第四話 第一関門クリア、らしい?
ミリアの――すなわち、この城における侍女の務めは女性皇族の傍に仕えることだ。
皇妃はおらず、前皇帝の妃も儚くなって久しいアーノルド皇家には現在女性が一人しかいない。
そのため、侍女は全員が彼女の専属使用人となっている。
「ベラ殿下、失礼いたします」
「どうぞ」
そっと扉をノックして室内へ足を踏み入れたミリアは、部屋の中央に佇む人物へ目をやった。
まだ若干の幼さが残る少女だ。
ミリアより三歳も下の十五という齢にしてはすらりとした長身でありながら、ちぐはぐに思わないのは養殖物のミリアと違って天然の美姫だからだろうか。
皇妹ベラ・メレス・アーノルド殿下は、気品と可愛らしさの両方を持ち合わせた淑女だった。
――改めて思うけど、あの皇帝陛下の血が繋がっているはずなのに、あんまり似てないわね。
兄譲りなのはストレートの銀髪くらいなもの。ぱっちりとした赤瞳は優しいし、向けられる笑顔は無邪気そのものに思える。
侍女としてやって来た初日、血まみれ皇帝の妹君はどんな女だろうと身構えていたのでベラ殿下を見て驚いたものだ。
皇帝陛下にはどう思われたか謎なミリアだが、なぜだか結構気に入られているらしい。働き始めて日が浅いのに単独で傍に置いてもらえるくらいには。
「お着替えをお持ちしました。お気に召していただけたら幸いですわ」
「ありがとう。着替えさせてくれる?」
「もちろんでございます」
ベラ殿下は今夜、某所で開催される夜会に出るらしい。兄と違って非常に社交的なのだ。
まだ婚約者はいないと聞いたが、寄せられる縁談は数え切れないほど多いに違いなかった。
ミリアが手にしているのは今日彼女が纏うためのドレス。皇妹のものとだけあって一級品、シルク生地のそれは随所にレースと宝石が散りばめられていた。
皇帝陛下の最愛になれば、これくらいの上等なものを与えられたりするのだろうか。
フォークロス伯に言った通りコソ泥生活で満足しているし、生きるのに必要以上の贅沢は要らないと思っていながら、そんな風に考えてしまってミリアは小さくかぶりを振る。
欲をかき過ぎてはいけない。今は目の前のことに集中しなければ。
下着姿になったベラ殿下に着付けを行なっていく。コソ泥として鍛えた手先の器用さのおかげで、熟練の侍女のように手際よくできた。
その傍で今夜の夜会についてなどの他愛のない雑談を交わして……しばらく経った頃、同じ調子でそれとなく重要な話を紛れ込ませてみる。
「先ほど、初めて皇帝陛下とお会いいたしましたわ。少々衝撃的な出会い方をしましたの」
「衝撃的な出会い?」
「ええ。わたしの不注意で真っ向から衝突してしまったのです。ご挨拶させていただきましたが、皇帝陛下が気分を害されていらっしゃらないか心配で心配で……」
「――――」
今は少しの情報でも欲しい。皇妹のベラ殿下なら何かわかることもあるのではと思って訊いてみたわけだ。
ミリアが皇帝陛下について話し始めた途端、ベラ殿下の表情にうっすらと嫌悪感が浮かび、赤の瞳が揺れる。
しかしそれもほんの一瞬のこと。すぐに幼さの残る笑顔に戻った。
「ああ、そういうことなら大丈夫。あの兄はとても厳しい方だから、不興を買って追い出された下働きも少なくない。その中の一人にならなかった時点でミリアは認められたということでしょう」
「そうなのですか? ベラ殿下にそう言っていただけて安心いたしましたわ」
――認められた? あの、『教養はないが頭は回るのか』は本当に褒め言葉だったってこと?
内心で首を傾げずにはいられない。もしも皇帝陛下に認められたなら、初恋に堕とすための第一関門はクリアということになるが……。
ベラ殿下が噓を吐く利があるとは考えにくい。けれども思わず顔を歪ませるだけの何かはあるのだろう。
その真意を探ろうとしたところで、とんでもなく不穏なことを呟かれた。
「と言っても私、兄とは不仲なのだけど」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
収穫があったとすれば、皇帝イーサン・ラドゥ・アーノルドは、誰にでも人当たりの良さそうなベラ殿下にさえ『不仲』と言わせるほどの男であるということ。
その理由は教えてもらえなかったものの、納得せざるを得なかった。
「確かにあの皇帝が妹を甘やかしているような姿がまるで思い浮かばないわ……。兄妹だからって有用な情報が得られるって期待したわたしが馬鹿だった」
でも、ミリアが目指すのは皇帝陛下から寵愛されること。実妹のベラ殿下を差し置いて、侍女に扮しただけのコソ泥の身でそれを成し得なければならないのだ。
あれ以上にベラ殿下から色々聞き出すのは諦めた。やはり方法は自力で考え出すしかない。
――まだ時間はたっぷりあることだし、明日以降に考えようかしらねぇ。
今日はもう寝てしまおう。そう思い、あてがわれた宿舎の一室、ぼふんとベッドに腰を下ろした。
ベラ殿下の支度は早々に済ませ、夜会へと送り出したので今日の業務は終了である。彼女が帰ってきた際の迎えは別の侍女に、雑務は下働きに任せていればいい。
侍女の仕事を苦に思ったことは一度もなかった。だというのにこれほどへとへとなのは、全て皇帝陛下のせいだ。
据え置かれた鏡を見やると、少し疲れた顔の女が――何度見ても自分とは思えない美貌の女が映り込んでいた。
「ふう……」
かつらを脱げば隠されていた地毛が顕になり、さらりと肩に落ちてくる。
ミリアの本当の髪色は淡いブロンドなどではない。目が覚めるような朝焼けに似た朱だった。
顔立ちも瞳の色も変わらないのに、髪色だけで印象はまるで違って見える。
もしこの姿で公に出たら……いや、皇帝陛下にこのことを知られたならば、即殺されてもおかしくないだろう。
何せ、この国において赤毛は忌まれ疎まれている。長らく敵対状態にあった――今は血まみれ皇帝の手によって陥落し、属国となっている地の民によくある色だからだ。
もしかすると先祖がそちらの血を引いていたのかも知れないが、ミリアとは関係ない。己の赤毛を今まで何度恨んだか、数えるのも馬鹿馬鹿しい。
でもこの姿の方が落ち着くから不思議だった。
ミリアは色々なものを偽って生きている。出自、本性、それから容姿に至るまで。城に入ってからはそれらを表に出さないよう細心の注意を払っているが、今日くらいはいいことにしよう。
気を休めていられるのも今のうち。これから皇帝陛下とより接触していくことになるのを思えば、そうはいかないに違いないのだから――。
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