第五話 コソ泥(侍女)は皇帝陛下の尻を追う
翌朝はなかなかいい目覚めだった。
皇帝陛下に斬り殺される夢を五回くらい見たような気がするけれど、ただの夢なので気にしない。気にしないように努めないとやっていられないとも言える。
疲れが取れてさえいればそれでいいのだ。
窓から眩い朝日が差し込む中、かつらを被り、美しき侍女のミリア・フォークロスを作り出す。
そうすれば準備は万端である。
身支度する傍らで、皇帝陛下の攻略するべく手立てはすでに思いついている。
ベラ殿下の推測を信じるならば直ちに命の危険はない。まず顔を合わせる機会を増やし、ミリアの印象を深く刻むのが一番いいだろう……が、その前に相手の日頃の動向を掴んでおきたいのだ。
なので皇帝陛下を追跡してみようと思う。
――面倒だけど、一番着実な手だものね。
攻略の対象である皇帝陛下自身はもちろん、仕えているベラ殿下や使用人、そして常に皇族の傍にあって目を光らせている皇家の影にも気づかれないようにするのが絶対条件。気づかれたら一巻の終わりだ。
使用人たちはともかく皇家の影はどこにでもいて、それが城内での犯罪の抑止力になっているくらいだ。でもそんなの、ミリアにとってはさしたる問題ではなかった。
ミリアは人の目を欺くのが得意だった。
噂を立てられはするものの、決して証拠を掴まれないで社交界のコソ泥を続けてこられたのは、貧民街で培った技術と経験を活かしている故。
目を瞑り、意識を研ぎ澄ませば周囲のささやかな物音や向けられる視線の一つ一つまで感じられる。
今は侍女が三人、そして影が一人こちらを見ているのがわかった。あの影はおそらくベラ殿下を監視している者に違いない。
侍女たちは、昨夜遅くに城へ戻ってきたベラ殿下へ朝の挨拶、すなわち目覚めを促すために集まっているようだった。
影の監視対象はこちらではないとはいえ、姿を見られたくないからと引き返したりすれば怪しまれて目をつけられかねないので、真っ当な侍女として振る舞うが吉。
ミリアも侍女たちの輪の中に加わり、ベラ殿下に挨拶を済ませてから、さりげなく抜け出して。
それから――行動を開始することにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「来た来た」
靴音もなく近づいてくる巨漢の気配を察し、ミリアは思わず呟いた。
ぷんと漂う人殺しの匂いと溢れんばかりの威圧感ですぐわかる。皇帝陛下だ。
昨日、皇帝陛下とばったり鉢合わせた廊下は回廊状になっており、四隅のそれぞれに上階と繋がる階段がある。皇帝陛下はそのいずれかから降りてきたのだろう。もしかすると毎日その道筋を通っているのかも知れない。
そんな予想に基づいて柱に身を潜めて待っていると、期待通りに現れてくれたのだ。
今日も今日とてせっかくの美形を恐ろしく厳しい顔で無駄にしながら、こちらへ向かって歩いてきている。
見つかってはまずいのでサッとその場を離れ、皇家の影の目を掻い潜りながら回廊をぐるりと一周。やがて背筋のぴんと伸びた、全く隙のない後ろ姿に追いついた。
まるで常にどこかから襲撃されることを想定しているような歩き方である。どんな暗殺者だって息の根を止めるに至れないだろうと思える佇まいは、歴戦の血まみれ皇帝に相応しい。
もっとも、ミリアの中に彼への敵意は微塵もないので問題ないのだが。
――向こうからしたら暗殺も尻を尾け回されるのも、同じくらいに迷惑でしょうけどねぇ。
静かな足取りで歩みを進める皇帝陛下、その姿が見えなくなる度に物陰から物陰へと姿を移していく。
そうしながらミリアはこの状況をどこか懐かしく感じていた。
貧民街ではよく、少し金を持っていそうな商人なんかを見つけると付け狙っていたものだった。特に貴族のボンボンが来た時は、尾行して尾行して尾行した末にそれとなく宝物を掻っ攫ったこともある。あの時は楽しかった。
フォークロス伯に拾われて以降は社交場でのスリばかりだったせいで、こういうのはずいぶんと久しぶりである。
何年越しかでも体はしっかり覚えているものらしい。追跡はどこまでも順調だ。
二階の廊下から階段を降りて一階、さらにその下へと向かい、辿り着いたのは静かな――皇帝陛下とミリア、そして影たち以外は誰もいない地下階。
一本道になった廊下の奥、簡素ながらも気品のある装飾がなされた扉があるだけというおかしな造りだった。
「脱出用の隠し通路ってとこかしら?」
詳しくは知らないが、どこの屋敷やパーティー会場にも大抵そういうのが設けられているものだ。不測の事態があった時に逃げ出せなくては困るのだろう。
そう思ったのだが、どうやら違っていたようで――。
皇帝陛下の手によって扉が開け放たれた瞬間、室内に見えたのは大きな机と積み上げられた書類、背後に広がる無数の本棚。
フォークロス伯爵家で似たような部屋を目にした覚えがあった。これは執務室というやつである。
普通、執務室が地下にあるわけはないのだが、何か事情が隠されていると見た。
あの中に入り込めれば一番いいが、さすがにそこまでの危険は犯せなかった。
しばらく皇帝陛下は扉から出てくる気配がなく、同じ場所でこのまま留まり続けていると影に見つかりそうだったのでひとまず撤退する。
何食わぬ顔で地上へ戻ったミリアは、ベラ殿下の傍へ行ったり侍女のための休憩室で過ごすなどして時間を潰す。
やがて地下への階段から上がってきたのが見えたら、尾行再開だ。
廊下で顔を合わせた宰相に何かしら……おそらく政策についての命令を下したり、使用人たちに畏れの視線を向けられながら、三階まで上がって自室らしきところに篭った皇帝陛下。
運ばれてきた朝食をそこで済ませ、階を移して城の一角にある稽古場へ移ったあと、剣の素振りばかりしていた。
稽古場は外から窓越しに覗ける仕組みになっており、しばらく眺めていたが、誰と模擬試合をするでもなくただただ剣を振るだけ。素振りなら庭園などでもできるだろうにわざわざここでやるのは人に見られたくないからか?
「しかも何かぶつぶつ言ってるわね、あの皇帝」
何を言っているかは聞こえない。ただの素振りとは思えない鬼気迫る表情をしている、その理由もわからない。見当もつかなかった。
彼の奇行――ミリアにはそうとしか見えなかったのだ――はなんと約七時間にも渡って続いた。
正気じゃなさ過ぎる。手合わせしないのは他の騎士とでは実力が釣り合わない……つまりは皇帝陛下が暴力的なまでの実力を誇るが故だとしても、狂気以外の何者でもない。
素振りを終えたらあとは自室に戻っていって、その日はもう出てこなかった。
城内であまり姿を見ないのでずっと不思議に思っていたけれど、午前は地下に、午後は稽古場に篭っているせいで接触可能な時間が極端に少ないのだと納得する。
血まみれ皇帝の一日は意外にあっさりしたものだったらしい。
奇怪な部分はあるものの特別に問題が起きることもなく、大きな事件や殺傷沙汰が起こるようなこともなく、翌日、翌々日、さらに次の日になってもそれは変わらないまま。
満足したミリアは、五日目にして追跡をやめた。
――知りたいことは知れたわ。
朝早く、昼食の前後、そして素振りが終わったあとの時間。そこが狙い目だ。
二度目の邂逅は成功させてみせる。
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