第六話 籠絡するために必要なのは、きっかけ作りと地道な努力
二度目の出会いは完璧に、しかしさりげなく。
他人のことを虫けら程度にしか考えていなさそうな皇帝陛下にこちらへの興味を徐々に抱かせるよう仕向けるような方法がいい。
籠絡するために必要なのは、きっかけ作りと地道な努力である。
そして今、ミリアは皇帝陛下と顔を合わせていた。
場所は一階の廊下。地下の執務室から出て二階へ向かおうとしていたところを捕まえた……もとい鉢合せたのだ。
尾行のおかげでずいぶんと恐ろしい美貌は見慣れたが、真正面から向き合うとやはり迫力が違う。
けれどもう、気圧されて言うべきことを言えないなんて失態は犯さない。
「あの……恐れながら皇帝陛下、こちら、落とし物ではございませんこと?」
わざとらしくならない程度におずおずとした態度を作り、声をかける。
口元にはいつもの淑女然とした笑みを形作り、瞳を少々不安げに揺らしてみた。これで『皇帝陛下に勇気を出して話しかけた侍女』らしくなっただろうか。
「落とし物?」
「そこの廊下で拾いましたの。皇帝陛下が歩いて行かれるお姿が見えましたので、もしや陛下のものではないかと思いまして」
わざわざ落とし、わざわざ拾ったそれを、恭しく皇帝陛下の前に差し出す。
それは、皇帝陛下の上着に縫い付けられた宝石、そのうちの一つ。そしてミリアがつい数刻前に本人にも影にも気づかれずに奪ったものだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
尾行が成功したことで、この城においても自分の能力がそれなりに通用すると確信を得たミリアは、二度目の邂逅のためにとある手を講じた。
ずばり、盗みを行うのである。言うまでもなく皇帝陛下のものだ。
皇帝陛下は基本的に装飾品の類を身につけていない。男性であっても婚約者がいればその存在を示すものを身につけているものだが、何せ皇帝陛下は独り者だし、何か身につけたとしても本人の美貌に装飾品が霞んで見えてしまうことだろう。
だから何を奪うべきかと悩んだが、上着についている宝石ならちょうどいいと思った。というかそれしか盗めるような品が見当たらなかった。
――さすがにチョロいとはいかないわねぇ。
尾行と違って盗みとなれば必ず姿を見せなければならないわけで、どうしても相手の視界に入ってしまう。
なのでミリアと悟らせないよう細心の注意を払いながら変装の変装を行なった。
とある下働きから制服を頂戴して着替え、メイドキャップで淡いブロンドの輝きを目立たないようにした。普段から極端に高いヒールを履いているので平らな靴で身長を誤魔化せる。
その上で俯きながら歩けば誰もミリアと気づかない。下働きの少女として皇帝陛下のすぐ傍をすれ違い、皇家の影の注目を集めることなく、なんとかやり切った。
本当はもう少し髪色を隠せれば良かったが、かつらを一つしか持っておらず、かと言って赤毛を大々的に晒すわけにもいかないので仕方ない。
無事に盗みが行えたという事実が全てだ。
でも全く安心はできなかった。何しろミリアにとっての本番はこのあとなので。
元の美しき侍女ミリアに戻り、皇帝陛下が地下室から上がってきた時に落とし物を見つけたと行動を起こした。
足を止めてもらえたまではいい。いいのだが。
どうしてか、皇帝陛下は動かない。
差し出している宝石が見えていないかのように。
もちろん見えていないなんてことはないはずだ。事実として彼の目はちらりと宝石の方へ向けられたし、数秒置いてから返事はあった。
「確かにそれは、余のもので相違あるまい。だからどうした?」
良かった。これくらいなら、想定済み。
仮にも自分のものを拾ってくれたことへ感謝するどころかその返しをするのはどうなのか、と言いたくなるのをグッと我慢する。
ここで気に入られるかどうかが今後を大きく左右するのだから。
