
後者の方が面白そうだがやり過ぎ感が否めない。だが首謀者だけにやり返すのも手ぬるいように思える。
結果、首謀者と実行犯の双方へ報復を行うことに決定した。
従わされただけの下働きに報復するのはお門違いと咎められるかも知れない。
しかしいくら身分的な上下があるとはいえ、全力で逆らい、あるいはベラ殿下に報告すれば、不条理な命令からは逃れられたはず。そうしなかった時点で保身のためなら悪事に手を染めていいと判断したということになるのだ。
標的の特定にはさほど苦労しなかった。というのも、ご丁寧に犯人たちが休憩室で立ち話をしてくれていたから。
「今頃あの新入り、どんな顔をしているんでしょう」と楽しげに話す彼女らと、気まずげにしている実行犯の顔を見れば、誰がどこの部屋をあてがわれているか思い出せた。
あとは簡単で、部屋に忍び込み、侍女らの私物を盗んである場所――休憩室に運ぶだけ。皇家の影を目を欺くのと比較するまでもなく生易しい行為だ。
寝支度の時間は人目につきやすいので、使用人たちが寝静まる深夜まで行動を待つ。
その間に、どうすれば自分が報復を行なったと公に知られず、かつ首謀者たちにはわかるようにできるかという問題の解決のための良案を思いついて。
そして――色々あって、翌朝を迎えた。
心地良いとはとても言えない、騒がしい朝。
動揺の声、悲鳴に近い絶叫、あたふたとした足音。それに紛れてベラ殿下の元へ向かったミリアは、冷静に、それでいて焦っているように見えるよう気をつけながら報告した。
少なくない数の使用人の私物が失われ、ミリア自身も大切な物を盗まれてしまった、と。
本当はもちろん盗まれたわけではないけれど、実際に休憩室で他の盗品に混ざってミリアのものが見つかったらグッと疑われづらくなる。侍女たちはミリアが犯人とすぐに思い至るだろうが、自分たちの嫌がらせを公にしたくはないから口をつぐまざるを得ない。
これこそが良案の正体だった。
血文字……に見える、ただの絵の具で描いた『我らが皇帝陛下の住居を穢した者どもへ、裁きは下されたり』の文言に関してはどう思われただろう。
書いたのがミリアだと理解していても内心で震え上がったはずだ。何人かは態度にも出ている。
――血まみれ皇帝の名を有効活用させてもらったわ。ごめんなさいね、皇帝陛下?
ニヤリと笑いながら、心の中で皇帝陛下に軽く謝罪しておいた。
皇帝陛下にお咎めを受ける可能性は極めて低い。あの、他人のことを虫けら程度にしか捉えていなさそうな皇帝陛下が、この程度の騒動を気にするわけがない故である。
万が一名を借りたことに憤慨されても、指で描いた血文字風の筆跡がミリアのものだなんてわからないだろう。
かくして、第三者に悟られずに首謀者と実行犯を恐怖を味わせられた。
これでミリアの反撃は終わり。
…………の、はずもなかった。
「あの兄の犯行とは思えない。皆、何か心当たりはない?」
表情を曇らせつつも優しい瞳は変わらないベラ殿下が使用人たちへ問いかけた。心当たりは、首謀者や実行犯ではなくてもしっかりあったようで、一様に顔色が悪くなる。
その中で、声を上げた侍女は一人だけ。
ミリアだった。
「考えたくないことなのですけれど。もしかするとわたしのせいかも知れませんわ」
一気に周囲の視線――困惑と怒り、様々な感情を帯びたそれらが突き刺さったが、構わず続ける。
「わたし、皇帝陛下に度々お会いすることがございましたの。陛下の落とし物を拾っていたのですわ。それを理由に他の侍女たちに不快な印象を与えてしまったらしくて……。城に外部からの侵入者があったとは考えにくく、仮に、内部の者の犯行だとすると」
涙目になって見せ、あえてその先を語らない。
だが、ここまで言えば誰だって想像してしまう。ミリアを狙った何者かが、標的を明らかにしないための措置として自分たちにも同様の被害に遭ったかのように見せかけたのではないかと。
真実とは全くの逆であったとしても、信憑性はあった。