「やはり皇帝陛下のお持ち物だったのですね。それは良かったですわ。些細も些細、取るに足らないことではございますが、皇帝陛下のお役に立てたのであれば幸いでございます」
「取るに足らないことと自覚していながら余に声をかけたのか。余は決して暇ではない」
「申し訳ございません」
気圧されてはいけない。動揺したところも見せない。冷酷非道の皇帝と向かい合っても有利に立てるために五日間も尾行に費やしたのである。
その努力は――。
「……ご苦労」
おそらく、無意味にはならなかった。
どうでも良さそうな顔で、それでも宝石を受け取ってもらえたのが答えだろう。
去っていく皇帝を見て、ミリアは初めて勝利を確信した。
三度目の邂逅は、少し日にちをずらしてから。
ベラ殿下の侍女としての仕事の方に多くの時間を割くように計らう。ここ数日は尾行やら何やらでベラ殿下のことが手薄気味になってしまっていたかも知れないと反省し、その分まで働いて見せた。
他の侍女に目をつけられるのはまだ早い。その中でも影ながら努力は怠らなかった。
皇帝陛下となるべく顔を合わせるように心がける。頻度が多過ぎても、態度が露骨過ぎてもいけない。お辞儀をして黙って通り過ぎるだけとはいえ、ミリアの美しさはそれだけで武器になる。
どれほど関心がなくても目を引かれずにはいられない、それがミリア・フォークロスだ。
――さて、そろそろ次といきましょうか。
ちょうどいい頃合いを見計らった彼女は皇帝陛下を物色する。
もう一度宝石を盗むと不自然になる。となれば、身につけているもの以外だ。
自室から地下室へ、あるいはその逆の道を辿る時、皇帝陛下は書類を手にしていることがある。
稀に外出などで執務の時間が減ってしまった時、自室でも執務を行うらしい。ミリアはその時を伺って、再び変装の変装をした。
今度は地味なメイドの衣装ではなく、稽古場からこっそり甲冑を拝借して騎士姿に変貌。
ひっそりと皇帝陛下の手の中から書類を盗んで、大急ぎで着替えてから彼の前へと舞い戻った。
「ごきげんよう。先ほどこの書類を落とされませんでしたか?」
「何だ」
ぎろり、とミリアを睨む視線は相変わらず冷たい。
「わたし、難しいことはよくわからないのですけれど、何か大切な書類ではないかと思いまして」
まるで善意の塊かのように振る舞ったミリアは、皇帝陛下の目にどう映っただろう。
血の色をした瞳の奥、そこに隠された感情を読み取ることができないのは悔しいが、書類もまた無事に彼の手に渡ってくれた。
そして四度目。
護身用の剣を盗んで見せると、紛失していたことに全く気づかなかったらしい皇帝陛下にほんの少し驚かれた。
「これをどこで見つけた?」
「偶然通りかかった稽古場の近くに落ちていたのです。皇帝陛下の腰に刺さっているのをお見かけしたことを思い出し、お届けに参りましたの」
「――――ふん」
奪い取られるようにして、護身用の剣を掴まれた。
続いて五度目。
「また貴女か。フォークロス伯爵家の……」
「まあ、覚えていてくださっていましたの? なんと光栄なことなのでしょう!」
過剰なくらいに喜んで見せるが改めて名乗るのはおろか、決して媚びはしない。わずかでも言葉や態度を間違えてはいけないから、神経を使った。
その日の盗品は上着の胸ポケットに刺さっていた推定執務用の羽ペンである。
六度目。
「本日も皇帝陛下とお目見え叶えましたこと、たいへん嬉しく存じますわ。ところで陛下、落とし物でございます」
「そうか」
六度目ともなるとずいぶんと慣れてきたのか、当たり前のような反応をされた。
それでいい。いや、それがいい。
邂逅を重ね、ミリアの存在が彼の中で違和感がなくなればなくなるほど逆鱗に触れて殺められる可能性は低くなるし、さらに何より近づきやすくなる。
じわじわと攻略できている実感を得られて、ミリアは内心でほくそ笑んだ。
「では、失礼いたしますわね」













